雲屋いしころ

サバイバーだったみたいです。記憶を記録に残します。

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最近の記事

子供は産まないほうがいいと言い切る母

母は私が結婚した当初、 「子どもは産まないほうがいいよ」 としきりに言っていた。 面倒なので話を流していたのだが たまに理由を聞いてみると 「子どもは夫婦喧嘩の元。 産んでもいいことがない。 お金も自分たちのために使えなくなる。 私の頃は結婚したら産むのが当然で 何も考えずに産んだけど今なら絶対産まない。」 話している相手がどこから産まれた誰なのか、 理解しているのだろうか。

    • 心理カウンセリングに通い始めました⭕️

      過去の記憶だけでなく、 日常のことも少し書いていこうと思います。 最近、精神科の先生と相談して 心理カウンセリングに通い始めました。 初回時、今までの出来事を話したのですが そこで自分の経験した嫌な出来事の数や 種類が自分で思ったよりも多くて驚きました。 ネグレクト 精神的虐待 教育虐待 性虐待 親からの暴力 学校でのいじめ 大学の先生からの性暴力 うつや摂食障害 自殺未遂 精神科入院 何でこれでいま生きていられるのだろうと思うようになりました。 もちろん私より大変

      • 父からの性的虐待を認めない母

        鬱になって高校に通えなくなった私は 学校から「精神科に通わないなら退学せよ」 という、少し不思議なミッションを与えられ、 学校から紹介された精神科に通うことになった。 (今思えば排他的な雰囲気の学校だった) 初診の日、母が書いた医師宛の手紙を渡した。 開封して医師は音読した。 「〜〜〜 娘は父から性的虐待を受けたという嘘を言っています。 〜〜〜」 この瞬間のことは今もフラッシュバックする。 診察室の、見つめていた机の上の、 レースのカバーの柄まで思い出せるくらいだ。

        • 7才の妹がもらった10万円

          父方の祖母は寡黙で穏やかだったが 人の好き嫌いを行動ではっきり表現する人だった。 親族に対しても、孫に対しても同じだった。 私が中学入試に合格したとき、 “姉と遊びたい年頃なのに遊ぶのを我慢したから” と、 妹にご褒美10万円を渡した。 妹は小学校低学年だった。 私は合格祝いとして、現金ではなく 部活動で使う道具を買ってもらった。 妹が中学入試に合格した時、 当然ながら私は何ももらえなかった。 祖母はこのような差別的扱いを 父方のいとこにもしていて 彼らもまた精神障

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          3才時点で進路指定 〜お絵描き教室をやめた理由

          保育園に入る前、近所の絵画教室に通っていた。 絵を描いたり工作したり 私としては楽しんで通っていた。 ある時「鳥の絵を描く」というテーマで 私は“自由”を表現しようと思い、 画用紙いっぱいに鳥の体を描いて ありえないくらいカラフルに塗りたくった。 これをみた先生が、私の親に 「上手ですね、将来は美大なんかどうですか」 と褒めたそうだ。(深い意味はなかっただろうけど) これに危機を覚えた父が 「美大なんか行かれては困る(東大でないと)」 ということで直後に教室を辞めさせ

          3才時点で進路指定 〜お絵描き教室をやめた理由

          お風呂に入らせてもらえない理由

          小学生の頃の話。 小学3年の終わりに父に 「学力テストをしてみよう」と言われ 受けに行ったのが中学受験塾の入塾テストだった。 勝手に入塾してからは毎週日曜日のテストを受けるため テキストに沿って毎晩父が勉強を教えてくれた。 父はお酒を飲みながら、怒鳴りながらではあったが 当時は特に疑問に思っていなかった。 勉強が終わって寝るのは早くて23時代、 普通は0:30頃、遅いと深夜1:00過ぎ。 出来の悪い日は朝4:00まで続いた。 ちなみにこの時は泣きながら 「わかりませ

          お風呂に入らせてもらえない理由

          一緒に死のう

          母に「一緒に死のう」と言われたことがあった。 その時とても嫌だと思った気持ちを 今言葉にしてみると 死ぬことが嫌なのではなく “母と”死ぬことがとても嫌だった。 なぜ私が苦痛から楽になる手段を その原因である母と成さなければならないか? その自覚に圧倒的に欠ける母に対して いまだに嫌悪感を感じている。

          一緒に死のう

          塾に通えない困窮の原因

          私が小学生の頃、難病にかかり倒れた母は 病院で手の施しようがなくなって 家で療養生活を送るようになった。 家といっても家事のできない父は祖母を頼り 居候していた祖母宅で家族4人で過ごすことになったのだ。 この頃私は父に言われて強制的に中学受験の勉強をするようになっていた。 「しないと殺す」というくらいの勢いだった。 にも関わらず塾には通わず、仕事から帰宅した父が 中学受験塾のテキストを使って4教科教えてくれていた。 週末にはテストだけ受けに塾に通った。 なぜ塾の授業

          塾に通えない困窮の原因

          精神的な不調まとめ

          私の精神的な不調まとめです。 精神科での診断外も含まれます。 小学生 不眠 希死念慮 中学生・高校生 摂食障害(拒食) 不眠 リストカット 希死念慮 高校生になって自殺を試みることがありました。 (首吊り) 18〜20歳 過剰服薬 自殺未遂 拒食 不眠 20代前半 自殺未遂 過剰服薬 過食(40kg→85kg) 不眠 昔からですが 両親から精神科に通う許可が得られず、 20代前半は特に、親の処方された精神薬を 調べて好きなだけ飲んでいました。 書き出してみる

          精神的な不調まとめ

          父のプロフィール

          他人のことなのであまり書けないけれど… 東大ではないそれなりの日本の大学から大学院を出て 大手企業の技術職として就職。 国際特許を複数件取得するような研究者であった。 ある出来事をきっかけに退職、 海外の企業に就職し単身赴任するも その出来事を理由に働くことができなくなり 契約を解除される。 その後しばらくアルコール中毒で無職。 以降 日本にて会社員をするも人間関係のもつれから 1〜2年に一度転職を繰り返す。 発達障害、よく言えばギフテッド。 年金受給者となった

          父のプロフィール

          自己紹介〜虐待サバイバーとして

          30代パート主婦です。 物心ついた頃からの虐待、機能不全家族、 発症したうつや精神的な不調、 大学教授からのハラスメントなど、 過去の出来事について書いていきます。 個人を特定しうる内容については 中身が変わらない範囲で表現を変えています。 日々のフラッシュバックや治療についても 書ける範囲で書いていきます。 楽しい内容は一つもありません。 特に、同様のご経験のある方はご注意ください。 一つの事例として、ここに残そうと思います。

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