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世界が注目する京都で200年続くちょうちん屋のイノベーション。10代目小嶋俊さんが今挑むこと

寺社や南座に使用されている大提灯四尺永など、先祖代々伝わる木型を使用し大小様々なちょうちんを製造してきた小嶋商店。従来のちょうちん作りだけでなく、PASS THE BATON KYOTO GION、琳派400年記念、新風館などで、ちょうちんを使った内装やインスタレーションは京都を訪れる世界の人からの注目を集めています。その10代目の小嶋俊さんが、あらたな挑戦を始めるとのこと。お話を聞きました。

10代続くちょうちん屋の歴史とイノベーション

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▲小嶋家のみなさん。右から二番目がインタビューにこたえてくださった小嶋俊さん

──こんなに歴史のある家業を取材させていただくのは初めてです。まずは家業について教えてください。始まったのはいつのことだったのですか?

はい。僕の家業は200年続くちょうちん屋で、僕で10代目になります。始まった年は厳密にはわからなくて、おじいちゃんが残っていた記録から一番古いものを見つけて、ここが創業年だと決めました。寛政年間という元号が使われていた、今から200年ほど前です。

──すごいですね。やはり歴史も先代から語りつがれてきたのでしょうか。

そういう堅苦しいものではなく、おじいちゃんから話を聞いたり、仏壇のところに残っている家系図を見た時なんかに、「ああこれだけ続いているな」と感じる、もっと日常的なものでした。ちょうちん屋というもの自体が特別なものではなかったから改めて歴史を聞かれることもなかったんですよ。

──では、子供の頃から家業を継ぐ話をされていたこともなかったのでしょうか。

そうですね。未だに親父から「継いでくれ」なんて言われたことはないですね。

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▲約60年前の小嶋商店の七尺丸提灯制作現場

──そうなんですか。ではどんなきっかけで家業に入られたのですか?

きっかけというよりは自然に家業で働き始めました。高校を卒業した当時、うちの工房は余裕がなく、作り手は足りないけれど新しい人を雇うお金もないという状態でした。その時は作ったちょうちんをただちょうちん屋さんに納めるという、安く仕入れたいという要望に応える形で仕事を行っていたからです。にもかかわらず、親父もおじいちゃんもひとつのちょうちんを丁寧にしっかり作りたいという職人気質だった。なので、仕事の請けかたとこだわりが全く噛み合っていなかったんです。そんな状態でしたから、他の仕事を経験したり家を飛び出したりすることもなく、家業で働き始めることになったのです。

──なるほど。ちょうちんづくりは、一人前にできるようになるまでにどのくらい時間がかかるのですか?

ただ形にできるようになるまでなら1年ちょっとでできるようになります。ちょうちんは作業工程が全く違う技術でできていて、それが一通りできるレベルということですね。ちょうちんはすべての工程をひとりで担当するのではなく分業なので、そこから向いている工程を磨いていきます。僕の場合はおじいちゃんと竹を割っていたのがそのまま仕事になりました。仕事が終わってからも練習をしたり、厳しい得意先に持っていってみてもらったりしながら技術を磨きました。

──分業なんですね。では、家族みんなでリレーのように作るのですか?

そうです。これが楽しいんですよ。家族とも仲がいいですし、喧嘩することがあってもちょうちんを作るために結局連携しなければならないですからね。

"攻めの人"祖父から始まった、「一世代一イノベーション」

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▲京都・新風館のちょうちん Photo by 若林満

──家業にまつわる話を親御さんやお祖父さまから聞いて、印象深かったことはありますか?

8代目であるおじいちゃんから聞いた話は印象に残っています。まさに攻めの人という感じで、ガンガンいくタイプの人なんです。オリンピックを目指すレベルの水泳選手だったらしく、水泳をやるために家業を手伝っていたら、7代目のおじいちゃんが急に亡くなってしまったのだそうです。けれど、あまりに急だったのでまだちょうちん作りをどうやるのかもわからない状態で継ぐことになってしまって。普通ならそこで諦めるところですが、なんとなく聞いて覚えていた地名を頼りに、ちょうちんを背負って得意先を探しに出かけてはアドバイスをもらって、今のちょうちんの型を作ったのです。このおじいちゃんが型をつくり、親父はそのちょうちんに絵付けすることを始めました。ひと世代で何か家業にひとつ発明を加える文化ができたのもおじいちゃんが始まりです。

──毎世代家業をアップデートしていくんですね。小嶋さんご自身も、今チャレンジされていることがあるのでしょうか。

僕が挑戦しているのはちょうちんに身近な日用品として親しんでもらうために、内装照明にちょうちんを取り入れることです。もともとちょうちんは中に和蝋燭をいれて懐中電灯のように手に持ったり、お祭りで神様に場所を知らせるために灯すものでしたが、大きさや中の光源を変えることで、ランプなどを作っています。そして、もうひとつ挑戦しているのが、開かれた工房づくりです。

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▲工房の風景

──というと、どんなものなのでしょう。

新しい、ひらかれた工房を作る計画を進めているんです。
僕らは全くそんなつもりがなくても、職人ってなんだか話しかけづらく、伝統工芸だから敷居が高いと思われることが多いのです。今の工房も、人は入れますが、家と直結していて生活スペースの中に人が入るような感じになってしまう。けれど、自分が小さな頃から工房で釘を打って遊んだり、ちょうちんを作って遊んでいる子供達を見て、もっとひらかれた人が集まる工房が作れたらと考えるようになりました。そしてある日、京丹後市網野町に訪れてその場所や地域の方々に惚れ込んでしまって。リモートでちょうちん作りができることもわかってきた時で、思い切って移住してそこで工房を開くことにしました。現在はクラウドファンディングでその支援を集めています。

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▲クラウドファンディングのお返しには一輪挿しのちょうちんや、名入れちょうちんなどがある

──すごい挑戦ですね。

ありがとうございます。こういう行動力はきっとさきほどお話ししたおじいちゃん譲りですね。僕らは職人ですから、「こうすればお金が儲かる」「どうやると成功するか」と作戦を練って行動するのでは続けられないんです。「こうやりたい」「これを作りたい」という気持ちがないと行動できない。逆に言えば、この作りたい気持ちが、10代続けさせてきたんだと思います。

──なるほど。これから小嶋さんが目指されているのはどんなことですか?

小嶋庵でやりたいことは、入った瞬間に「おー!」と思ってもらえる場所にすること、居心地が良くて、子供や地域の人が気軽に入れる場所にすること。そうやって工房で過ごしてくれた子供たちが、大人になった時に思い出の場所としてちょうちんや工房を覚えてもらえたらうれしいですね。そして、そうやってちょうちんに親しんでくれる人が増えて、いつかちょうちんが家にあるのが当たり前になる日が来るといいですね。

(写真提供:THE KYOTO クラウドファンディングページより)


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