手を繋げるだけでいい
『手を繋ぐ』
皆さんは誰と手を繋ぐ場面を想像するでしょうか?
手を繋ぐという行為は国や文化が違えど人類共通な行為です。
言語も異なり生活圏も違うのに
性別、年齢も違うのに何故人は手を繫ぐのでしょうか。
手を繫ぐということ
人を含む動物達は進化の過程で、種族ごとに特徴を生み出して進化していきます。
キリンであればより美味しい葉を求め首が長くなり。
鳥であれば生活圏を広げるために翼を進化させ。
サイであればより逞しい角を生やし、家族や仲間を守るために。
そのなかで人は、手先の器用さという特徴の進化をしてきました。
つまり特徴ある部位=種族の力を象徴しているとも考えられます。
そんな手(力)を相手と共有し繫ぐという行為は、信頼していないとできない行為です。
ましてや、繋いでいる間は自分の力を発揮できない状況と同じです。
手を繫ぐ。
それは「その人の強さと弱さを見てくれている信頼の証」です。
手は口ほどにものを言う
力というのは攻撃するだけでなく守るという役割もあります。
何も攻撃だけが力ではないでしょう。
寄り添い、一緒に歩んでいけるのも力です。
恋人であれ、子供であれ、年配者の手をひくことであれその力で周りを安心させることもできます。
そして何より、信頼できる人と手を繋いでいるときは「落ち着く」という感覚を味わうことができます。
相手が喋っていなくても、何故かその人と一緒にいることがより実感できることもあるでしょう。
それほど、人にとって「手」というのは大きな役割を担っている存在なのです。
人という生き物は何か苦しいことがあれば、際限なく助けを求めます。
でも、実は手を繋いでくれる人が1人でもいるだけで、本当は幸せなことなのではないでしょうか。