自己解剖大会①(恋愛観について)
はじめ
記念すべき第1回自己分析noteはわたしの恋愛観について、だ。
ここで大多数の読者の方は感じているはずだ。「こいつは暇な大学生なんだな」と。ほとんど正解である。しかしわたしは、世間によくいる恋愛脳で、すぐ恋人をすぐ取っ替え引っ替えするような大学生ではない。ほぼ真逆の存在と言っても差し支えないだろう。
じゃあどんな人間なんだ?
真逆の存在、と言ったが、わたしは所謂弱者男性・非モテ男性、またはこれらの女性版でもない。自分で言ってはなんだが、「弱者」を名乗るほど外見が悪いわけでもなく(決して「強者」とは言えないが)、人に(友愛的にも恋愛的にも)好かれやすいようである。(「思い込み乙」「痛い」などと思われても仕方がない)
何を悩むことがあるのか?
ズバリ、わたしには恋愛感情が(おそらく)ない、ということが悩みなのだ。
最近は多様性が認められつつあり、恋愛感情を抱かない人間が現れてもさほど問題ではない。アセクシャルやアロマンティックのような人々も認知されつつある社会である(あえて「されつつある」と記述している)。
ならば別に恋愛感情がなくても良いではないか、という結論に至りそうだがそう簡単にはいかない。なぜなら、まだ本当に恋愛感情がないと確定できていないからである。
当方は約20年生きてきているが、恋人ができたことがない。別に人から好まれない容姿や性格、思考をしているからというわけではない(そういう可能性は完全には否定しきれないが)。実際に観測している限りでわたしのことが恋愛的に好いていた人が数人いた。しかしわたしはその誰とも恋人関係になったことはない。その理由・原因は4つあると考えている。
①恋愛的に好きになれないから。
②めんどくさいから。
③傷付く/傷付けるのが怖いから。
④どうせ別れるから。
なぜ恋人を作らない/作れないのか
①恋愛的に好きになれないから。
これがいちばんミソな問題である。わたしは基本的に関わる人間のほとんどのことが好きである。これは友愛的な意味で好きだということである。男女問わずである。そのため、同性の友人はもちろん、異性の友人もほどほどにいる(相手がわたしを「友人」と認定しているかわからないが)。したがって男女問わず遊びに誘われたら基本的に誘いに乗っている。なぜなら、友人であるなら一緒に遊びに行くものであるからだ。
逆に言うと、わたしに関わってくれる人間全員を平等にうっすら恋愛的に好きな可能性もある。そうであるならば、特定の人を恋愛的に好きになれないということにも合点がいく。既に持っている感情を新たに(二重に?)持つことは不可能だからだ。
(ここで、この恋愛感情がわたしにはない説の中で言及するのはおかしいかもしれないが、わたしの恋愛対象はおそらく男女両方である。恋愛指向というか性的指向かもしれないが。だいぶ複雑なので今回はそこまで深くは言及しないが、男女問わず好きになれる可能性を秘めていると勝手に感じている。)
②めんどくさいから。
これは「答え」として十分に有り得る。なぜならばわたしは自他共に認める怠惰であるからだ。①でも軽く言及したが、わたしは男女問わず友人と認めた者とは、(基本的に誘われたら)よく遊びにいく。わざわざ恋人関係にならずとも、現在のようにそこそこの頻度で遊びや飲みに行けたら十分楽しいので良いのではないか。恋人関係になってしまったら、他の友人との付き合いが制限されたり、記念日や連絡頻度を気にしなければならなくなったりと、厄介な枷が増えると思われる。
これに対して、恋人関係になると得られるメリット(?)としては性交渉が可能になるというただ一点だとわたしは考えている。
しかし、わたしにとってはそこまで性交渉の有無は重要でない。別に1人で性欲を解消することは可能であるし、性交渉が可能になることと、恋人関係から生じる面倒事を天秤にかけると、後者がより深刻な問題となる。「本当に好きな相手だったら面倒とは思わないよ」という意見があるかもしれないが、その意見は少なくとも今現在のわたしには通らない。そう思える相手がいないからだ。
(また、保身のために述べておくが、わたしには所謂セフレのような存在はいない。このため読者の中にあるかもしれない「セフレで性欲解消してればそりゃ恋人はいらないよね」という意見も通らないこととなった。)
③傷付く/傷付けるのが怖いから。
これもまた有力説である。
先述したが、わたしに恋愛的な好意を向けてくれる人は少なからずいたし、実際に「付き合ってくれないか」と提案されたこともあった。わたし自身の相手への恋愛感情の有無は抜きにして、とりあえずその提案に乗っていれば「恋人の作成」ということは可能であった。ではなぜそれをせずに、今こうしてここでウダウダしているのか。その理由こそが、この小見出しになっているポイントである。
相手を傷付けたくない。
わたしは元来真面目な性格で、頭が堅いというところもある。わたしが相手に対する恋愛感情を持ち合わせてもいないのに恋人関係になってしまうと、温度差により相手が傷付くことになってしまう可能性がある。わたしは真面目なので、どうも人を悲しませる行動をしたくはないようである。
自分が傷付けられたくないから。
わたしは非常に厄介な性格の持ち主で、自己肯定感やプライドはそこそこに高いくせに、人間不信のケがある。(この厄介な性質についてはまた後日別の記事で考察したい。)
それゆえ、「わたしのことが好き」という発言及び態度を信じて仮に恋人関係になったとして、何か理由があって相手にいわば振られることがあれば、引きこもり極人間不信人間の爆誕である。
そもそも、わたしは自分自身の全てを人に曝け出しているわけではなく、人に見せる用の仮面を被って常に生活している。
このため、もう長年の付き合いの気心が知れた友人ならばともかく、出会って数ヶ月、数年の人間にわたしの何がわかるのだ、とどうしても考えてしまう。あなたが好きになったわたしはほんの一部分でしかないでしょう。恋人関係になればあなたが知らなかったわたしの他の部分が必ず見えるが、それでも好きなままでいられるのか。わたしのほんの側面しか知らないままで恋人関係になり、わたしの人生に少なからずの影響を与えておいて、新たな一面が発覚しただけで「思ったのと違った」「扱いきれない」などと言われてクーリングオフされたら耐えられない。
わたしはとんでもなく自己中心的な人物なのだ。
④どうせ別れるから。
これはわたしの良くない癖である。わたしはつい物事の終わりを勝手に想像して、落ち込んでしまう癖がある。
わたしはとりたてて結婚願望があるわけでもない。むしろ結婚すれば自由を失うのではないかと恐れている側の立場である。
恋人関係の終点は2つしかない。1つは結婚。もう1つは別れである。結婚するならまだいい。わたしが結婚するということは余程素晴らしい相手なのだろう。しかし、後者の方は非常にまずい。恋人関係が破綻した後、相手とは付き合う前の関係性である友人からも、さらには他人よりも遠い存在になってしまうからである。もうほとんど会ったり話したりすることはなくなるだろう。
この小見出しは正確には「別れるから」ではなく「友人を失いたくはないから」になるのだろう。わたしが恋人関係になる相手はおそらく「他人→知人→友人→恋人」と徐々にステップアップしていった相手だろう。いきなり他人から恋人に飛び級するようなことは、わたしの性格上ほとんどあり得ない。つまり、恋人になれる人間は、友人としてそこそこ上位ランクの人間である。友人関係のままであれば、どちらかが連絡を断たない限り、それこそ死ぬまで関係が続く。しかし恋人関係になって別れてしまえば、もう二度と前の関係値に戻れない。これは非常に大きな損失である。わたしは、仲の良い気に入った友人とは生涯を通して付き合っていたいのだ。
結局
わたしの厄介な性格をご理解いただけただろうか。
この性格であるゆえ、「これまで◯人の恋人がいた」「出会って1ヶ月で付き合った」「マッチングアプリで恋人作った」「とりあえず付き合ってみなよ」というような世間の人々との恋愛観(?)の差異にしんどく感じてきたことは幾度もある。よくそんなにすぐ好きになれるな、付き合ってダメだったらどうするの、と言うような考えばかりが浮かんでくる。
じゃあ別にそのままで良くないか、恋人なんて別にいなくてもいいだろう。何を悩んでいるのか。という声が聞こえてきたが、わたしという人間はやはり特別厄介なもので、「付き合う」というものを人生経験として体験してみたいという気持ちも抱いているのだ。一旦とにかく「付き合う」をしてみることで、このめんどくさい恋愛観が変わる可能性もある。
しかしまあ、試しに「付き合う」をしてみるのならば、別れて他人よりも遠い存在になってしまったとしても支障がない人間(現在そこまで友人として仲良くはない、かつ、今後同じコミュニティに所属することはない)になるだろう。だがこんな生半可な気持ちであれば、いずれにせよ相手を傷付けることは必至なので、その罪悪感にどう対処するかが最重要の課題になると思われる。
(考えの変化や追記したい事があれば再び記事として書くかもしれないが)
以上