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#002 突然に下半身不随宣告された息子。すところどっこい疾風記〜息子とともに駆け抜けた23年間の記憶〜

2021年6月。


突然下半身が動かなくなる。
シンの脊髄にある腫瘍が悪性化し、急速に大きくなり
手術での摘出が困難となった。
この間。わずか1ヶ月。
「悪性末梢神経鞘種」との診断だった。


元々数ヶ月に一度、MRIで進行の経過をモニタしていた。

2年ほど前、シンが家族共々お世話になった小学校時代の校長先生と教頭先生の
ご尽力により、専門医が在職する大学病院へ通院することができた。

身体の数十カ所にできたコブのような腫瘍は今のところ良性で、
すぐに切除せず、経過観察を続けるという状態が続いた。
その頃シンは、生活面は安定し、
人間関係も良好で、かけがいのない二人の親友もできた。
ボクとしては、これから起きることは想像できずにいた。

今思えば兆候はあった。
首元と背中にできた腫瘍は日に日に大きくなっていった。
しかし細かい神経が集中する場所でそれを避けて手術を行うのは難しい。

そのうちに背中にできた腫瘍が大きくなり、このままでは神経を圧迫する恐れがあるため、良性のうちに摘出手術する事になった。

予定は8月下旬。もう少し早くできないかとたずねると、
難しい手術となるので事前のカンファレンスで、各専門医との連携の上、
慎重にことを運ばないといけないらしく、予定外の緊急手術では成功率が低くなるという。

納得はしたものの、シンは「手術」と聞いて
人生初の挑戦に不安げな表情を浮かべた。

手術を控えた7月下旬。
「背中が痛い」
と自宅のソファに横になりながらシンがうめいた。
その当時、毎朝バスと電車を乗り継ぎ就労支援施設に通っていた。
ボクたちは精神的に不安なったシンが手術の心配から背中が痛いように
感じているのだと思い込み
「頑張って通わなアカンで。」と励ました。




毎シーズン恒例となっているコナンの映画を観に行く。

小さい頃は親が付き添っていたのが、最近はそれが恥ずかしくなったのか
一緒に現地まで行き、劇場ではひとりで鑑賞。その間、ボクたちは
併設されたショッピングモールで買い物をするようになった。

いざ家を出発しショッピングモールの駐車場に着くと
「足が動けへん。」
といいだした。上映時間が迫っていたこともあり、また周囲で車椅子を使っている友人や祖父が普通にいたため、あまり躊躇せずに受付で車椅子を借り劇場へ向かった。場内の席まで一緒に行き、シートに移り座ると
「シッシッ」っと手を払いボクを追い出した。
終演後、座席で待っていたシンを迎えに行った。
シンは楽しそうに映画の内容を話した。
その後、フードコートで食事。いつものように家族3人会話を楽しんだ。

ただ一つ違うことはシンは生まれて初めて車椅子に乗っていたことだった。

おかしい…

いくら車椅子が身近な存在とはいえ、この状況がおかしいということに
何故、気づけなかったのか。



数日後、シンはソファの上から動けなくなった。
トイレに行くのも困難で、オムツを用意した。初めはイヤな顔をしたが動けない自分に他の方法が思いつかず受け入れた。

奥さんは筋肉が固まるのは早いと聞いて寝る前に丁寧にストレッチをし、入念にマッサージをした。息子の状態が心配で仕方ないのだ。

2日目、ついに大学病院へ連絡し診察してもらうことになった。
映画館で兆候が出て3日目。ソファに横になって2日。

遅すぎたのか。ボクらは今も自問自答している。
「良性腫瘍」「8月下旬手術」「精神的な不安からの痛み」「明後日には予約診察が入っている」…。

様々な言葉が頭を巡り、心配する奥さんの気持ちを抑えて、遠慮してしまったのだ。

何に遠慮したのか?ボクはいまも悔やんでいる。

兆候はすでに気づかないうちに顔を出していた。


翌日、全く動けなくなったシンをどう病院へ連れて行くのか。
我が家は賃貸の2階だ。介護タクシーというサービスがあると聞き、電話し相談すると玄関前に横付けしたタクシーまでは、自動で階段を降りる階段昇降機を使うという。当日、実際にその昇降機を見ると車椅子に様々な強化パーツを加えたモビルスーツのような乗り物だった。シンはこれで階段を降りることにかなり不安げな様子だった。
「ロボットの操縦席やな。」とつぶやくと
「やかましわ」と怒られた。

一定の角度を保つと電動で階段を降りていく。思ったよりスムーズにタクシーに移動できたが、つい3日ほど前には自力で歩けていたことを思うと、余りにも急激な変化に言葉を失う。


大学病院に着くと担当医がしばらく間を開けて
「緊急手術を行います。これから入院手続きをしてください。」
ボクはその時、早い対応にホッとした反面、少しでも早く病院に相談していたらと後悔した。奥さんはショックのあまりめまいを起こした。シンに心配をかけないように長男と診察室をそっと後にした。

手続きを終え、シンと病室に戻ると奥さんと長男が笑顔でシンを迎えた。
看護師さんが
「手術前検査に向かいます。」とのこと。

30分後病室に戻ってきたシンは、まだ状況がつかめず落ち着かない。

1時間ほど病室で待っていると先生から呼び出し。
長男をシンの元に残し、ボク達二人で担当医の待つ家族室へ向かう。
室内には、担当医、助手、看護師長さん、担当看護師さん、心療内科師でもあるソーシャルワーカーの先生がソファーの前で立ち並んでいた。

一通り挨拶を終えると担当医がレントゲンの画像を指し、
「1ヶ月前の画像と照らし合わすと良性だった腫瘍が大きくなり悪性に変わっています。ここまで急速に大きくなると手術は困難です。早く処置をしなければ命に関わります。
今できる最善の方法は兵庫県にある施設で重粒子線治療を行うことです。
ただ脊髄にある腫瘍部分に重粒子という放射線を当てることになるので
その治療で脊髄が被爆し、下半身に麻痺が残ります。
お二人でよく考えてお返事を下さい。」
「……」
助かるにはこの方法しかないのか……。

頭が回らない。考える時間も無い。即決を望まれている。


シンは一生歩くことができないのか…。
こんな大切なことを今すぐに二人で決めなければならない。
誰にも相談できない。セカンドオピニオンは?色々なことが頭の中を駆け巡る。

二人して薄暗い廊下で泣き崩れた。


シンは五体満足で生まれてきたわけではない。
何度も死の淵を歩き、その度に自力で生き抜いてきた。

知的障害を持ちながらも、持ち前の純粋な明るさで
ボクたちを照らし、我が家の中心人物だった。

想いを馳せると、シン独特の世界観を表すエピソードしか思い出せない。

どのエピソードも今となれば全て愛おしい。

誰でもいい。いや誰に気づかれなくてもいい。

ただシンの人生を文章にして残したいだけなのだ。

今はそんな衝動が抑えられない。

続く

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