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キテレツ宇宙論[1/4]

第一章:物質優位の理由


第一節:量子の深淵に潜む謎

私たちの世界の最も深いところには、常に量子的な揺らぎが存在しています。真空と呼ばれるこの基底状態は、不確定性原理により、絶え間ない粒子の生成と消滅の舞台となっています。零点エネルギーからの量子的揺らぎによって生成された電子と陽電子の対は、エネルギー保存則に従い、痕跡を残すことなく消滅していきます。このような量子力学的な現象は、私たちの直感的な「無」の概念をはるかに超えた物理法則の姿を示しています。

しかし、外部からエネルギーを与えて生成された電子・陽電子対について考えると、より深い謎が浮かび上がってきます。物質環境の中で、陽電子は周囲の電子と出会い、対消滅してガンマ線を放出します。この過程は明確に観測可能です。ところが、量子もつれ状態にあった対の片割れとして残された電子の運命は、現代物理学の実験・観測技術をもってしても追跡することができません。

この「検証不可能性」は単なる技術的な限界ではありません。それは量子力学の基本原理に関わる、より本質的な問題を示唆しています。量子もつれ状態にある粒子対の一方が対消滅した時、もう一方の粒子はどのような運命を辿るのか。私たちはその答えを量子もつれに影響を与えず実験的に確かめる術を持っていないのです。

このことは、私たちの宇宙が示す最も深い謎の一つ、すなわち物質優位の問題に、新しい視点を提供します。ビッグバン直後、宇宙は物質と反物質が完全に対称な状態から始まったと考えられています。しかし現在の宇宙は、明らかに物質が優位です。なぜこのような非対称が生じたのか。その謎に、量子もつれした粒子対の検証不可能な振る舞いが、何らかの示唆を与えているのかもしれません。

第二節:大規模構造の形成と痕跡

宇宙初期において、物質と反物質は量子的な揺らぎによって対生成され、インフレーションによる急激な空間膨張により引き離されました。この過程で生き残った粒子対は、現在も量子もつれの状態を保ちながら存在し続けています。この視点から現在の宇宙の大規模構造を見直すと、興味深い示唆が得られます。

現代の観測技術で明らかになった宇宙の大規模構造は、銀河団や超銀河団を結ぶフィラメント(糸状構造)と、その間に広がる巨大な空隙であるボイドから構成されています。フィラメントは物質で構成されていると考えられます。なぜなら、このような高密度領域では、物質と反物質が混在していれば激しい対消滅が起きているはずだからです。実際、宇宙初期には広範な対消滅イベントが発生し、その結果として現在の構造が形作られたと考えられます。

特に注目すべきは、ボイドの存在自体が宇宙の進化における重要な痕跡を示している点です。フィラメントとボイド境界の数千万光年にも及ぶこれらの巨大な空隙は、単なる「空っぽの空間」ではありません。それは激しい対消滅イベントの歴史を物語る化石のようなものです。宇宙初期の激しい対消滅は、時間の経過とともにより穏やかな過程へと移行していきました。その過程で、物質あるいは反物質が優位な領域が形成され、現在の大規模構造の基礎が築かれたのです。

フィラメントとボイドの境界領域では、現在も穏やかな対消滅が継続していると考えられます。フィラメントの物質優位な環境では、我々の周辺のように飛来する陽電子の数が減少し、逆にボイド領域では電子の数が減少する傾向があるかもしれません。このような選択的な対消滅プロセスは、既存の構造をより強固なものとしていきます。

一方、ボイド内に存在する孤立した銀河については、その構成を直接的に判別することは原理的に不可能です。スペクトルも重力効果も物質と反物質で同一であり、広大な空間によって隔てられているため、周囲との対消滅現象も観測されにくいからです。このような観測の本質的な限界は、私たちの宇宙理解における重要な示唆となっています。

このように、宇宙の大規模構造は、物質と反物質の相互作用の歴史を静かに物語っています。それは138億年の時を経て、より安定な構造へと進化してきた宇宙の姿を示す、壮大な証拠なのです。​​​​​​​​​​​​​​​​

第三節:宇宙空間における粒子頻度

高エネルギー粒子の発生頻度を定量的に推定することで、ボイドでの物理過程の規模が見えてきます。地上観測施設であるテレスコープアレイ(TA)実験では、1平方キロメートルあたり年間約1個の高エネルギー粒子が検出されています。これを基準に地球全体での頻度を計算すると、地球の断面(約127,525,000平方キロメートル)では1秒間に約16回の高エネルギー粒子が到来していることになります。

この頻度を太陽系スケールに拡大すると、海王星軌道までの円盤状の面積(約6.36×10¹⁹平方キロメートル)では、1秒間に約800万回の高エネルギー粒子が通過していると推定されます。さらに銀河円盤(面積約7×10³⁵平方キロメートル)のスケールでは、1秒間に約10²³回の頻度となります。これは強固な磁界で守られた領域で、この頻度となります。

典型的なボイドの断面(直径約60メガパーセク、面積約2.7×10⁴⁸平方キロメートル)では、単純な面積比から推定しただけでも1秒間に約10³⁵回もの高エネルギー粒子が通過していると計算されます。実際のボイドでは、磁場による影響が少なく粒子の損失も限定的であることから、この頻度はさらに高い可能性があります。しかし、その正確な値を直接計測することは原理的に困難です。この膨大な粒子頻度は、ボイドが「空虚な空間」どころか、極めて活発な物理過程の現場である可能性を示唆しています。

このような膨大な数の高エネルギー粒子の生成を説明する上で、対消滅過程は最も自然なメカニズムです。対消滅は物質をエネルギーに変換する最も効率的なプロセスであり、観測される粒子頻度を無理なく説明することができます。

第四節:対消滅の痕跡を追って

地球軌道上で観測される高エネルギーの陽電子は、宇宙の大規模構造における継続的な対消滅過程を示唆する興味深い証拠かもしれません。観測されるエネルギースペクトルは、TeV領域まで滑らかに続いた後、明確なカットオフを示します。このカットオフは、対消滅過程における利用可能な最大エネルギーを反映している可能性があります。特に注目すべきは、高エネルギー領域で陽電子の割合が増加する現象です。これは遠方宇宙ほど反物質の比率が増えることを示唆しています。もし宇宙全体が物質優位であれば、電子も同様のエネルギースペクトルを示すはずだからです。

これらの粒子が全天から飛来する現象は、ボイドが全天に分布していることと、銀河や太陽系の磁場による粒子軌道の湾曲効果によって説明できます。特に、特定の方向からの強い粒子流が磁極方向と一致する可能性があることは、この解釈を支持する証拠となります。対消滅時に放出されるはずのガンマ線が観測されにくい理由は、ガンマ線光子の方が陽電子よりもエネルギー損失が大きいためです。

そして、これらの観測データの解釈には本質的な困難が伴います。高エネルギー粒子は磁場による影響を受けにくいため、理論的にはその到来方向から元の放出点を推定できそうに思えます。しかし実際には、地球から見たボイドは全天に幾重にも重なって存在しています。したがって、ある方向から飛来した粒子が、どの層のボイドからやってきたのかを特定することは原理的に困難です。

さらに、粒子は移動の過程で光子との相互作用を繰り返し、そのたびにエネルギーを失っていきます。このため、測定時のエネルギーは分かっても、放出時のエネルギーや経路上でのエネルギー損失の履歴を再構成することはできません。また、これらの高エネルギー粒子の飛来確率は極めて低く、統計的に有意な解析を行うために必要なデータ量を得ることも困難です。

観測可能な宇宙の範囲内でさえ、このような複雑な構造と現象が見られます。しかし、これは全体像のほんの一部かもしれません。観測可能な宇宙が物質優位であるという事実は、初期宇宙の量子的揺らぎの一つの現れに過ぎないのかもしれません。宇宙の実際の大きさは観測可能な範囲をはるかに超えており、全宇宙における物質と反物質の完全な対称性は、物理法則の最も基本的な要請と美しく調和する可能性を秘めているのです。

このように、「物質と反物質は常に同数」という宇宙の謎に対する答えは、シンプルさの中にあります。追加的な仮定や複雑なメカニズムを必要とせず、物理法則の基本的な対称性に立ち返ることで、より深い理解が得られる可能性があります。それは同時に、科学における観測と理論の本質的な関係についても、重要な示唆を与えているのです。​​​​​​​​​​​​​​​​

これまで私たちは、物質と反物質の対称性という観点から宇宙の謎に迫ってきました。しかし、この探究は別の根源的な問いへと私たちを導きます。物質や反物質を含む全ての粒子に普遍的に働きかける重力とは、いったい何なのでしょうか。そしてダークマターとは何でしょうか。次章では、重力場という存在そのものに焦点を当て、私たちの宇宙理解をさらに一歩深めていきたいと思います。

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