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京都は未来なのか?

12/5 に京都岡﨑の蔦屋書店で開催された「STANDART~京都が未来である理由、ポスト資本主義への道標~」というトークイベントに参加して来た。忘れないうちに感じたことなどをメモしておこうと思う。

これはSTANDARTという雑誌に掲載された、中村佳太さんのエッセイ「京都が未来である理由」に関するイベントです。中村さんの資本主義の定義は、①成長と競争を強いる、②生産手段の労働者からの分離、にあるとしています。そして②を実現している中村さんは、テクノロジー企業(BASE)を利用しているが、依存しないことが大切と語ります。

②については、生産手段を持っていることよりも、顧客のベースを築いていることの方が重要ではないか、だからこそ、テクノロジー企業に依存しないでいけるのではないか?という疑問があったので質問しました。これに対しては、顧客ベースがあるのは大事だが、生産手段を持つ人は、同じように生産手段を持つ人がつくるものを買う傾向があると思うので、廻っていくのではとのことでした。

では、生産手段を持つ人がどれ位地域にいれば、廻っていくのかというのが次の疑問でしたが、また別の人の質問で、地方(田舎)では生産手段をもってやろうという人自体が少ない、チェーン店の利用で満足しているがどうじたらよいかというのがあったが、これに対しては特に良い案はないという感じでしたが、個人的には誰かが始めるしかないだろうと思う。そして地方の方がむしろこれからは面白いのではないかと『日本列島回復論』を読んだりして思っている。

京都については、小嶌久美子さんが言われた「京都には物差しが複数ある、大企業の社員という肩書より、自分で店を経営しているという方が評価されたりする」という言葉が印象に残った。個人的には資本主義の一番の問題は、すべてを貨幣価値という一つの尺度で評価してしまうことにあると思っていて、それが生きづらさに繋がっていると思うので、小嶌さんの言葉には凄く共感できる。

そして話は、京都には二面性があって、表の京都(四条辺りの全国チェーンがある、観光地化された京都)と裏の京都(昔ながらの一見さんお断りや繋がりがある京都)があり、裏の京都こそ、面白いという方向へ。ここでも表の京都(画一化された価値観)と裏の京都(価値観の多様性)のようなものがあって、後者の方が今、求められてるんではと思う。

京都市は1960年代に既に人口140万人になっていて、それ以降あまり増えていないので、逆に増えない中で如何に商売を続けていくかという価値観が生まれたのかなとも思うが、最近の観光客の増大により外部資本が増え、画一的な価値観が出てきているようにも思うので、それは今の京都の課題であるようにも思う。

色々今後に考える事が出ていて、面白いトークイベントであったと思いました。機会があればまた参加したい。

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