ラジオとなりたい自分
この前いわゆる「ハガキ職人」といわれる人が書いたnoteを読んだ。
彼は友達と、恋愛経験が少ない自分自身をかなり卑下していた。
スクールカーストの三軍だったと。
キャラ付けや文章上の利便のためかもしれないが
今どきに言うと「自己肯定感」の低い人だった。
彼を知ったのはもちろんラジオだった。
ラジオ内の「ハガキのコーナー」という企画でよく読まれていたのだ。
とても面白いコーナーで、昨今スマホの普及やSNSの広がりから
ラジオ内で読むお便りをメールで募集することが多くなったことから、
あえてハガキを募集しようというコーナー。
1番好きなコーナーだからYouTubeで切り抜きを探して聴いてほしい。
なぜ面白いかというとメールとハガキでは「熱量」が違うのだ。
メールは無料、スマホで完結するが、
ハガキはまずハガキを買いに行かなくてはいけない。
そして手書きで文章を書き、
ハガキの大きさという実質的な文字数制限もある。
書き終わればそれを投函しに行かなければいけない。
ここまでの労力をわざわざかけるのだ。読まれるメールはすべて傑作だった
話がずれたので急な軌道修正をとらせてもらうと、
僕は「ハガキ職人」「クラスの三軍」「ぼっち」は大好きだ。
むしろそうなりたいとさえ思ってしまう。今は、の話だが。
決して馬鹿にしているわけではない。断じて馬鹿にはしていない。
これも今は、の話。
しかし文章上の利便のためもう少しだけ上記が信じられなくなる話を挟む。
僕は小中学校とかなり目立っていた。
小学生のころはサッカークラブチームのキャプテンをし、
学校内では体育委員会の委員長をしていた。
中学生のころは学級委員をしたり、定期テストで校内1位になったり。
自他ともに認めるクラスの一軍だったと思う。
…決して三軍を馬鹿にしたりしていない。
(実際このころは馬鹿にしていた、幼稚だった。)
しかしずっと友達に囲まれている状況に疲れたのだ。
将来を考える時間もなく、自分自身を見つめなおす気さえなかった。
そんなのんきに生きていた僕に、1人になる瞬間は突然訪れた。
高三になる直前。コロナの影響で1年以上の休校。
なんだかんだ最初は友達と遊びたくなったが、
受験生の歳。みんな勉強という2文字に囚われていた。
勉強の合間の休憩の時間など合うはずもなく
家で一人ラジオを聴くようになった。
そんなラジオで出会ったのがオードリーの若林。
彼はいままで僕が出会った人間の中で1番冷静な客観の目で
さらに冷酷に世の中を見ていた。
自分の言動にここまで臆病な人いるんだ、なんて最初は思ったが、
聴けば聴くほど、的を得ていて面白かった。
僕が幼少期から求めていた「賢さ」そのものだった。
いつからか彼を真似て外を歩いている途中にいろいろと考えるようになった
電車の中、スマホでゲームしたことしかなかったのに
人間観察するようになった。
そのうち若林の考えの深さにかっこよさを見出し
こんな人間になってみたいな、と思うようになった。
けど、彼の目の根源は学生時代だった。
自称クラスの三軍で一人の時間が若いころから多く、
時間をかけていろんなことを考えていた目なのだ。
だが幸い、僕自身まだまだ若い。
色んな事を考える時間はまだまだとれる。
だからこそバイトのない日は一人で散歩をするし
夜中ラジオを聴きながら起きている。
くそつまらない長文を読んでくださりありがとう。
これが横に友達を置き、冷ややかな目ではなく
独りの時間になにか考えるきっかけになっていたら嬉しいです。
ハガキには到底収まらない文量。
文章では伝えきれない熱量をお届けしました。