見出し画像

見えないがそこに在るもの

風雅です。
8回目です。
今回は見えないものは怖いって話です。
見えないもの分からないものって怖い。不思議で気味が悪い。
けれど、分かってみれば何でもない。なんでそんなに怖がっていたのか。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
幽霊だと思っていたのが実は枯れたススキだった。怖がっていると何でも怖く思えたり、恐ろしいと思っていたものも正体が実は何でもないものだった事の例えです。
それまで幽霊だと思っていたのが、実はススキと分かってしまえばそれからはもうススキにしか見えない。怖くもなんともなくなってしまう。


名前を付ける

原因不明の自然現象などが起こった時、人々はただただ恐れてきました。
しかし、それを恐れるだけでなくその不思議な現象に名前を付けるようになりました。
誰もいないはずの場所から聞こえる音、山道で不意に見えた光。そんな不思議な現象を昔の人は妖怪の仕業としてきました。
それまで見えなかったものが『妖怪の仕業』と見えるものに変われば無暗に怖がらなくて済む。それは正しく怖がることが出来るという事。そこから対処法も考えることが出来るという事。
日本だけでなく世界中に人以外の妖怪や妖精、神様のしわざと言われるようなものがあります。現在ではそれらの多くは妖怪の仕業ではなく自然現象などと分かっています。妖怪と自然現象の違いはあっても名前を付ける事で見えないものを実体の見えるものにしてしまう。

不安の正体

見えないものが怖い。枯れたススキも妖怪も同じ。正体が分かれば形が見えてしまえば怖くない。
妖怪は怖いだろって。そんなツッコミが入りそうですが、妖怪が原因と分かればその妖怪を怒らせなければいいとか、追い出せばいいとか対処方法を考えられるから怖くないという事です。
見えない、理解できない、何もできない。それが怖い。
妖怪や自然現象じゃなくてもっと身近なもので言えば急にお腹が痛くなった時、どうしますか?
病気なのか不安になって怖くなりますよね。でも、さっき食べたお肉が傷んでいたと分かればトイレに駆け込んで解決。
見えない、解らないと余計なことを考えてしまう。
ただの食あたりも『そういえば最近、体調がおかしかった気がする。周りの人が急に優しくなったのはそのせいか?もしかしてとんでもない病気なのか?』などと無駄に不安になってしまう事も。
スポーツ選手のメンタルトレーニングで聞いた事あるのですが、試合前の緊張をほぐす方法で『緊張する理由を考える』というのを聞いた事があります。
例えばスタートダッシュで失敗したら、途中でスタミナが切れたら、そういった不安を1つづつ言葉にする。書き出してみる。それで、そうならないためにどうするかを考えるという方法です。
不安を形にしてそれの対処方法を考えて1個づつ潰していく。
そうすると『これだけやったから大丈夫』と思えて緊張しなくなると。
見えない事で本来考えなくてもいい事まで考えて不安になる。
不安になって怖がっていたのは自分時自身のせいだったという事。それが不安の正体。

怖がらず楽しんでしまえ

不安は自分で作っていた。
本来怖がらなくていいものまで自分で作りだして怖がって不安になっていただけ。
先ほどのメンタルトレーニングは1つ不安が消えるたびに強くなれると。その作業をゲームのように楽しんでやっていこう。そんな感じだっと思います。
アスリートじゃなくても普段の生活の中でも不安に襲われる事はあると思います。その不安を具体的に考えて『これはこうすればいい』とやっていけばゲームのようにレベルアップしていくかも。
怖いではなく『これをクリアーすれば強くなれる』と楽しむ事が出来れば不安も悪いものでないのかもしれませんね。

おまけの話

名前と妖怪について余談です。
実体のない不思議な現象に名前を付けて実体を作る。
逆に悪さをしていた妖怪の名前を奪って懲らしめる。
そんな話は数多くあります。日本だけでなく世界中に。
名前とはその本質、実態を表すもの。それを奪われると力を出せなくなる。国や地域が違ってもどの話も同じように言っているのは不思議と言うか面白くないですか。
ずいぶん前に見たテレビで子供が生まれるとその子に2つの名前を付ける部族がありました。
どこの国か忘れてしまいましたが。古くからある習慣だそうです。
本当の名前を知られると悪魔に連れていかれるから小さい頃は渾名と言うか仮の名前を使う。一人前と認められると本当の名前を使うことが許される。
そんな感じだったと思います。
これも名前に力がありその人自身を表すものって考えから来てますよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?