京都から資本主義を考える(2)

前回、STANDARTという雑誌の第10号に掲載された、中村佳太さんの「京都が未来である理由」を読んで思ったことを書きましたが、それに関し、中村さんから返信がありましたので、それについてもコメントを纏めておきたいと思います。

まず、「競争と成長を強いる」というのは、資本主義が資本によるリターン(利潤)を求めるものなので当然かと思いますが、「生産手段の労働からの分離」の方はそれほど重要ではないと思っています。中村さんの目指しているビジネスに関して言えば、生産手段を自らもつことよりも、そのビジネスを支えるネットワークを如何に維持するかの方に可能性を見ています。

ここの思想的な背景については、また詳しく聞いてみたいですが、単に京都のカルチャーと言ってしまうと、京都は特殊だよねということに議論が矮小化されてしまうと思うので、京都のカルチャーの良い点とは何か、そのカルチャーを支えている思想は何か、それは日本の他地域、世界の他国でも適用可能なのかとかを知りたいです。個人的には京都のカルチャーには日本の他地域では失われたものが残っていて、それは日本人本来のもつ良い点を含んでいると思うのですがまた別の機会に詳しく検討したい。

「過度な成長を求めず競争を前提としないカルチャー」は例えば、甲斐かおりさんの『ほどよい量をつくる』や、佰食屋の中村朱美さんの『売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放』など方向性として定常社会に向けた試みとして興味深くみていますが、BASEやSquareなどのテクノロジー企業については、これらの企業が定常社会に適合したビジネスモデルとは思えず、そもそも彼らは拡大を目指さなければならないし、競合(BASEであればShopify、SqaureであればApply Pay等)に勝てるかどうかは不明です。またBASEもSquareもアマゾン(AWS)のプラットフォームに依存しています。なので、次のコモンズの議論にも関係しますが、こうしたテクノロジーのプラットフォーマーをコモンズの一部と考えなければいけないと思っています。

コモンズについては、エネルギーや水、食料やインフラなど、人が生活する基本となるものに加え、上に述べた既にプラットフォーマー達が提供しているサービスについても一定程度の管理が必要と思います。

コモンズの管理を含め、コミュニティは重要なんですが、広井良典氏の『人口減少社会のデザイン』でも触れられていますが、日本の場合、農村的コミュニティが主で、結局都会的コミュニティをうまく作ることができずに来たので、コミュニティを如何に再生するかというのも課題になります。その中で京都的なものが何か手本を示せるのかということに希望をみています。

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