過去
私はいつも保健室に行きたくなる時がある、あたたかく向い入れてくれる先生と、あの消毒液の香りをもう1度感じたいな。教室とは異世界の空間で嫌なことがあると逃げ出していたな〜話を聞いてくださったことを思い出す。
中学生の頃保健室の先生と話す機会が多くてね、その先生は前看護師さんだったみたい。
「どうして保健室の先生になったんですか?」と聞いたら
「看護師だから人が次々と亡くなるわけですよ。いろんなひとを看取ってきて最初は悲しくて泣いていたんだけれど、だんだん悲しくならなくてむしろ亡くなることが当たり前で何の感情も持たなくなっている自分が怖くなった。作業みたいなかんじになるの。だから学校で元気な生徒の応援がしたくなった」
と耳にしたことを昨日思い出した。私は看護師さん憧れている時あった、養護教諭とかね。仕事だからって割り切れない。感情を殺すってできない、向いていないなと思った。
私はずっっっと中学の頃の記憶が消えてくれなくてもっとうまく人と向き合いたかったな、楽しく過ごしたかったな、学校行き続けたかったな、成績最初はよかったのにだんだん落ちていったな、部活最後まで続けたかったな、部活の同性の先輩に告白しておけばよかったな、グループワーク苦手だったな、給食の時間がきらいだったな、あの子私に好意向けてくれていたのに気づかないふりをして接していたな、告白してくれてありがとう、もっと勉強してあの高校に行きたかったと後悔が次々込み上げてくる。周りも巻き込むしね。夢にも出てくる。この気持ちから解放される日が訪れるのだろうか。よく中学生からやりなおしたいとツイートしている。でもできないんだよねこれが現実だね。学校を休んだ時の解放感、快楽ってほんの一瞬でどんどんしんどくなっていくの。今の時間はクラスのみんな勉強してるな、給食食べているな、掃除しているなと時計すらも見たくなくなった。ただお布団の中で天井だけを見続ける生活が続きました。私は中2の冬休みから卒業式まで教室にいけませんでした。中2の時の担任が私はにがてでたすけてほしいと伝えたら3年になったら変わった。学年の先生方の会議で私をクラスに戻ってくれるためにクラス変え先生方がよく考えてくれた。1年の時とほぼ変わらないメンバーだった、幼馴染もいた。なのに行かなかったの。担任から学年の先生から教室にいってみたら?と何度も言ってもらえたのにいけませんでした。成人式も行きませんでした。
保健室から教室までのハードルってものすごく高いんです。逃げなければよかったのかな、あの頃は逃げるしか方法がなかった。もう一度やりなおしたいな。無理なのはわかっているのに、中学校まで楽しかったという彼の話を聞いていると羨ましいなと言う気持ちが沸々としてくる。苦しいこともたくさんあったはず逃げなかったのえらいなだから努力して偏差値高い学校に進学できたのかと納得した。羨ましいと思ってしまう気持ちが自分から消えてしまえばいいのにと思った。こうして綴る事であの頃の自分も今の自分も救ってあげようとしているのかもしれないね。逃げたことを綴る事で罪滅ぼしをしようとしているのかもしれないね。
人のせいにするのは簡単です。逃げたのは事実です。このくるしさから解放されたいな。大学をちゃんと卒業することでこのくるしみが和らぐといいな。