生と死が、私を成長させる。新たな繋がりを楽しみにして。
おととし。冷蔵庫のなかで、冬眠させたブドウの種を蒔いた。昨年、芽がふたつ出た。ひとつは秋にダメになった。もうひとつもダメになったかもしれないと思っていたが、春先からぐんぐんと伸び、今年は昨年より、葉っぱをつけている。
昨年の冬。
「土の中で、ブドウの種を冬眠させてみたらどうかしら?」
再び、沢山のブドウの種を蒔いてみた。
そのうち、数本が今年の春に芽を出した。昨年、蒔いたサンフルーツと一緒に育っているものもいる。
部屋にあるオーガスタという観葉植物の鉢に、雑草が伸びてきていた。風に乗り、やって来たのだろう。調べてみると、ジュズサンゴというらしい。去年の冬は、5センチから20センチ位のが4本。オーガスタも伸びまくっていた。
今年の冬。「昼間はポカポカ。春の陽気だから、植え替えしてみてはどうかしら?」
鉢を買ってきて、株分けをして植え替えた。
窓際に置いた鉢側に、ジュズサンゴも一緒に植えた。いちばん、小さかったものはダメになった。残りの3本はぐんぐん伸び、現在、60センチほどの丈になっている。
次々とちいさな白い花を咲かせ、花が終わった後は、赤い実をつける。それぞれ自分のペースで動いているみたいだ。
情報によれば、緑の隕石が落ちた夜だった。
洗濯ネットに付着していたマスカット色の12個の卵を見つけた。
「何の生物かしら?枯れたバジルの鉢の土の上に置いてやりましょう。」
12個の卵をそっと、剥がすように取って土の上に置いた。10日後、孵化したその姿は、黄色と黒のまるこいカメムシの赤ちゃんだった。数匹は飛び立ったようだ。鉢の周りをつたって、遊んでるもの。戯れあってるもの。枯れたバジルにしがみついているもの。体調が悪そうな1匹は、翌日、亡くなった。3日が経ち、カメムシの赤ちゃんは、どこかへ飛び立って行った。
6月から7月初旬までに、ふたつの水槽から4匹のメダカが亡くなった。サカマキ貝も数匹。
悪いことが続くと資格がないように感じて、どっしりした気分だった…。
ある日、散歩の途中。ベンチに腰を下ろし、空を見上げた。ふたつの綿毛が飛んだ。
「君も綿毛を飛ばせるようになるよ」と囁いた。
3日後、まだ空は明るい。紅く染まる雲と、黄色く光る三日月。「自分のスピードでいいだよ。」「ユーモアは動きのなかにあるんだ。」
それからちょうど一週間後。雨降りのなか、真っ赤に染まる太陽が顔出し、空を紅色に染めた。
とても美しかった。何度も振り返った。私は、紅く染まる空に見惚れていた。
「悲しみも安らぎも連れてくる。夢は浪漫さぁ。」
それから13日たったある日。急に雲行きが変わり始め、嵐になった夕刻だった。西の方は、まるでエルグレコが描くような空と光。南の方には、大きな二重の虹が顔を出した。「冒険は、光を求める風のようなものさぁ。冒険は、ときめきときらめくを運んでくるんだよ。」
「死は終わりじゃないさぁ。始まりだよ。また、必ず来ますよ!」と言い残して。
晴天の暑い日だった。
黄色のモンシロチョウ2匹が、「黄金の時間が始まるよ」と青いアゲハチョウが頭上をくるりとまわり、「今に集中しなさい」と伝えに来た。
時々、姿を現すカメムシが、私に自然のスピードを教えた。
今、1匹の稚魚と30匹超の針子と仔魚が泳ぐようになった。孵化も成長もゆっくりだ。
死と向き合うことは、自分のキモチに正直になり、生きたい人生を真剣に生きるということだ。
自分の夢に向かって…「今、はじめよう」