京都から資本主義を考える(2)
前回、STANDARTという雑誌の第10号に掲載された、中村佳太さんの「京都が未来である理由」を読んで思ったことを書きましたが、それに関し、中村さんから返信がありましたので、それについてもコメントを纏めておきたいと思います。
細かいところは省かざるをえないのですが、最も主張したいのは、僕はエッセイに書いた通り資本主義の要を「生産手段の労働者からの分離」と「競争と成長を強いる」の2点に置いています。そこから「京都型」は非資本主義的だと主張し〈ポスト〉資本主義についての議論に繋げています。→@grasspanda
— 中村佳太 (@keitanakamu) November 12, 2019
つまり、“市場をベースとしているので、資本主義の中に含まれる”とは考えていません。
— 中村佳太 (@keitanakamu) November 12, 2019
また、図2で書かれているような「市場型」に「京都型」が載るようなイメージではなく、「資本分散型経済」と「資本集中型経済」は並列で一部が重なるようなイメージです。→@grasspanda
まず、「競争と成長を強いる」というのは、資本主義が資本によるリターン(利潤)を求めるものなので当然かと思いますが、「生産手段の労働からの分離」の方はそれほど重要ではないと思っています。中村さんの目指しているビジネスに関して言えば、生産手段を自らもつことよりも、そのビジネスを支えるネットワークを如何に維持するかの方に可能性を見ています。
最後に、“「京都型非資本主義思想」がコミュニタリアニズムに近い”というのは誤解です。これは僕の書き方が悪かったかもしれませんが、京都のカルチャーにはたしかにコミュニタリアニズム的な面はあると思いますが、僕が「資本分散型経済」に繋げるために抽出したかった点は→@grasspanda
— 中村佳太 (@keitanakamu) November 12, 2019
ここの思想的な背景については、また詳しく聞いてみたいですが、単に京都のカルチャーと言ってしまうと、京都は特殊だよねということに議論が矮小化されてしまうと思うので、京都のカルチャーの良い点とは何か、そのカルチャーを支えている思想は何か、それは日本の他地域、世界の他国でも適用可能なのかとかを知りたいです。個人的には京都のカルチャーには日本の他地域では失われたものが残っていて、それは日本人本来のもつ良い点を含んでいると思うのですがまた別の機会に詳しく検討したい。
そこではなく、個人が自由に生産し販売することを尊重すること、過度な成長を求めず競争を前提としないカルチャーです。だからこそ、BASEやSquareなどのテクノロジー企業がその拡大に寄与できると考えています。そこにコミュニタリアニズム的な観点はありません。@grasspanda
— 中村佳太 (@keitanakamu) November 12, 2019
「過度な成長を求めず競争を前提としないカルチャー」は例えば、甲斐かおりさんの『ほどよい量をつくる』や、佰食屋の中村朱美さんの『売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放』など方向性として定常社会に向けた試みとして興味深くみていますが、BASEやSquareなどのテクノロジー企業については、これらの企業が定常社会に適合したビジネスモデルとは思えず、そもそも彼らは拡大を目指さなければならないし、競合(BASEであればShopify、SqaureであればApply Pay等)に勝てるかどうかは不明です。またBASEもSquareもアマゾン(AWS)のプラットフォームに依存しています。なので、次のコモンズの議論にも関係しますが、こうしたテクノロジーのプラットフォーマーをコモンズの一部と考えなければいけないと思っています。
なお、コモンズ(ハートらの言う「コモン」や宇沢弘文の言う「社会的共通資本」のような概念で合ってますか?)については、ご指摘の通り、今回のエッセイでは触れなかったけれど、ポスト資本主義を考える上で極めて重要だと考えています。→@grasspanda
— 中村佳太 (@keitanakamu) November 12, 2019
コモンズについては、エネルギーや水、食料やインフラなど、人が生活する基本となるものに加え、上に述べた既にプラットフォーマー達が提供しているサービスについても一定程度の管理が必要と思います。
コミュニティ(その定義は難しいですが)はたしかに重要ですが、今回のエッセイでは、「コミュニティ」や「繋がり」といったものの重要性ではなく、個人が自ら生産・販売する社会の可能性について考えたかったんです。
— 中村佳太 (@keitanakamu) November 15, 2019
読んでくださってありがとうございます!
コモンズの管理を含め、コミュニティは重要なんですが、広井良典氏の『人口減少社会のデザイン』でも触れられていますが、日本の場合、農村的コミュニティが主で、結局都会的コミュニティをうまく作ることができずに来たので、コミュニティを如何に再生するかというのも課題になります。その中で京都的なものが何か手本を示せるのかということに希望をみています。