そして現在。連携室でのお仕事と、コロナと、相談業 ⑩
おはようございます!
流夏です^^
今日は、現在に至るまでを振り返ってみたいと思います。
地域連携室勤務としての看護師復帰
ひょんなきっかけで、連携室に勤務することになった私。
そこには、相談員の方が1人だけ働いていました。
50歳の女性でした。
その方はとても優しく、オトナな方でした。
でも、3月で職場を去ることになっていました。
とにかくたくさん仕事を抱えていたようでした。
毎日残業していましたし、ソーシャルワーカーの範疇を超えた仕事も請け負っていました。
看護師としての経験しかない私は、とりあえず言われた通り、入退院調整の業務をこなしました。
転院相談が来たら最初に、院長か副院長に受け入れ可能か相談するのですが、ドクターに聞きに行くのがとても緊張したのを今でも覚えています。
今まで病棟でもたくさんの医師に関わってきましたが、
実際のところ、いい医師なんて一握りに近いものがありました。
その印象が強かったので、ここの先生はどんな感じなんだろうかととても心配したのを覚えています。
医師は基本的にアクの強い人が多いです笑。
ですが、この病院の先生、特に上の先生は、良心的な先生だったので、安心しました。
そんなこんなでお仕事を始めたわけですが。。。
なんといっても暇でした笑笑。
連携室に居ても、PHSが鳴らない限り、私に回ってくるお仕事はほとんどなかったのです。
3月に辞めるワーカーさんからの引継ぎもありましたが、
普段したらいい仕事が何かもわからず、毎日暇な時間が必ずあるような状況でした。
自分のパソコンはあるので、ひたすら
「地域連携室 仕事」
だとか、
「入退院支援看護師 役割」
だとかで検索して、自分の仕事とはなんなのかを模索していました笑。
このまま一人でやっていくのかな、と思っていた頃、協働している他のグループ病院から出向で、PSW(精神保健福祉士)の方が来てくれることになりました。
その方は40代の男性で、以前地域連携のお仕事もされていた方で、精神科病院の訪問看護の主任をされている方でした。
なので、とても心強く、わからないことは何でもその方に相談していました。
そんな中、日本にも本格的にコロナ禍が訪れ、なんと。
うちの病院がクラスターになってしまいました。。。
そしてなんとなんと。
私も感染してしまったのです。。。笑
コロナへの感染
4月の頭に緊急搬送されて入院してきた患者さんがコロナ感染していることがわかり、そこから堰を切ったように感染が拡大していきました。
私は4月下旬に感染しました。
というのも、看護師で病棟経験もあった私は、病棟のお手伝いに行っていたのです。
と言っても、陽性患者さんの部屋移動くらいでした。
休日出勤で本格的に病棟に手伝いに来てほしいと要請され、さぁ行くぞ!と思っていた日の朝。
目が覚めたら喉が痛かったのです。
「いつもの風邪かな?病棟行って大丈夫だろうか。。」
心配していましたが、「隠していればわからないだろう」なんて思っていましたが、昼からの出勤が近づくにつれて、鼻詰まりの症状も出てきました。
「どうしよう。。でももしコロナだったら迷惑かけるしな。。。」
意を決して、看護部長に連絡しました。
「今日起きたら喉が痛かったんです。鼻も詰まってきて。。」
「あらあら、そしたら今日は休んだ方がいいわね。PCRも一応受けておこうか」
そうして、病院の前でPCR検査を受けることになりました。
結果が出るまでに2日くらいかかるとのこと。
それまで自宅待機となりました。
受けたのは土曜日で、結果が出るのは月曜日でした。
月曜日の朝、結果が通知されました。
「陽性でした。保健所から電話が来ますので待っててくださいね」
部長からの留守電が入っていましたが、声は涙ぐんでいました。
自分より、部長のことが心配だったのを覚えています。
そこから、保健所とのやり取りが始まり、現在の症状やここ1か月くらいの行動を聞かれ、相方にも連絡がいきました。
とりあえず私は入院はしたくなかったので、自宅療養をしていました。
相方も接客業だったので仕事を休むことになり、二人でなるべく接触しないよう生活していました。
症状は、いつもの風邪に毛が生えたくらいなもので、発熱もなく、のどの痛みと鼻づまり、鼻水、咳くらいなものでした。
風邪薬と栄養剤を飲んでみましたが、全く効果がなかったので、2回くらいしか飲みませんでした。
毎日保健所から体調確認の電話が来ていました。
私は軽症だったので、数日で症状も良くなりました。
何日かして、陰性確認のために、勤務先の病院に来てもらうか、ホテルで療養しながら検査をするか、と言われました。
勤務先の病院の手を煩わせるのは申し訳なかったので、ホテルで療養することにしました。
ホテル療養
ホテルの入所には、保健所が家まで迎えに来てくれて、ホテルまで送り届けてくれました。
ホテルはもちろん個室。
一般的なビジネスホテルのシングルの部屋でした。
ホテルでは、お弁当の受け取り以外、外に出ることは禁止されていました。
完全に軟禁状態です。
食事の時には館内放送が鳴り、密を避けて順番にお弁当がある階に取りに行きました。
お弁当だけではなく、カップ麺や飲み物、お菓子などがあることもありました。
ホテルに入る頃には症状も味覚障害くらいしかなかったので、ただただ暇でした笑。
暇つぶしの道具も特に持っていかなかったので、ただただ弁当を食べてスマホをいじり、肥えていく毎日でした笑。
そして悲しいことに、ホテル療養中に誕生日を迎えてしまい(笑)、独りきりの誕生日でした。
ある意味思い出深い誕生日になりました笑。
当時は2回陰性が確認されれば退所だったのですが(今は変わっているかもしれません)、入って3日目にPCR検査を受け陰性、5日目にも陰性が確認されたので、晴れて退所となりました。
退所してからも、1週間ほど自宅療養することになり、やっと職場への復帰も決まりました。
職場復帰
その頃、クラスターとなっていた勤務先の病院は、1/3がコロナに感染し、1/3が退職、残りの1/3でなんとか回しているという、とても逼迫した状態でした。
連携室にはもう一人のPSWの方がいたので、連携業務はその方に任せ、私は人が足りない病棟で勤務復帰することになりました。
病棟には、看護師さんが数人しか残っておらず、外来や協働している病院から出向で来ている看護師さんも混ざりながら回していました。
私は、4~8人程しか担当の患者さんがいなかったので、そこまで忙しくはありませんでした。
まさか、病棟でまた働く日が来るとは思ってもみませんでした。
ですが、患者さんと接することは苦ではなく、むしろ処置の方が大変でした笑。
胃管挿入やルート確保など、全然できませんでした笑。
バイタルを測るくらいしか戦力にはなれませんでしたが、6月末くらいまで病棟での勤務が続きました。
そうして、私はまた連携室での業務に戻りました。。。
今現在もコロナ感染が拡大を続けています。
感染した私としては、身近にいるものなので、恐怖などはありません。
これだけの人が感染しているものなので、いつかかってもおかしくないし、症状も軽く済んだからだと思います。
私が一番恐れているのは、コロナよりも、誹謗中傷の方だと思っています。
コロナにかかった私としては、まず誰かにうつしていないか、広めたのは私ではないか。
それだけが心配でした。
休んでしまったことにも申し訳なさを感じたし、何もできないしで、やるせなさでいっぱいでした。
今の状況は、誰がかかってもおかしくない状況にあると思います。
医療従事者でさえ、感染してしまうのですから。
それなのに、かかったことに対して批判をするのはおかしいと思うんです。
コロナ禍で経営のために何とか対策をして店を開いたり働いている人たちばかりなのに、営業するなとか誹謗中傷したりするのは、間違っていると思います。
みんな不安だからそうなるんでしょうね。。。
不安なのは、みんな一緒です。
こういう時こそ、人と人との支え合いが大事だと思います。
みんなで手を取り合って、支え合っていけば、このコロナ禍も乗り越えられると思っています。
私も、この経験を生かして何か貢献できればと思っています。
コロナ禍で苦しい想いをしている。。。そんな方はぜひ相談にも乗れますので、お声がけください!
いつでもお待ちしています!