見出し画像

ルーツを探る旅

アパレルという沼に浸かって8年目になるが、幼き頃の夢は“お店やさんのレジの人”だった。ピッピしてるのが楽しそうに見えたのだろう。

ではアパレル沼に陥(おちい)る切っ掛けはなんだったかな〜と思い返すといくつかある。

①両親が縫製工場で働いていたこと

地元の縫製工場(蝶屋シャツ)で父はミシン修理工、母は縫製工員でまあよくある職場恋愛なのだが(割愛)

よく母は上履袋やら図書袋やらをミシンで手作りしてくれ(上履き袋にKENZOのネーム叩き付けられた)、手縫いも教えてくれた。また工場から貰ったのであろう沢山のシャツの残布があったので巾着袋やリカちゃん人形の枕を拵(こしら)えていた。これが小学校低学年くらい。

近所に住む叔母の家には工場から払い下げられた工業用ミシンがあり、それもよく目にしていた。でかかったな〜くらいしか覚えてないけれど。

②漫画の影響

ちゃおっ娘だった私は“原宿バンビーナ”という漫画で服作りに出会う。

画像1

のちにモデルとなる一卵性双生児の女の子のほうが貧乳で兄弟の男の方によく間違われるコンプレックスを抱えているのだが、主人公がホルターネックのドレスを作成しデコルテを綺麗に見せることで女らしさを引き出すエピソードは未だに覚えている。

③身の回りのものをミシンを使って作る

高学年になると授業でもミシンを使えるようになったため、家にあった年季の入った家庭用ミシンを引っ張り出して筆箱を作ったりした(ファスナーはつけられなかったのでドット釦で対応)次の日学校に持っていくと友達が可愛いね、どこの?と。自分で作ったことを話すとすごい!!!売り物みたい!と褒められた。

自分が作ったものを褒められるって良いな。って思った瞬間。


------

このように歳を重ね、松本の服飾専門学校に進学→就活を経て無事にパタンナーに就職した。何でデザイナーじゃなかったの?と聞かれるが、

パタンナーって聞いたことない!響きが格好良い!!!!

理由はいつだって単純。笑