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性癖学:おっぱいサイズ学~とんでもなくおっきいおっぱい編②~

さて今回は前回の続きである。
前回を読んでいない人には唐突な「巨女」の考察から入ってしまうので、前回を見返してから考察に付き合っていただきたい。


さて、前回のおさらいとしては、

そもそも超乳に魅力を感じる人間は、自分から見てありえない、つまり自分が幼少のころに対峙した
「当時の自分から見てとんでもなくおっきいおっぱい」
に対して性的興奮を感じており、
その後成長した自分から見てのとんでもなくおっきいおっぱいは「超乳」と呼ばれるサイズになってしまっているのではないか、という考察をした。

この考えが正しいとすると、「巨女」というジャンルが根強くある程度の地位を保っているのも同じ要因と考えられる。


「巨女」は、所謂巨人、ウルトラマンやデイダラボッチのようなサイズの女性に対して性的興奮を覚えるというものであるが、これも同じ理屈で説明がつく。

こちらは「年齢退行」というより「小人化」に近いか。

到底自分が敵わない大きさ、男女差なんて些細に感じられるほどの体格を持った女性に主導権を握られたいというマゾヒズムと、
女体に文字通り包まれたい、身体を埋めたいといった母性を求めるような感情がその根幹にあるように感じるのである。

ここで大事なのは、「誰から見ても絶対に敵わないサイズ」であることである。
これによって、世間的に「男は女よりも強くあるべき」という社会的圧力やプライドが邪魔をしなくなる。
それによって、成人男性であっても「敗北して当然の女性」という理想像を投影できるのである。

超乳と巨女ではサイズ比が明らかに違うが、自己を投影する男性キャラクターの時期が違うだけだとも取れる。少年なのか、より一層無力な幼児なのかというところだ。


幼児の場合は、大人とはもはや別の生き物ともとれるほどのサイズ差があり、
だからこそなのか、「巨女」カテゴリの作品はキャラクター双方がそれぞれを性的対象として見るケースが少ない。

代表的な巨女独特の性癖として、「胎内回帰」というものがある。

言わずもがな、自己よりも圧倒的に巨大な女性キャラクターの女性器に男性キャラクターが潜り込んでいくというものであるが、

その場合でも女性キャラクターは性的な快楽を覚えている様子が一切見受けられない作品も散見される。


根源の発想は似ているが、満たそうとしている欲求は違うのだろう。


巨女の場合、男性キャラクターに持つ感情は、 精々ペットや小動物ぐらいと同等に見られている。

挙句の果てに丸呑みされてしまったり踏み潰されてしまうことだってある。


一方超乳の方は、男性キャラを少なからず性的対象に見ていたり、少なからず同じ人間として見ている。

ただ地位や力関係は明らかに下に見られているケースが多いので、どちらかというと、年上女性に振り回されたい、という軽度のマゾヒズムに合わせて、甘やかされたい、母性を求める心が表出していると思われる。


同等の人間、かつお互いに性的対象として見られる超乳に対し、巨女のほうがマゾヒズム的側面が強いのだろう。

と、ここまで話してはいるが、マゾヒズムとの関わり方から見た「とんでもなくおっきいおっぱい」の話であり、
サディズムから見た超乳についても考えられる要素がある。

根暗超乳やメスガキに超乳が多い点など、ここまで話したテーマとは違う目線で見た方が説明のつくところがあるのがそれであるが、今日はここで筆を置こう。

もちろん超乳好き、巨女好きを貶めるつもりも毛頭ないが、筆者としては一番しっくりくる結論ではある。

これが正解だと言い切るつもりは毛頭ないし、別の見解があるのも承知の上である。

さらには、筆者も超乳好きである。誹りは甘んじて受けよう。

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