あの冬の匂いを、今でも覚えている
2022年12月、私は今でもあの冬の匂いを覚えている。朝は起きる時間ではなく、焦燥感と、不安を抱え、今日も何もできなかったと自己嫌悪に陥り、虚ろな気持ちで眠りにつく頃だった。夕方に起きては、まともな食事もせず、ただ何かはしておかなくてはと、夕暮れが空を包み込む時間になって、慌てて、暗くなっていく景色に追われるように近くの公園を散歩した。夜になって今日こそはと、自分の思考を詰め込んだノートを開いてはみても、とても向き合えるような状態ではなく、どこからともなく涙が溢れ、部屋の電気を消し、好きだった頃の自分が救われていた音楽を聴いて、変わってしまった自分をさらに責めた。一通り泣いた後、すっきりしたわけでもない、無に近い状態でSNSを開き、好きな俳優の最新投稿をチェックし、現実逃避をするように好きなドラマに夜通し没頭した。そしたらまた朝がやってきて、今日も何もできなかったと、前に進むこともできないまま、年だけをとっていくような、何の実にもならない時間を過ごしてしまったと、明るい鳥の鳴き声を聴きながら、自分の将来を恐れ、焦り、不安を抱えながら、なんとかまた、眠りについた。
本来ならば、自分らしくもない。そんな毎日が一年半以上続いていた。生まれて初めての状態に、途方に暮れていた。何をしても真っ暗闇の中から抜け出せなかった。
そんな自分を救ってくれたのは、紛れもなく、今日27歳の誕生日を迎える唯一無二の存在ーケイくんーだと伝えたい。
ケイくんは、まさに、私にとって''Heart of Gold''な人だ。私が2018年から幾度となく救われて、背中を押してくれたこの楽曲を体現しているような人間だった。
この人みたいな生き方をする人が、こんな価値観を持って努力している人が、そんな同年代の人がこの世に存在するんだと感動した。単純な数では表せないくらいの勇気をもらった。
今まで応援してきた人たちはみんな、自分がちゃんと頑張っていると胸を張って言えた状態の時に心が折れないように背中を押してくれたり、苦しい時に寄り添ってくれるような存在だった。けれど、ケイくんは、自分が一番嫌いな人間になっていた時に、頑張りたいのに何かが邪魔をして前に進むことを阻んでいた時に、私が生まれて初めて出会えた、自分を変えよう、という気持ちにさせてくれた存在だった。ケイくんを好きになってから、本当に人生が変わった。努力を何よりも大切にしているような勤勉な人間だった本来の自分にまた戻るきっかけをもらえた。何なら、その頃の自分よりも、ちゃんと自分の努力に自信が持てるようになった。自分のことを好きだと思える日が増えた。落ち込むようなことがあってもなるべく引きずらないように、これで人生が終わるわけではないと、切り替えて、ポジティブな気持ちで生きるようになれた。死ぬ気で頑張っていた時代ですらネガティブな人間だった私にとっては計り知れないくらい大きな変化だった。ケイくんに出会えてなかったら、今頃、自分はまだ、どん底にいたかもしれない。本気でそう思うくらい、私にとって、2022年の冬のこの出会いは、私の人生における大きな転機だった。
前置きがかなり長くなってしまったが、本ブログの趣旨は、次の通りである。
ケイくんを知ってから約2年が経ち、ケイくんがデビューしてから2回目の誕生日を迎えるこのタイミングで、改めて、自分がいかにしてケイくんに救われたのかを書き記すことで、感謝の気持ちを伝えたかった。そして何より、ケイくんは他の人に希望を与え、救うことのできる力を持っているようなアイドルであり、アーティストであり、そんな存在になり得る人間なのだと、世界中に叫びたいという気持ちを言葉に残しておきたくなった。
ケイくんを好きになるまで
ケイくんのことを知ったのは2022年10月中旬で、彼が25歳になった直後だと思う。きっかけはI-LANDを見たことだが、そこに行き着くまでの経緯がまた、ちょっと特殊な経緯だったように思う。
2022年当時の私はタイドラマやタイ俳優に夢中になっており、暇さえあれば、タイドラマを見てはハマり、出演俳優の活動を追うというようなオタ活をしていた。タイドラマはヒットすると、出演俳優が役に合った音楽パフォーマンスをしたりドラマのワンシーンなどを再現するなど、そういったショーをコンサート形式やファンミーティング形式で行うことがある。この年の夏にハマったドラマもまた、そういった公演をタイ本国で行っていた。続けて、ワールドツアーを開催することになり、絶対に行きたいと思っていた。残念ながら日本公演はなかったため、韓国公演に行くことにした。もしこの時、このドラマにハマらず、韓国公演に行くことがなければ、ケイくんのことを知ることはなかったかもしれないと、今振り返りながら思う。
なぜなら、この公演のために韓国に行った際に見かけたヒスンのセンイル広告がきっかけで、私はI-LANDを見ることになるからだ。
2022年10月15日、つまりヒスンの誕生日。お目当ての公演前日の朝に韓国に降り立ち、仲のいいフォロワーさんふたりと明洞で好きなタイ俳優の広告を見るために、電光掲示板の前に立っていた。韓国ドラマや韓国の俳優は好きでもKPOPは一度もハマったことがない私はひたすら流れるKPOPアイドルの広告を見ながら凄いな、流石だな、本場だ、と外野ながらに感心していた。一緒に行っていたフォロワーさんのひとりがKPOP好きで広告が流れる度にこの人はこんな人だよ、と説明してくれた。そんな中で、とある広告が流れた時に、その子に「たかちゃんこの人絶対好きだと思うよ!たかちゃんの好きな顔してる!」と言われた。それがこのENHYPENヒスンの広告である。
フォロワーさんに言われるがまま、ついつい動画を回してしまい、最後の5秒だけ収めることができた。その動画の中には「えっ顔……可愛いっ!!」と言ってる興奮気味の音声が残されている。しかし、この後、当時推しだったタイ俳優の広告が無事流れ、話題はあっという間に翌日に控えているタイドラマの公演へと移った。ちなみに、明洞で食べた本場の韓国料理は最高に美味かった。また行きたい。
ヒスンの広告を見た2日後には日本へ帰国し、公演の余韻に浸っていた。その日、私はENHYPENのMVを見ることになる。10月17日の深夜のことである。
この時期、かなりの高頻度で夜中に電話していた友人(JO・YUMA🖋️)がいるのだが、その友人もまた、当時夢中になっていたタイドラマにハマっており(何ならこの友人に布教されてハマった)韓国公演の感想を伝えるべく、電話していた。この時、話の流れで、一緒に行ったフォロワーさん(友人も繋がっていた)にこの人を勧められたんだよ、とヒスンのセンイル広告の話をしたのだ。友人はARMYで、KPOPにとても精通しており、ENHYPENのメンバーなのだということを教えてくれた。お互いENHYPENが気になってしまい、そのまま、深夜にENHYPENのMVを見漁り、これはヤバいぞ、と沼の予感を察知し、そのままメンバー紹介動画やケミ動画を見て、夜を明かした。気づけば朝になっていたので、一度寝た。翌日ヒスンを勧めてくれたフォロワーさんに事の顛末を伝えるとI-LANDという番組の存在を教えてくれたのだが、「たかちゃんあれ見たらこっちの界隈戻ってこなくなりそうだから見ないでほしい」と言われ、いやいやいや流石にそこまでハマらないよ!と思いながら、検索をし、巷では''鬱ランド''と呼ばれていることを知る。
しかし、結局、その日の深夜にはまた、ENHYPENのMVを見まくり、朝になる頃には友人とI-LANDを見るか、見ないか論争を繰り広げていた。
結局、この後すぐにI-LANDを見た。
I-LANDを見始める前に友人が「友達の推しの日本人が落ちたイメージが強い」といったことを教えてくれて、画像を送ってくれた時に、初めてケイくんのことを知った。そうなんだ、としか思わず、なんなら、顔が好みではないのでハマることはないな、とも言っていた。まさかこんなにもハマるなんて2年前の私は想像もしていなかった。
ENHYPENのMVを沢山見た私はジェイクの顔が好きだったこともあり、I-LANDを見始めた時はジェイクに注目して見ていた。そして、初回は何故だがウィジュに惹かれ、しばらくはウィジュを心の中の1pickとして見ることとなる。すぐにウィジュは今年新しいグループで日本からのデビューが決まってるんだよと友人が教えてくれたおかげで少しだけ心穏やかに見ることができた。友人はニキにドハマリした末にI-LANDを早々に最後まで見ていたので、私はゆっくり後を追いながら、友人のLINEに実況メッセージをちまちまと送っていた。
その中で、伝説のケイタキのシーンを目の当たりにした私は、居ても立っても居られず、友人にこんなLINEを送っていた。
自分の中ではケイくんに絶対ハマらない謎の自信があり、その頃の自分はそういう状態だったのだという固定観念が強く、友人とのLINEを見返すまで、こんなことを言っていたのを忘れていたくらいだった。なので、私自身もこのブログを書きながら驚いている。最初からもう好きになる伏線は張られていたのである。
見返すと初めてはっきりとこの人が好きだと言及したのはケイくんだったらしい。何ならケイくんのことが好きになったと2ヶ月後に友人に報告した際も「たかちゃんはケイだろうなって初めから思ってたよ」と言われた。私の中ではまさかすぎる展開だったのだが、周りからは案外分かりやすかったらしい。
だけど、私の関心はまだウィジュに向いていたみたいで、すぐにまたこのようなことを言っていた。
そして、さらに見進めていくと、今度はケイくんのことが少しだけ怖くなってしまったらしい。なんだかんだやっぱりケイくんのことは好きにならないだろうなと推しの候補から外していた自分がいた。
I-LANDをほぼ最後まで見た頃にはまた別のタイ俳優にドハマりしてしまい、だんだんと自分の中での優先順位が低くなっていた。また私はなぜか最終回を見ることができず、一気に最終回直前まで見たのに、最終回だけ見ることはなく、溜めたまま、11月を迎えることになる。
結局、この時はまだ&AUDITIONを見ることはなかった。ENHYPENの楽曲を運転中に流すことはあっても、その後しばらくは、やはり好きなタイドラマやタイ俳優を追っていた。そして、11月の終わり頃になって、友人から&TEAMのデビュー曲のMVが公開されたとの報告を受けた。見てみたら、もう、それは凄い衝撃だった。とにかく神曲だった。こんな強いデビュー曲、聞いたことない。感動していた。そのまま、11月28日の夜に友人からDARK MOONに関する報告も受けた。
Under the skinのMVを繰り返し見ている中で、とうとうメンバーを覚えようかなという気持ちになり、ビジュアルポスターに名前を入れながら、顔と名前を覚えるという遊びをしていた。タキの成長にかなり驚いており、この時ずっと友人に「タキちゃんは……タキちゃんは何処や……」といった限界オタクのようなことを呟いていた。ちなみに初めてメンバーを覚えた際、私はマキちゃんが気になっていた。なぜなら、顔が好きだったからだ。この時の私はマキちゃんの年齢を知らず、「マキくんリアコなんだけど🥺」と話していたのだが、すぐにマンネであることを知り、8歳も離れてる子にリアコは駄目だ、それは犯罪になってしまうだろ!!と抗った。他にもメンバーのセルカを見ながらユウマの顔が好きだな、と話したりもしていた。この時、本当に自分の中ではケイくんにハマる予定はなく、推すならケイくん以外のメンバーだろうなと思っていたし、友人にもそう話していた。I-LAND視聴初期の自分のケイくんへの気持ちはすっかり忘れていたわけである。ただし、事あるごとに、わざわざケイくんの話題を友人に自分から出していたこともまた事実である。
余談だが、自分は吸血鬼と狼人間のコンセプトが大好きである。特に月が絡んでくる創作物には昔から目がない。ENHYPENのコンセプトが吸血鬼であり、&TEAMのコンセプトが狼人間であることを知った時に、さらに沼の深みに落ちる音がした。そして、DARK MOONというコンテンツがあることも、それをモチーフにしたパフォーマンスやMVがあることもまた、自分の好みに深く突き刺さった。
友人にDARK MOONについて語られ、Under the skinのMVとENHYPENの世界観の繋がりに心が踊り、遂に&AUDITIONを視聴することを決めた。まだI-LANDの最終回も見てないというのに私は&AUDITIONを見始めた。
何故だが、すごく、&TEAMというグループに惹かれていた。このグループのことを好きになりたい、応援したい、という気持ちが漠然と芽生えていた。それほどまでに私はUnder the skinの曲に心を動かされたのだ。
この冬、本当にずっとUnder the skinのMVを見ていた。パフォーマンスも、歌も、音も、MVの演出も全てが最高だった。何回聞いても飽きなかった。気づいたらこの楽曲に救われていた。何よりもオーディションを見進めれば、見進めるほど、彼らの努力してる姿を目の当たりにして、聴きとる歌詞に深みが増した。とても魅力的な人たちだと思った。だけど、よりオーディションに夢中になる一つのきっかけがあった。それは、自己防衛の延長線上にあったものだった。
この時期、自分が特に本命として応援しているタイ俳優のふたりが年明け1月末に来日してファンミーティングをすることが決まっていた。私にとっての最優先事項だった。ファンミーティングだけでなく、VIPパッケージというものが存在しており、それに当選すれば、2泊3日のホテル滞在、俳優との撮影会、ファンミーティングS席確約、何よりもファンミーティング翌日に参加俳優全員と共に箱根へ旅行に行くバスツアーに参加できた。私はまだこの俳優たちに生で会ったことがなく、初めて日本に来てくれるということで何が何でも参加したかった。さらに、翌年の夏にイギリスに引っ越すことが決まっていたので、最後にこんなにも濃厚な思い出ができればきっと、それを綺麗な思い出として現場オタクを卒業できるのではないかとも思っていた。そのVIPパッケージは当選者が限られており、約30万円ほどかかるとはいえ、倍率が高かった。絶対に当たってほしかった。けれど、外れてしまったのだ。私はキャンセル待ちのリストに載せられた。入金期限が過ぎてからの連絡となるため、それまでは油断ならない。けれど、それも当たる保障がない。本当に辛かった。私は心の底から落ち込み、自衛の意も込めて、私は友人含むふたりとしか繋がっていない小規模垢以外のアカウントを全て削除し、&AUDITIONだけに没頭すると決めた。
(ちなみにタイ俳優のVIPパッケージは後日キャンセル待ちの末、無事に当選した)
とにかくもう全てを忘れて&TEAMのオタクになりたいと思った。この時の自分がどうして&TEAMにハマりたいと積極的に思ったのかは正直自分でも分からない。ただ何かに救われたかったのかもしれない。だけれど、あの音楽を表現するような人たちだからきっと、凄い人たちになるかもしれない、なんていう直感はあった気がする。何よりもこの時、見進めていた&AUDITIONの中のみんながきらきらと輝いていて、目が離せなかった。&TEAMに夢中になりたい、と思わせてくれるだけの魅力があったのだと思う。
この日の夜、私はYouTubeで&AUDITIONを朝まで見ることになった。その中で絶対に推しを見つけてやろうと決めていた。&TEAMではないが、最初はガクくんにかなり惹かれていた。けれど、&TEAMの中の推しがなかなか決まらなかった。
マキちゃんは惹かれていたけれど、年齢故に抗っていた。ユウマのパフォーマンスが好きだった。何ならみんな愛おしかった。&AUDITION全員でデビューしてくれ、なんて願い出した時もあった。それでも自分の理性を吹き飛ばす勢いで推しとして好きだと思える人が中々決まらなかった。みんな好きだった、だけど、自分の中の''特別''がいなかった。
どうしたものか、と思いながら、私はあることに気づいてしまった。ずっと、ひとりの人を、他の人とは違う熱量で、ずっと目で追っていた。それは私が絶対に好きにならないと断定しきっていて、推し候補から完全に外していた人だった。そう、I-LANDを見ながらちょっとやっぱり推しになることはあり得ないだろうな、と思っていたケイくんだった。
Under the skinのMVを初めて見た時からずっと私はケイくんの姿を無意識に目で追っていた。自分にとって、一番、魅力的なパフォーマンスをしていたからだ。だけれど、私は事あるごとに友人に「ケイがこんなことしてたんだけど!」と報告をしていた。それは好きだからとか気になってるからとかではなく単純に同年代としてどうなんだろうか、という視点で、話をしていただけだったのだが、気づいてしまったのだ。私は他の誰よりも、ケイくんに興味と関心があった。一番見ていたのはケイくんだった。
絶対に好きにならない、と心がストッパーをしていた癖に、どのパフォーマンスを見ても、踊っているケイくんの姿を見ていた。いつもLINEしている友人も寝ていたので、この日は小規模垢でひたすら実況をしていた。
そして、私はケイくんのことを好きかもしれない、と気づいた瞬間、焦り出し、何が起きているのだと、引き返した方がいいと、必死に自分の理性と戦っていた。もう手遅れだった。
私は駄目だ、駄目だ、チッケムを見たらおしまいになってしまう、駄目だ、と必死に自分に抗いながら、YouTubeでケイくんのチッケムを見る手が止まらなかった。初めてケイくんのチッケムを見た時、気づいた。これだ、と。自分が求めていたものはこれだったのだと、この上ない満足感を覚えた。無意識に惹かれていたくせに、勝手に我慢して、見ないふりをしていて、抗っていただけだった。自分は初めからずっと、ケイくんのことばかり見ていたんだと気づいた。まだ最終回を見ていないI-LANDのケイくんのチッケムも漁り出した。とにかく止まらなかった。こんなにも自分にとって最高のダンスをしてくれる人がいるのだと感動した。そして、そのまま、ケイくんのナイトルーティンの動画を見たりもした。可愛かった。このままじゃ、何もかもを放棄して、ケイくんだけに夢中になるんじゃないかって怖かった。そんな予感もしてたから、もしかしたら、抗っていたのかもしれない。分からないけれど。とにかく、自分にとって、ケイくんは私の思う一番かっこいい、見ていて気持ちのいい音の取り方と、身体表現をしていた。誰が一番上手いとかじゃない、ただただ、私にとっては、ケイくんのパフォーマンスが、私の理想そのものだった。
こんな風に抗っていたが、私はこの日、ケイくんのソロジャケCDを探しに出かけていた。ハマっていない、好きにならない、などと、口では言いながら、身体は車を運転していた。市内のCDショップを三箇所も回ったが、ケイくんのソロジャケは売り切れていた。初回限定盤を購入し、ケイくんのソロジャケは諦めようと思いながらも、流れるようにネットショップで買った。
その日の夜にショーケースは配信を遅れて、友人と一緒に見た。友人はじょ〜とユウマにハマり、何故か私は未だにケイくんに抗おうとしていた。口先ではどうとでも言えたけど、心は嘘をつけなかった。デビューショーケースでケイくんの姿を見た時に、まだ好きになって少ししか経ってないのに、きっと凄く、この場所に立つまでに、かなりの苦労と努力をしたんだろうな、ということが伝わってきて、泣きたくなった。Under the skinの歌詞が身に沁みた。Scent of youのケイくんを見て、理性が喪失して、あまりのかっこよさに感情が爆発した。とにかくかっこよかった。あの日の取材で愛嬌をして照れ笑いしているケイくんを見て友人と「照れ笑いしてる時のお前が一番可愛いよ!!!!」なんてことを叫んでいたことも覚えている。
この日のショーケースを見た後、私は遂に&TEAMのメンバーシップに加入した。自分のことは自分が一番よく分かる。私はケイくんのこと、きっと、かなり好きだ。だって、LUNÉ MEMBERSHIPに加入したのはケイくんが決め手だったからだ。
それでも尚、表面上では抗っていた形跡がある。どんだけ抗っていたんだよ、という話だけれど。
けれど、手遅れだった。何故ならあの日から私はケイくんのことを調べまくり、時間があれば、チッケムを見ては、過去の供給など全てを遡ろうとしていた。知れば知るほど、ケイくんは魅力的な人だった。何よりも努力の人だと知った。デビュー直後ということもあり、weverse liveもあったりして、供給を全部追っていた。そして、渋谷でポップアップストアがあることを知った私は、ケイくんのアクリルスタンドが欲しいという一心で、友人を誘った。
まだ抗ってるくせに、オタクだからしっかり売り切れないために、早朝で行くことを決めた。夜の遅い時間帯に行くことにしたため、圧倒的に睡眠時間は足りていなかったが、しっかりと翌朝、人通りの少ない朝の渋谷で無事に早い時間帯の整理券を手に入れた。そして、お目当てのアクリルスタンドも購入できた。そのまま、渋谷のタワレコに向かい、記念にCDをまた買おうかと決めた。既にケイくんのソロジャケは買っていたこともあり、また、人前ではまだケイくんを好きになったことを抗っていたため、レジに並びながら友人に「ソロジャケ買わないからね!」と言ってたくせに、レジに着いた瞬間、店員さんに「Kさんのソロジャケット盤を1枚ください」とお願いしていた。頭と心が噛み合ってない。
好きだと自覚してからまだ数日しか経っていないのに、FC加入し、ポップアップストアに行き、グッズやCDを購入する。このスピード感で誰かにハマったのはかなり久しぶりの出来事だった。不思議な気持ちにもなりながら、同時に、ケイくんのグッズを初めて手に入れられたことがとても嬉しかった。
この日は勢いで日比谷のミッドタウンのイルミネーションを見に行き、友人と一緒にアクスタで写真を撮ったり、Kポーズをしながら自撮りを撮ったりして、ハマりたてのオタクの新規ハイを堪能していた。めちゃくちゃ楽しかった。謎に日比谷から秋葉原まで歩いて帰った。
こういう新鮮な気持ちになれたのは、久しぶりのことだった。誰か応援したい人を好きになって、純粋な気持ちでわくわくできることが嬉しかった。まだ好きになってすぐだけど、なんとなく、直感で、ケイくんのことは長く応援するんだろうと感じた。それは私がもう応援し始めてから7年目になる登坂広臣こと臣ちゃんを好きになった時とかなり同じようなハマり方をしていたからだ。
臣ちゃんを好きになった時も、急にハマり、数日間の間にFCに入り、過去のライブCDを全て揃え、そのままその年に行われたソロツアーをほぼ全ステ(20公演ほど)した。そんな勢いで好きになった。私は元からハマりやすく、推しが増えていたタイプのオタクだったのだが、その中でも継続して、同じ熱量で長い期間応援し続ける人は限られている。そういう意味では臣ちゃんは特別だった。それも、好きになった瞬間に、あ、この人は他とは違うな、長く続くな、と直感がある。そういう直感を覚えた相手は臣ちゃんだけだった。実際、その後、今もずっと応援してるわけだが。そして、私はそう思う相手はきっと後にも先にも臣ちゃんだけだと思っていた。だから、ケイくんを好きになった時に、同じような感覚を覚えた時に本当に驚いたし、戸惑いが隠せなかった。あぁ、多分ケイくんのこと、これ以上知ったら、戻れなくなりそうだなと感じた。臣ちゃんもケイくんも、共通して、何か大きなきっかけがあったわけではない。気がついたらそういう存在になっていた。自分にぴったりハマる理想の歌を歌う人と、理想のダンスをする人。彼らの音楽、音楽観、考え方、人との接し方、努力する姿勢、生き方、価値観など、そういうのが全部、自分にとっては尊敬できる人たちだった。私のことを知っている人に、ケイくんは臣ちゃんと同じハマり方してる、と伝えると、それは大きいことだなと、思われるようなことだった。
この後、ケイくんが元EXPG生であることを知り、それもまた縁だなと実感することとなる。そして、2024年現在、ケイくんの学生時代の憧れの一人が臣ちゃんだったと知り、これもまた、運命的な繋がりだなと感じざるを得なかった。なぜなら、私にとっては、ケイくんも臣ちゃんも同じだけ大きな存在で、私の人生に多大なる影響を与えてくれた人たちだからだ。
長くなったが、&TEAMのKというアイドルを知り、好きになるまでの事の顛末は以上である。
ケイくんを好きだと自覚するまでのスピード感はあっという間で、今でもよく、あの時期のことを思い出す。何かに夢中になって、音楽で心を動かされることが幸せで、前向きな気持ちになれた。ケイくんのことを毎日知っていく中で、Under the skinを披露する時の舞台上の彼の姿が日々、鮮明になり、この曲を聞く度に、鼓舞されていった。あの冬、私は外を散歩しながら、何かが変わるような、心が洗われていくような、そんな澄んだ気持ちで、Under the skinを聴いていた。変わらないと思っていた日々の中で、一曲の出会いによって、新しい自分を呼び醒す一日がたしかにあった。私はずっと、ありのままの自分自身を認めてあげたかったのかもしれない。あの冬の日、マフラーに顔を埋めながら、&TEAMの最初の共鳴を聴きながら、ちょっとだけ泣いた。その時の感情も、冬の匂いも、情景も鮮明に覚えている。私はUnder the skinを聞く度に、あの頃の自分を思い出す。
そんなあの頃の自分にとって、いかにケイくんが私を救うような存在になったのかを具体的に書こうと思う。
ケイくんの存在に救われた理由
個人的な話になるが、私はとても負けず嫌いで、努力をすることにとても意味を見出しているような人間だ。失敗はしたくないし、設定した目標は絶対に達成したい。誰よりも努力をして、良い成績を収めて、良い評価をされたい。それが頑張る原動力だった。それは、誰でもない自分が、そういう自分を好きだったから、そういう自分を誇らしく思うことができたから、そう在りたかった。そういう理想の自分でいられたのは高校生から大学を卒業するまでの間だった。
中学時代は悔しいこともあり、自分のことを下に見てきた人たちを見返すためにも、絶対に自分の第一志望の大学に入ってやろうという気持ちがないわけではなかったが、それ以上に、自分が入りたい大学に入って、思う存分好きな勉強をしたいという気持ちから、高校時代はほとんどの時間を勉強に捧げていた。
自分の第一志望は難関と呼ばれる国公立大学の一つで、その時の自分の成績だと、かなり努力をしないと入れないような大学だった。特に自分の志望学部は倍率も偏差値もその分野においては高く、努力が必要不可欠だった。幸い私は1年生の頃から第一志望に絶対入ると進路を定めていたため、ひたすら、そこに向かって一直線頑張ることができた。自称進学校だったので、スマホは使用禁止だったし、放課後課外もかなりある高校だった。何なら勉強だけをとことんやる合宿もあった。高校3年生の年は1日12時間勉強していた。朝8時にバスに乗りながら勉強をして、休み時間も勉強して、放課後課外をやり、その後20時まで勉強した。GWも夏休みも登校して、秋には勉強合宿に行き、毎日12時間の勉強を継続し続けた。私は初めから志望大学の公募推薦を狙っていたので、校内のテストも真面目に受けており、文系科目は特にいつも学年1位~5位の間を維持していた。クラス1位も何度も取ったことがある。無事に私は公募推薦の枠を手に入れて、大学に受かった。推薦の試験もかなり難しく、勉強や対策を要するものだった。この頃の先生方は一般受験で実績を出してほしい気持ちが強く、推薦入試の対策をしようとすると、そんなものに時間をかけずに放課後課外の課題をやれとプレッシャーを与えてくることもあったが、私はそれをやったら失敗すると思い、幸にして仲の良かった担任の先生にお願いして、自分の入試の1ヶ月前は図書館にこもってひたすら対策をした。推薦入試自体、自分の中の理想に届かず、絶対に落ちたと思い、翌日から合否が分かる日まで忘れると誓い、苦手な数学のセンター試験の問題をひたすら解いていた。実際に受かったと知った時は、人生で一番嬉しかった。大学に行くために自分に合った高校を選んでいた中学3年生の時期から努力し続けてようやく、一つの夢が叶ったからだ。同時に、推薦入試に合格した人は楽をしたという偏見が持たれてしまうような世界でもあったので、そう思われないように、受かった翌日からセンター試験の日まで同じルーティンで勉強し続けた。何故なら、ちゃんと志望大学の志望学部の一般試験を受けるための合格点を取りたかったからだ。無事にセンター試験でもその目標を達成することができた。
大学に入ってからもまた、アルバイトやオタク活動、サークル活動も楽しみながら、必死に勉強した。一度も単位を落としたことがなかったし、成績も一定のものを保っていた。3年生になって、ゼミに参加するようになってからも、優秀な学生だと指導教官からはそういう評価を受けていた。何よりも大学4年間、ずっと、教授たちからの評価が良かったことが嬉しかった。父親が同じ大学の教授だということもあり、他の教授からは自分のことが元々知られていた。事あるごとに父親があの先生が褒めていたよ、と伝えてくるので、絶対に失敗できないな、単位を落とすなんてできない、などと、そういうプレッシャーも感じ始めていたのも事実だった。
特に私は色んなことに興味があり、大学卒業後に何をしたいのかをまだ、じっくりと考えられていなかった。就活をするか、親の勧めるように大学院に進学するか、どうするか悩んでいた大学3年生の終わりの時期に、コロナ禍を迎えた。就活をするような余裕はなく、だからといって、大学院に行くモチベーションもなかった。大学を目指していた頃は明確な目標があったが、あの頃の私はただ、自分の属している社会の常識から外れたくなくて、親や教授の期待を裏切ることが怖くて、何よりも自分自身がその当時''失敗''だと捉えているような選択を取ることが怖かった。
とにかく、周りの''普通''に当てはまるような進路に進まないといけないという強迫観念を自分に強いていた。今思えば、あの頃の私はもう、燃料切れだった。
結局、大学を目指していた頃のような目標もないまま、とにかくどこかに属していたいという一心で、大学院に進学した。コロナ禍ということもあり、同級生のほとんどは就職した。私のゼミには同期が一切おらず、博士課程の先輩や私から見たら頭の良い先輩が所属するゼミに一人ぽつんと参加していた。大学の頃よりも急激に進んだ理論的な話についていけなかった。それが1年生にとっては普通のことなのかもしれなかったが、当時の私はコロナ禍によるオンライン授業でキャンパスには行けず、相談できるような同期もおらず、自分の実力の立ち位置を見失っていた。その頃、家庭内でもストレスのかかるような出来事があり、心がだんだんと折れていくのを感じた。それでも無理やり、''失敗''しないように何とか頑張った。けれど、多分もう、限界だったんだと思う。
2021年の冬に生まれて初めて単位を落とした。それが私の人生における初めての明確な挫折だった。自分にとってはそれほどまでに大きな出来事だった。できると思い込んでいたことが、できなかった。努力をするための燃料も底を尽きていた。周りからは大丈夫だよ、と言われる度に苦しくなった。自分で高いハードルを設定してるだけだ、理想が高すぎる、と親にも教授にも励ましのように言われたが、私はそうやって自分に目標を設定することで、理想の自分になりたくて、必死にやっていたから、自分を否定されたみたいで苦しかった。どうしたらいいか分からなかった。だんだんと、修士論文を書くことが嫌になっていた。講義を受けたり、ティーチングアシスタントをしたり、後輩の卒業論文を指導することは楽しかったけれど、自分が自分の修士論文と向き合おうとノートを開こうとすると、頭が真っ白になって、息が苦しくなって、涙が止まらなくなる状態が続いていた。けれど、親にも教授にも大丈夫なのかと聞かれる度に、できない、挫折してる、という自分を認めたくなくて、失望されることが怖くて、大丈夫だと答えていた。だけど、本来の修士論文の提出数ヶ月前となった2022年の夏に、とうとう、爆発して、親に何もかもを話した。もう大学院を自分のメンタルのためにも辞めようと思った。だけど、辞めたらきっと後悔するような気もして踏み出せなかった。教授に相談したら、とりあえず、論文以外は辛くないなら、単位だけは取り切ってみて、そこから休学なり在学年数を増やすなりして、考えるのはどうだろうかと提案され、そうすることにした。それでも中々、自分の中では割り切れなかった。ティーチングアシスタントをしていると、大学生の後輩から「尊敬しています」などという褒め言葉をもらうことがあった。私は私のことを全く凄くない底辺の大学院生だと思っていたから、どうしてそんなことを思うんだろう、と不思議に思った。自信を完全に失っていた。大学の卒業旅行で同期に「たかは一度失敗を経験した方がいい、じゃないとずっと自分で自分の理想に苦しめられそうで心配だよ」と言われたことがあった。私はその時、なんでそんなことを言うんだよ、と内心苛立っていた。自分の理想に向かって努力することで、目標を達成することに誇りを持っていたから。だけど、今なら分かる。あの頃の私は『失敗したら終わり』だという思考に囚われていた。失敗しても終わりじゃないと、もっと早く気づけていたなら、また違ったのかもしれない。けれど、あの頃の私はもう、思うように修士論文を書けない自分に失望していたんだ。
&TEAMを知る直前の時期は本当に深夜眠れずに、何の進捗も生み出せないまま朝を迎える度に親の寝顔を見て、情けない人間だと泣いていた。あの頃、毎日のように電話してくれていた友人には本当に感謝している。精神的な面でかなり救われていた。けれど、朝になれば結局、また何もできなかった自分を実感して、そのまま、眠るのが怖くなって、私将来どうなるんだろうと、怖い気持ちのまま、また一日の始まりであるはずの時間に、一日の終わりを迎えたいた。
大学時代の同級生が就職をして、経験やキャリアを積んでいく中で、私は一体何をしているんだろう、と怖くなって、虚しくなって、劣等感を覚えた。だからといって、どうしたらこの状態から抜け出せるのかも分からなかった。今思えば、大学卒業してから一年くらい、好きなことをして休んでから大学院に進学しても、何も失敗したことにはならないのに。社会の同調圧力と、自分の勝手に決めつけた理想に振り回された結果だった。
&TEAMのUnder the skinと出会って、ケイくんを好きになったのは、自分がそういう状態の時だった。人生の暗黒期に出会えたのがケイくんだった。大学院でもがきながらも、アルバイトやティーチングアシスタントの給料で、推し活をしていた。今思えば、現実逃避の側面が強かったんだろう。その状態から脱するような後押しをしてくれる存在にはなかなか出会えず、ただ、辛い気持ちを一時的に忘れさせてくれるように、色んなものにハマっては、現場に行って、何とか楽しい気持ちも忘れずに生きていようとした。
ケイくんが、初めてだった。本来の自分に戻れるように、背中を押してくれるような存在はケイくんだけだった。
ケイくんのことを知れば知るほど、努力の人だと知った。1歳年上のケイくんが高校時代、マラソンの強豪校の選手だったと知って、自分が必死に何時間も勉強に打ち込んでいた時期にケイくんはマラソンに全力で打ち込んでいたんだなと思ったら、何とも言い難い親近感を覚えた。大学推薦まで貰っていたのに、それを蹴って、陸上選手ではなく、自分の夢を追って、アーティストになることを決めたケイくんが、大学を卒業する時に、クリエイティブな道に進みたいという気持ちを抑えて、自分のコミュニティの中における''普通''の進路を選んだ自分にとって、眩しく思えた。I-LANDで最後まで行ったのに落ちた後も諦めずに努力し続けたケイくんの姿勢と、パフォーマンスの成長に、心を揺さぶられた。たった1歳しか違わないのに、いや、そんなふうに、同年代だからこそ、背中を押されたのかもしれない。そういう生き方をしているケイくんが私に勇気をくれた。何よりも、ケイくんは自分の努力を誇らしく思っているように見えた。自分のやってきたことを卑下するようなことはしない人だった。今まで努力してきたことを、そんな自分自身を、否定しないような人に思えた。
私はそんなケイくんを見て、自分は、自分が大学院でできなかったことばかりを評価して、できるようになったこと、成長したことを全然見てあげられなかったことに気づいた。ケイくんを好きになってすぐの頃、他大学の学生を含め、大人数を大学院生として指導する機会があった。その時、ケイくんを好きになったおかげで、大学院生として初めて、自信が持てた。頑張り続けたからこそ、定着した知識や物の見方が身についていると実感した。少しだけ、頑張った自分を愛してあげることができた。
2023年になって、オフイベのレポなどが流れてくるようになってからは、よりケイくんの考え方を知ることができた。一つ、ずっと印象に残ってるのは、ケイくんが心が折れそうな時にどうするかといったようなことを聞かれて『逆境に感謝』と言ったことだった。私にとってはかなりの衝撃だった。挫折しても終わりじゃない、失敗してもそこで全部終わりじゃない。そういう視点を私は持っていなかった。烏滸がましいのは自覚しているが、努力に対する価値観や生き方、姿勢はかなりケイくんと似ている部分があるなと感じていた。だからこそ好きになったとも思っている。けれど、''挫折''や''失敗''に対する考え方が私にとっては未知のものだった。この視点を与えてくれて、私の視野を広げてくれて、生きやすくしてくれたのは間違いなく、ケイくんのおかげだ。
これは2023年1月当時、ケイくんを好きになって1ヶ月経った頃の私のツイートだ。当時の私がどれだけケイくんに精神的に救われたのかが表れている。
ちなみに、私はケイくんの名字がとても好きなので、鍵垢や友人との会話では''古賀''呼びをすることが多い。それ故、このツイートたちにおいては''古賀''と呼んでいるが深い意味はない。
ケイくんのおかげで、今の自分がある。
そう言っても過言ではない。だから、ケイくんには本当に感謝している。何よりもケイくんのパフォーマンスを愛している。けれど、その根底にあるのは、きっと、ケイくんの努力する姿勢や、生き方だと思う。ステージ上のケイくんを見て、パフォーマンスをしているケイくんを見て、失望したことは一度もない。いつだって真摯に、全力で、音楽を届けている。自分の悔しさと向き合い続けている。いつも、ケイくんは、ケイくんの思い描く理想に向かって、努力している。それらが全部、反映されているダンスをする人だなと感じる。私にとって見てて気持ちのいいダンスをすることは勿論のこと、その上で、ケイくんのパフォーマンスは、彼の努力の結晶そのものだと思う。
私は努力をすれば必ず報われるとは思っていない。けれど、努力をしなければ、報われる可能性すらない。成功するには努力は必要不可欠だ。失敗をしても、それでも、頑張れるかどうか、その失敗をどう活かすか、そこが大事になってくる。失敗した瞬間は悔しかったり、恥ずかしくなったり、そういう自分が耐えられなくなったりするかもしれない。だけど、そういう自分と向き合えた者だけがその先に進めるんだと思う。ケイくんはそういうことを教えてくれた。
おかげで私は、失敗を受け入れることができるようになった。失敗をしても、それは、成功への過程の一部に過ぎないのだと、捉えられるようになった。そうしたら、ポジティブな気持ちで物事に向き合えるようになった。何かに追われるように、焦りながら、強迫観念にとらわれて頑張ったいた時期よりも、今の方がよっぽど楽しい。堂々と、自分のことを好きだと思える。変わるきっかけをくれたのはケイくんだ。
ケイくんの存在
『月を見ると、なんか泣けてくるんですよね』
中学生時代、塾終わりの駐車場で理科の先生の横で突然そんな言葉を呟いたことがあった。そんなことを思った当時14歳だった自分の感情の全ては思い出せないけれど、その頃から変わらないことはたしかにある。月を眺めていると、なぜだか気持ちが和らいで、今を生きようと思える。夜空に浮かぶ月は毎日表情を変える。見る場所によっても違った顔を見せる。きっと、今までの人生で、同じような月を見たことは一度だってない。けれど、知っている人も、生まれ育った場所も、生きてきた時間も違う、もしかしたら、文化や常識までも違うような、知らない人も、きっと、世界中にいる人たちが、同じ月を見ているかもしれない。私とは違う感情でこの球体を眺めているかもしれないし、私とは全く違うような見え方をしているかもしれないけれど、少なくとも、同じ月を見ている。そう思うと、途端に、世界の広さを実感して、自分の悩みが小さなものに思えて、自分はひとりじゃないんだと、頑張って生きよう、と思えた。月を見て怖いと感じたことは一度もなく、ただただ、月をこの目で見る度に、自分がこの宇宙に生きているのだと実感させてくれる宇宙の神秘を感じて、世界中の人たちが同じものを見ているかもしれないって奇跡みたいことだなと思って、ひとりじゃないんだって、生を実感して、明日を生きるエネルギーを与えてくれた。ひとりで月を眺めている時、私は孤独ではないと思える。もしかしたら、同じ瞬間、同じように誰かがひとりで月を見ているかもしれないと、月の存在が、気づかせてくれるからなんだと思う。私にとって、月は手を伸ばせば届きそうなのに届かなくて、だけど、変わらずにそこに在って、毎日変わりゆく人生に寄り添ってくれる、そんな存在だ。
そんな私は今、月を見ると、ケイくんを思い出す。
この世界のどこかで、今この瞬間、ケイくんが夢に向かって頑張っているのだと思うと、自分も自然と、頑張ろうと思える。今は2万キロも離れているし、日本にいた時みたいに、行きたいライブに全部行けないし、会いに行きたくても、気軽に会えない距離にいるから、それが苦しくもなるけれど。だけど、月を見れば、ケイくんに想いを馳せることができる。繋がってる世界のどこかで、ケイくんはきっと、諦めずに夢を追っている。それだけで、救われる気持ちになる。
ケイくんを好きになって変わったこと
ずっと日本で生まれ育って、他の国で生活したことがない私は、日本から離れたくなかったけれど、一歩踏み出して、環境を変えればきっと、何か前に進めるんじゃないかと思った。ケイくんを好きになるまではもう、大学院を辞めて、日本を離れてしまおうと思っていたけれど。大学院を辞めることをやめて、修士論文を時間かけてでも提出をして、同時に日本の外で頑張ってみよう。推しに会えなくて辛くなることも増えるだろうし、日本での生活が大好きだからきっと環境に適応するのにも時間がかかるだろうし、友達にも会えなくなることが苦しくなるだろうけど、でも、それでも、自分を変えたくて、I-LANDで韓国に渡っていたケイくんのことを見習って、頑張って、自分のために、イギリスに来た。
ケイくんを好きになった初めての年はままならないことも多くて、背中を押されたとはいえ、すぐに何かを変えられたわけではなかったけど、パウプリに行ってからは、かなり、手応えを感じる出来事が増えたのも事実だ。
第一に、自分の能力を活かせるような興味のある分野の仕事に就くことができたこと。そこで社会人としての経験を積み始めることができたこと。まだ1年目なのに貴重な経験もたくさんさせていただけたこと。社会人として自分の稼ぎで日本に戻ってケイくんにたくさん会えたこと。
第二に、物心ついた時から矯正できなかった深爪を克服することができたこと。ずっとコンプレックスだった深爪で、人前で爪を出すことが恥ずかしかったけれど、ふと、パウプリに行く前にこんな爪嫌だなと思って、人生で一度も成功しなかった育爪を始めて、今では自爪を褒められるくらいの形と長さにできたこと。
第三に、今年の5月からジムダイエットを始めて、12kg痩せたこと。コロナ禍と修論、国外引越しのストレスでかなり太った中で、今年ようやく食事管理とジムでの筋トレを始めて、継続できている。まだまだ理想の体型には遠いからこのまま頑張り続けたい。さらには、長年走ることが大嫌いだった自分がランニングの趣味に目覚めた。人生で一度も継続して5km走れたことなんて出来なかったのに一度だけできたこと。今では毎週日にちを分けて最低でも10kmは走るようにしている。
今年、無事に修士論文を提出できれば、ここにさらに加わる。ケイくんの存在が、こんなにも、私を鼓舞してくれた。救ってくれた。本当に感謝している。
今は心が折れそうな時や、諦めそうになる時にいつも、ケイくんならきっと頑張り続ける、と自分に言い聞かせて、努力を続けている。ケイくんのおかげで、今までの自分と比べたら、かなりポジティブな人間になることができた。
私が度々、ケイくんは私にとって恩人なのだと話すのは、こういった経緯があるからである。
今年の縁DAYでケイくんの手紙の言葉を聞いた時に伝えたくなったことを改めて、ここに書き残しておこうと思う。
27歳になったケイくんへ
ケイくん、お誕生日おめでとう。
こうしてまた、ケイくんの誕生日をお祝いできることに幸せを感じています。
好きになった時はまだ25歳のケイくんだったけれど、まさか、こんなにも早く時間が過ぎるなんて思わなかった。ケイくんも27歳になった瞬間に「27?それは嘘」って言ってたけど、私も信じられないなと思う。何なら自分がもう数ヶ月後に26歳になることも信じれない。思い返せば、デビューからあっという間だなとも思うし、2年しか経ってないと思えるような濃厚な時間でもあったなと思う。
私自身の人生も変わっていく中で、毎日諦めずに頑張れたのは、ケイくんの存在があったからだと思う。
デビューから誰かをこんなにもがっつりと応援したのはケイくんが初めてで、毎日、現在進行形で、新しい姿を変わらずに見せてくれるケイくんのおかげで、私の毎日は彩られてます。
自分の人生と並行して、ケイくんたちのアイドル活動があって、当たり前に、自分がこんなことをしていたこの時期にはケイくんたちはこういうことをしていた、それをその時の自分はこんなふうに楽しんでいた、感じていた、と自然と、私の思い出の一部になっています。
音楽は、いつ、どういう状況で聴くのかによって、全く違った受け取り方や感じ方ができるものだと思う。だからこそ、私は、その時にしか生まれない感情が直に届くような生の音楽を浴びることが好きだ。だけど、生の音楽に限らず、届けられた音楽で、私は救われている。ケイくんを好きになってからの毎日を振り返ると、当たり前に、ケイくんの存在がどこかに在って、いつもいつも幸せだなと感じられて、そういう人を応援できてることがとても誇らしいって思える。
好きになってよかったって、この人は絶対良い人なんだろうなって、自分に良い影響を与えてくれるような人だって、そう簡単には思えないのに、ケイくんはいつも、そういう気持ちにさせてくれる。
26歳のケイくんを応援する中で、たくさんの思い出ができた。
初めての&TEAMの単独ツアーで見たケイくんは凄く幸せそうだった。舞台上で輝いている姿も、心の底から笑ってる姿も、愛おしかった。ケイくんが舞台をすることが好きなんだと改めて気づいている様子に、胸がいっぱいになった。私も舞台上で活き活きと音楽をしてるケイくんが大好き。
ツアーが終わってすぐにラヴィット!を初めとしたバラエティ出演が増えた。最初は見ながら緊張もしたけど、気づいたらケイくんはとても、バラエティ現場に馴染んでいて、今では金曜日のシーズンレギュラーになった。めざましテレビのエンタメプレゼンターとして、愛されている姿にも、元気をもらえた。
好きになった時から願っていたドラマ出演も決まって、嬉しかった!ケイくんが台詞に音をつけたら演じられるかもといった話をしてるのを知って、その感覚に驚かされた。音楽で表現する人が芝居をするとそういう捉え方もできるのだと自分にはない視点に気づかされた。TGCの王子様のステージと死神役のケイくんのお芝居を見ながら、きっとケイくんはミュージカルでのお芝居がとても似合うのではないかと思うようになった。私はケイくんの楽曲によって表情や表現を変えて、自分の個性を残したつつも、自分らしく憑依して、踊る姿が大好きだ。だからこそ、きっと、ミュージカルが似合うんだろうなと思った。
ホールツアーに続いて、&TEAMの初アリーナツアーも完走した。名古屋公演のオーラスで、もっともっと欲が湧いてきた、と話すケイくんを見て、まだまだこの人の理想は先にあるんだろうなと実感して、これからのケイくんの姿がより楽しみになった。ケイくんが前にインタビューで『自分に納得したことは一度もない』『舞台の自分を見て毎回悔しいと思う』って話してたのを読んだ時から私はケイくんがいつか自分の思い描いた理想を叶えて自分に心底納得した時のその姿が見たいという思いからも、ケイくんを応援してる。ケイくんの夢を追う過程をリアルタイムで応援できる幸せを噛み締めている。
同時に、アリーナツアーでのケイくんを見て、やっぱり音楽を全身で浴びて、届けている時のケイくんは宇宙で一番かっこいいなと思った。ケイくんのそんな姿を見ている時が何よりもの幸せだ。
そして最近になるが、26歳の最後には上海に渡って、monclerのファッションイベントに参加するケイくんが見れた。世界中の有名な方々とコミュニケーションをとったり、写真を撮ったり、それでいて、自分を崩さずに、ケイくんらしく、そこにいる姿にまた、この人は本当にかっこいい人だなと実感した。
正直、ここには書ききれないくらい、沢山のケイくんを見ることができたと思う。特に今年はDM機能が始まり、事あるごとに、ケイくんが近況や自分の気持ちを伝えてくれたことで、より、日々の原動力になってくれた。こんなの、当たり前じゃない。だからこそ、毎日ケイくんに感謝することをやめられない。
私がケイくんに求めることは、そんなに多くない。
ケイくんのやりたい音楽をやって、叶えたい夢を叶えて、生きたい人生を生きること。ケイくんの思う、ケイくんらしさを、貫いてほしいということ。ケイくんのやりたいことがずっとできるくらい、元気でいてくれること。
突き詰めるとこんな願いばかりで、他はあまり思いつかないんだ。私はケイくんの作りたい音楽が見たいし、届けたいと思ってるものを、自分なりに感じてみたい。これからもケイくんの生き方を目の当たりにしながら、どんな音楽を奏でるんだろうとわくわくして、毎日を生きてたい。
きっと、苦しいことも、辛いことも、あるんだろうなって。伝えたくても届けられないこともある世界だと思う。ただ、綺麗なだけでは済まない、他者の悪意に曝されてしまう場所で、輝こうとしてる人だ。そこで、自分らしく立ち続けるのはきっと、簡単なことではない。芸能人に向けられる悪意にまみれた刃を見る度に、どうか、どうか愛の言葉だけで、その心を溢れるくらいいっぱいにしていておくれ、と願ってしまう。
今年の8月末、私はこの曲を聴きながら、ケイくんのことを考えていた。
私はただ、ケイくんが、一瞬でも多く、幸せだと感じられる瞬間があればいいと、そんな願いを込めて、27歳のケイくんのことも、応援していく。
アイドルは私にとって、救いであり、原動力であり、尊敬できる存在であり、胸を張って会いに行きたいと思う、自分を鼓舞してくれる存在だ。アーティストとアイドルは私にとって、そう簡単に分けられるものではなく、アイドルは、あくまでも、自分にとって、''理想の存在''であるという定義でしかない。だから、好きなアーティストが自分にとってはアイドル的な存在であると言えてしまう。そういう前提で、次の言葉を、ケイくんに贈りたいと思う。
ケイくんは、私にとって、かけがえのない、宇宙で最高の、アイドルだ。いつも、私の一番の原動力でいてくれてありがとう。
同じ時代に生まれてきてくれて、ありがとう。
ケイくんをこうして、リアルタイムで応援できている今が本当に心の底から幸せです。
何よりも、ケイくんを応援できていることが私の人生における誇りのひとつです。そう思わせてくれて、ありがとう。
絶対、いつか、世界のスーパースターになれるよ。
ケイくんにとって、実りある、充実した27歳という人生の1ページとなることを祈ってます。
P.S.
ケイくん!!!!!!!!!!!!!
本当に!!!!!!!!!!!!!!
心の底から!!!!!!!!!!!!
大好きだよ!!!!!!!!!
ありがとう!!!!!!!!!!!!
たか