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かかし
ノーンさんの家には、かかしがいました。
着られなくなった服や汚れた布で作られたかかしは、ひょろんとしていていつもうつむいていました。
かかしは立派なりんご畑で朝も昼も夜も過ごしていましたが、うつむいているかかしは、落ちて腐ったりんごしか目にすることができません。
かかしの頭上には空が果てしなく、模様を描きながら進んでいるというのに。
背筋を正してしゃんとしたい、とかかしは願っていましたがくたくたの布で作られたかかしはどうしたってうつむいてしまうのでした。
ふと、かかしのところへカラスがやって来ました。
カラスがちょん、とかかしの肩に止まります。
「おい、かかし」
ガラガラとした声でカラスが言いました。
その声でやっと、かかしは自分の肩にとまったのはカラスなのだと分かりました。
「君はカラスだね? ああ、りんごは食べないでおくれ。ノーンさんが一生懸命育てているんだ」
「りんごはいらない。それよりもお前。お前の布は柔らかそうだね」
カラスはつんつん、とかかしをつつきながら言いました。
「ああ。これはとても柔らかいんだよ。ノーンさんの家の息子さんが赤ちゃんの頃、使っていたものだからね」
「よかったら、ワタシにくれないか?」
「どうして?」
「もうすぐ子供が産まれるんだ。子供にはふかふかで心地良い場所で育って欲しい」
カラスの言葉にかかしはうん、と頷きました。
「どうぞ。もらっていって」
「ありがとう」
カラスはかかしの手をつんつんつんとつついてから、一生懸命布を引っ張りました。
ぎゅ、ぎゅ、ぐいーん。
ぎゅ、ぎゅ、ぐいーん。
ビリビリビリビリ。
布が破けていきました。
「ありがとう!」
「いいえ。元気な子が産まれるといいね」
カラスは元気に飛んでゆきましたが、うつむいているかかしは見ることが出来ません。
かかしはひっそりと、地面に落ちたりんごをただ見つめるしかありませんでした。
何回かの春と夏と秋と冬を経て、かかしはどんどんうつむいていきました。
地元の子供たちはかかしのことを「呪われたかかし」と呼び、夜な夜な肝試しに来ます。でもかかしからしたら、勝手に怖がり、勝手に石をぶつけていく子供たちのほうが、とても恐ろしい生き物でした。
「やぁ。かかし」
聞き覚えのある声がしました。
「あなたは……カラス?」
「そうだよ。ワタシはカラスだよ。あれからどうだい? 随分久しぶりだねぇ」
「ええ、ええ。久しぶりだ。あれから色々なことがありましたよ。ノーンさんの息子さんが町一番のべっぴんさんと結婚してね。双子の男の子が産まれたんだ。もうすぐ四歳になるよ」
「いいねぇ。人間の子供は」
「カラスの子供は? もうすぐ立派な歳だよね」
「ああ。それがね、うまくいかないね。まだ小さな頃に、車にひかれて死んじまったよ」
かかしは沈黙しました。
「残った二匹も今はどこにいったんだろうね? 元気にしてるといいんだが」
「そうか。そうか」
二人はじっと風を感じました。
この風はどこからくるのだろう。そしてどこへ行くのだろう。この風もいつか消えてしまうのだろうか。かかしは風を見たい、と思いました。
「もう、ここへ来るのは最後かもしれない」
カラスは言いました。
「ワタシも歳だ。そろそろ旅を終えてもいい頃だ」
カラスはそう言ってヨボヨボと飛んでいきました。それでもかかしは「さようなら」とは言いませんでした。あれからカラスがどれだけ歳をとったのか。そんなのかかしには見えていませんでしたから。
それから寒い冬が来て、春が来て、地面にりんごが落ちなくなりました。
毎朝、りんご畑に通っていたノーンさんの姿も見えません。
町の子供たちも、もう肝試しに来ません。
「かかしよ」
カラスの声が聞こえてきました。とてもしわがれた声でした。
「カラス。来てくれたんだね」
「ああ。もうそろそろワタシは死ぬ。そうなったときに、どうしてだか、かかしのことが頭に浮かんだんだよ。だから最期のお別れを言いに来た」
「この前も君はそう言っていた」
「え?」
「もう、これでここに来るのは最後だと言っていたよ」
「ああ。そうか。そうだったか。もう遠い昔のことだ」
かかしの肩にいたカラスはとんっと地面に降りてきて、かかしを見上げました。
「お前はそんな顔をしていたんだね」
「カラスだ。生まれて初めてカラスを見たよ」
かかしは言いました。
「あれから、ノーンさんは死んだよ。息子さんと喧嘩したままだった。とても寂しかった」
「そうか。でも寂しいかどうか決めるのはノーンさんだけだ」
「そうだね。ああ、ぼくが寂しかったんだね」
かかしは言いました。
「かかし」
カラスが言いました。
「旅をしないか? 一緒に」
「旅?」
数秒考えたあと、かかしは言いました。
「うん」
返事を聞いたカラスは嬉しそうな声をあげました。
「どこへ行こうか」
「そうだな。空を見たい」
「いいね。でも、どうしようか。かかしは大きすぎてとても全てを持って行くことはできないよ」
「なら顔だけでも」
かかしは言いました。
「僕の顔はとても軽い。そして柔らかい」
「わかった」
カラスはかかしの顔を引っ張りました。
ぎゅ、ぎゅ、ぐいーん。
ぎゅ、ぎゅ、ぐいーん。
ビリビリビリビリ。
「ああ、ごめん。片目だけになってしまったよ」
「いいんだ。ありがとう」
それから二人は旅をしました。
かかしは初めて、太陽が放つ光や雨が降ってくる様子や夜空に広がる星々を目にしました。
カラスも初めて、誰かと、いいえ、友と一緒に見る景色がこんなにも美しく儚いものなのだと知りました。
とてもよく晴れた日のこと。
ぽかぽかとした日差しがかかしとカラスを照らしていました。
かかしがふと、隣を見るとカラスが静かに目をつむっていました。
かかしも目を閉じました。
どこかで美味しそうなりんごの香りがしています。
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