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仕事を楽しむのが下手(教員2年目)
教員の仕事をあまり楽しいと思えていない。
でもnoteを見ていると、なんだかんだいいつつも、教員の仕事にやりがいを感じながら、情熱を持って働いている人が結構多くいることが分かる。
私には何かが欠けているのだろうか?
どうして楽しいと思えないのだろう?
今日はこのことについて掘り下げてみようと思う。
色々と頑張っても、成果が見えにくい
教員の仕事のしんどさは、これが一番大きいんじゃないだろうか。
授業準備や生徒指導、色々と工夫しても、正直成果が上がっているのかがよく分からない。
会社のように売り上げが上がったり出世したりするわけでもなければ、ゲームみたいに自分のバロメーターが向上するわけでもないからだ。
もちろん、生徒がいつもより集中している気がするとか、
いつもより授業がスムーズに進んでいる気がするとか、
そういった手ごたえがある時もある。
でもそれは、自分の頑張りの結果とは限らない。
ただ単に、朝イチの授業だから生徒が集中できていただけかもしれないのだ。
だから、同じ活動を他のクラスで試したら全く上手くいかないなんてことはザラにある。
だから、何をどう頑張ったとしても、自分の仕事の成果が出ているのかがよく分からないのだ。
保護者や生徒から「いい先生」と呼ばれる人もいる。
私もそう言われたくて最初は頑張っていた。
しかし、それも結局は好き嫌いの問題であることが多かったりする。
特定の生徒層や保護者層から好かれている教師は、大概ちゃんと一部の層から嫌われている。
全員から好かれる教師には絶対になれない。
そんなことに気づいてから、どこに向かって頑張ったらいいのかがよく分からなくなった。
向上心を持って頑張り続けることが、無駄に思えてくるようになった。
そんなこんなで、仕事中は常に無力感に包まれてしまっている。
人と関わることに積極的ではない
この仕事を始めて気づいたのは、自分は人との関わりをそんなに求めていないのかもしれないということだ。
生徒と話すこと、関わること自体に、あまり喜びを感じない。
薄情に聞こえるかもしれないが、「お給料をもらっているから、それなりに誠実なコミュニケーションを取ろう」という気持ちだ。
私はどちらかというと、一人で静かに授業や学習活動を計画している方が好きなのかもしれない。
教材研究を綿密にしたり、色々と新しいことを工夫していくのは面白いと感じる。
でも、中学生たちと話したいという気持ちは、自分の中に特にない。
(自分が受け持っている生徒たちには少し申し訳なくなる)
職員室で他の先生たちとワイワイ話すのも、週に1回くらいで十分だ。
関わりすぎると消耗してしまって、しんどくなる。
もしかすると私は、家族や友人など、自分の身の回りの親しい人間関係だけで満足してしまっているのかもしれない。
社交性という点においては、つくづく教員に向いていないなと痛感する。
おわりに:どこに向かったらいいのかが分からない
こんな感じで、仕事中は心が死んでいる感覚がある。
この仕事の好きな面ももちろんある。
でもずっとうっすら、心が虚無感にさいなまれている。
だから、明確な向かうべき方向性と、強い情熱がほしい。
しかし、仕事の特性上、明確な方向性を見出すことは難しいのかもしれない。
また、私の性格上、何かに強い情熱を燃やすことも難しいように思える。
自分は本当に仕事を楽しむのが下手だ。
こんな状態では、どんな仕事についたとしても、楽しめないんじゃないだろうか。
こんなに後ろ向きな記事を書いている自分が情けなくなってきた。
心を少しでも生き返らせるために、
仕事がいくらしんどくても、自分で自分を上手に楽しませられるようになりたい。