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リサイタル終演のご報告

11/22、王子ホールでの「渡邉公威テノールリサイタル」、無事終演致しました。
当日は、雨模様の中、沢山のお客様にお越し頂きました。
誠にありがとうございました。
また、スタッフの皆様には大変お世話になりました。
どうもありがとうございました。

さて、今回のプログラムは下記の通りです。

薔薇(F.P.トスティ)
夢の時(F.P.トスティ)
アブルッツォのギターの調べ(F.P.トスティ)
夢に来ませ(F.リスト)
《ペトラルカの3つのソネット》(F.リスト)
 「平和が見つからず、さりとて戦う気にもならず」
 「祝福あれ、あの日、あの月、あの年」
 「僕はこの地上で天使の姿を」

歌劇《ファウスト》より「この清らかな住まい」(C.グノー)
歌劇《マノン》より「目を閉じれば(夢の歌)」(J.マスネ)
歌劇《エロディアード》より「さらば、儚き世界よ」(J.マスネ)
歌劇《椿姫》より「燃える心を」(G.ヴェルディ)
歌劇《マルタ》より「夢のように」(F.フロトー)

[アンコール]
忘れな草(クルティス)
プジレコの漁師(タリアフェッリ)
オ・ソーレ・ミオ(ディ・カプア)

今回のリサイタルでの要となった、リストの《ペトラルカの3つのソネット》は、学生時代、師匠の田口興輔先生が新宿文化センター大ホールでロレンツォ・バヴァーイのピアノでのリサイタルで演奏されたのを初めて聴いて、自分もいつか歌ってみたいと思い、初めて歌ってから10数年かけて数回ステージに乗せつつ、その度、試行錯誤して取り組んできた曲で、今回のリサイタルでは特に思い入れの強い曲です。
中世イタリアの大詩人フランチェスコ・ペトラルカの目で見た、あるいは感じた、「ラウラ」という女性への憧憬、その700年前の光景をモノクロやフレスコ画ではなく、カラー写真のように声で再現できることを目指しました。

僕が一番好きなのは、3曲目「僕は地上で天使の姿を」の最後の部分で、

「愛が、知性が、美徳が、憐れみが、そして悲しみが、泣きながら甘美な響きをかなでたのだ。
この地上で聴く、ほかの何よりも甘美な音を。

そして大空は、そのハーモニーに深く聴き入った。
枝の葉さえも、全く動く気配を見せないほどに。
それほどの甘美さが、大気と風を満たしていたのだ。」

このところが、4年前に演奏した時、イタリア語のテキストを読んでいて、鳥肌が立った時があって、700年も前のことなのに、今、ペトラルカの目や肌でその光景や空気感を感じたように思えたのです。
この時に、もっとこの映像を基点に、この曲を表現してみたいと思い、今回、再びリサイタルで取り上げることにしました。

お客様はどう感じられたか分かりませんが、今回の演奏では、「絵」ではなく「カラー写真」に近く歌う表現を切磋琢磨できたのは、一つの収穫でした。

この《ペトラルカの3つのソネット》の、落語で言えば枕になりますが、フランスを代表する詩人ユーゴーの詩による「夢に来ませ」をカップリングしました。
これは、《ペトラルカの3つのソネット》の元ネタとなるペトラルカの代表作「カンツォニエーレ」という詩集の中にある一作に、ペトラルカの枕元に夢の中でラウラが現れる、という一句があるのですが、この光景のように、自分の枕元にも、ペトラルカの前に現れたラウラのように来てほしいと、ユーゴーが自らの詩に託した作品です。

いずれにしても、歌もさることながら、《ペトラルカの3つのソネット》は、ピアノの魔術師と言われたリストだけあり、ピアノの伴奏自体がもはや伴奏を通り越した独立性もあり、これは特にドイツリートでもしばしば見受けられますが、それ以上に技巧面でそれとは別物の難易度が課せられます。
この歌手とピアノの独立性を、いかに融合させられるかが、非常に難しく、本番ギリギリまでいろいろあったのですが、妻のピアニスト、黒木直子には本番でベストの表現をしてもらえたと思っております。

演奏家にはそれぞれ、マイルストーンのように、その時、その時に、どれだけ進めたかを感じられる曲があると思うのですが、僕にとっては《ペトラルカの3つのソネット》はそういった曲の一つではないかと思います。

また何年かしたら、この曲を演奏したいと思います。
その時まで、退化することなく、もっと成長していたいと思う、そんなリサイタル後の心境です。

お客様の沢山の温かい拍手、嬉しかったです。
ありがとうございました。

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