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ルックバックを観てきました

実はこの記事
ルックバックというアニメ映画の存在を教えてくださった
シンプリィライフさんの記事へのコメントに、書こうと思ったら・・・
どうやら長すぎてダメだったらしく(コメントは500文字以内にしてください、という赤文字の注意が出てきてしまいました)
なので・・・初投稿という事で、自分の記事にしました。
映画にしても、ドラマにしても・・・
世間で何といわれる作品でも、それなりに得るもの、学ぶものがあり
作品に没入することが多いのですが・・・
これもまた、いやぁ・・・考えさせられた
感じるけれど、いまいち語彙力と基礎知識に疎いので
上手く表現出来ないのですけれど・・・
知識を深め、語れるようになりたいものです。
とりあえず・・・コメントしたかった感想をここにアップしてみます
↓↓↓

映画館の入場プレゼントでした ブックカバーみたい・・・


今日、観てきました
3時間近い映画が多い中、正味58分というのは短い・・・と思ったのですが
中身の濃さにまず衝撃・・・でした
何と表現して良いか分からないのですが
心の中にはいろいろなものが渦巻いています。
文章を書くのは比較的好きなのに、言葉にならないです
作品はもちろんですが、シンプリィライフさんの考察の深さと語彙力にも拍手です。
パレレルワールドはあると、私も思います。大切だった人が亡くならずに生きている世界
大好きだった人とずっと一緒にいられた世界、あのときの失敗が起こらなかった世界・・・きっとそれはあって、決して干渉することは出来ないけど・・・その世界では
今の自分とは違った自分が生活している。そう思えると・・・自分が関わった人のパラレルワールドの中で、もしかしたら既に自分はこの世に存在していない事もあるかもしれないし・・・親のパラレルワールドの中にはそもそも自分が産まれなかったパターンもあるのかもしれないと思いました。
そう思った時・・・今、この身体があって、こうして誰かと関わっているのが、とても素敵なことだなって思えて・・・大切だった人とも、どこかの世界では上手くやっているかもしれないから・・まぁいっかってそんな事も思いました。

あの日、京本が部屋から飛び出して来なかったら・・・死んでしまうことは無かったと
藤野は思ったけれど・・・目の前に現れた4コマは、これから如何ようにも分岐する可能性をもつ真っさらな4コマであって、だから京本に生きて居て欲しいという願いがその世界線を生み出したのではないかなと思いました。

それと・・・もうひとつ
これは私の感じたことですけれど
この物語は・・・統合と分離と再統合の物語だと思った・・・
自分の中のいろいろな側面というか
得意になっている自分、積極的で外に出て行ける自分
他者と関わるのが怖くて、自信の無い自分
そんな相反する自分に出会って戸惑うけれど・・・そんなもう一人の自分と段々仲良くなっていく
それは藤野と京本が手を取り合って、形あるものの中で幸せに暮らしていた時期

やがて・・・相反する自分が再び分離していく
藤野は才能があって、どんどんそれが開花して
やがて自分の思い通りになるアシスタントが居なくなって不満が募る
名が売れると共に失われていくもの、忘れてしまう大切なこと
それを思い出させてくれるのが、もう一人の自分である京本
引っ込み思案で、自信が無いけど
いつか藤野の事をもっともっとサポート出来るようになりたくて
誰にも依存しないで一人で立ちたいと願う

それはこの現実の中で2つの世界線を生きる藤野キョウなのではないか・・・

人はあるとき・・・
実体が無くとも、心の中に生きる何者かを心の支えとして生きられるようになると思う
実際、子供が親から離れても遊んでいられるようになったり、家から離れて外で過ごせるようになることも、今目の前になくても、確かに存在する人や物を理解できるようになるということ
藤野は、目の前にある自分が生み出した漫画や、その人気しか信じられなくなっていたのかもしれないけれど
京本の存在を、京本と過ごした時間を思い出したことで
もう一人の自分と再統合したのではないかと・・・

上手く言えないですけど
映画観てきた記憶が鮮明なうちに書き記して共有させてもらいたくなりました・・・

追記
藤野と京本は光と影
主役(実体?)と背景
どちらかが欠けても成り立たない・・・
それに気がついたとき
再統合していくものなのか・・・
まだ幼かったころ
その正体・実体の見えない京本の絵に衝撃を受け
負けまいと絵の練習をした藤野
京本あってこその自分
そう・・・互いがあってこそなんだ
京本が別の世界線で生き続けるために・・・
私が必要なんだ
だから藤野は漫画を描き続ける
振り返ればそこに
もう一人の自分の背中が見える気がする

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