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私たちにとって記憶とは何なのか?

先日観た、NHK BSのヒューマニエンスの記憶の回がとても印象に残ったので、番組を観て感じたことを含め自分用のメモとして纏めておきたいと思います。

記憶とはネットワークで保存される

記憶は、色々な感覚器官からの情報が海馬に集まって、海馬の中でそれらの情報がネットワーク化されて保存されるものだそうです。神経細胞のネットワークなのでその繋ぎ方は膨大な数が可能であり、物理的には一生涯の出来事を記憶することも可能だそうです。ただ海馬の記憶は好き、嫌いの情動とは関係なくニュートラルに記憶を保存されていて、情動の方は偏桃体の方に記憶されるそうです。またよく思い出される記憶は海馬にとどまり、それ以外は大脳皮質の方に移されるようです。

思い出せないだけで脳の中には、自分が経験したことはすべて記憶されているのかもというのは、何かのトリガーがあれば楽しかった記憶を自在に呼び出したりできるということになります。また番組でも取り上げられていましたが、研究により今後記憶を書き換えることも可能であるとのことです。例としてはトラウマになっている記憶について、偏桃体の記憶と海馬の記憶の繋がりを断つことによってトラウマを解消するなどです。

そうなると、海馬自体には私たちが見たり、聞いたり、触れたり、感じたりした経験がすべて記録されていたとしてもそれに対して偏桃体に記録される情動と強く結びついていないと呼び出すのは難しくなりそうです。つまり肯定的であれ、否定的であれ、良く呼び出される記憶は生存にとって大事であったことの名残であるということです。否定的な記憶なんて覚えていたくないと思いますが、それは今後そのような状況を避けるために必要だったということになるわけですね。

記憶とは書き換えられるもの

人間の記憶というのは、繰り返し思い出されるものは強化されるそうですが、興味深いのは、呼び出される際、記憶の繋がりが一時的に弱くなり、強化される際に繋がりが変えられる場合があるそうで、記憶が書き換えられることになるそうです。この記憶を書き換えるというのも生存戦略として私たちに残されたものでしょう。

そうであれば、記憶というものはどんどん更新できるもので、また海馬にある情報の記憶に時間の情報はないと思われるので、違う日時の記憶が結びつくする場合もあるでしょう。そうやってその人その人の記憶がつくられていくのかもしれません。

記憶を書き換えるということを考えると、仏教の瞑想によって煩悩を断つという話も、海馬の記憶と偏桃体の記憶の結びつきを断って、特に情動を司る偏桃体との結びつきを一時的に断つことで記憶を感情から解き放ち、もう一度記憶を辿りながら、より弱い情動との結びつきに書き換えることで、その過去の記憶への執着を失くすというか、あまり執着するもんでもなかったかなというように思うようにするための方法なのではと思ったりします。

未来は過去からしか想像されない

番組でもう一つ面白かったのが、未来のことを想像する時と、過去のことを思い出す時で脳の同じ箇所が活性化されるということです。だから未来を想像するとは記憶を辿り直して、新しい記憶を生み出そうとしているようなものかもしれません。番組のゲストのピアニストの方が言っていたのですが、音楽というのは全く新しいものはできない、それは誰もそれを音楽と認めないからで、何かそれまでに経験したものをアレンジし直したものからしか新しい音楽は生まれないという趣旨のことを言われていて、それってクリエイティブなものを作る人全てに言えるんだろうなと思ったりしました。

そういうわけで、未来について想像されたものは何か懐かしさを感じさせるもになるようです。クリエイティブな人というのは、自分の経験の記憶をうまく組み替えて新しいネットワークを脳内で作っているんだなと思いました。そういう点から言うとAIの場合は膨大な情報を記憶してそれを無限に組む合わせられるという点からすると人より遥かにクリエイティブになりそうに思われます。人がAIと違うのは、情動を司る偏桃体の働きと、海馬に集まってくる情報のリソースとなる身体の働きになりそうなので、これからのクリエイティビティに必要なのは身体の感覚をもっと磨き上げることなのかなと思ったりもしました。

運動の記憶は、効率化されもはや意識されない

番組のもう1つの話題は、運動に関する記憶の話です。人の記憶の中で、運動を司るのは小脳で、小脳で記憶されているものは意識の介入ができないほど効率化されているそうです。つまり歩いたり走ったりするときにいちいちどっちの足をどれ位あげてとか意識しないように効率化されているということです。一度覚えたこと、自転車の運転とかはしばらくやってなくても覚えているのも小脳で記憶されているからです。

これはとても効率的なのですが、歳をとると逆に小脳の記憶しているように体が動いていないとちょっとした段差に躓いたりします。歳をとって体が若い時のように動かなくなれば小脳の記憶をアップデートしてくれれば良いのにと思うんですが、そうはならないようです。つまりそれは自然環境の中ならそういう歳まで人は生き残れなかったということなのかなと思います。

最後に認知症の話も出ていましたが、記憶というのはその人をつくるものなので、人生のクオリティはどんな記憶を保持しているかということと大きく関係しそうだなと思いました。そのためにも自分の身体感覚をより研ぎ澄まして、記憶を良くアップデートできるようになりたいものです。

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