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sunset blue

カナエの網膜には今夏の夕暮れの美しいピンクと紫の光が映っている。
だが、カナエの脳はそれを認識していない。
ぼんやりと、ただぼんやりと、カナエの瞳は光の帯を見つめていた。

マサは感情を素直に表現するタイプだ。
ヒロは静かに感情を表現する。
その二人の男がカナエの心の中にいる。
二人のうちどちらかと、あるいは両方と、どうにかなろうとは思っていない。もちろんそんな欲がないわけではないが、今はまだ何もない。
カナエが衝撃的だったのは、自分の心に気づいたからなのだ。
二人の男が同時に心の中を占めている、それは霧のように全身を包み込んでまとわりつく罪悪感のようなものだ。

マサは友達も多く、明るく闊達で、目鼻立ちがはっきりとしていて派手に見られるタイプ。
ヒロは物事を一つずつ分解して合理的に進めていくことができる頭脳と、侍のような鋭い眼光をもつ男だ。
見た目も性格もまるで違う二人の男に共通するのはある種の純粋さだとカナエは感じている。
「ある種」というのも、子供のような純粋さとは違うものだからだ。
二人ともいい大人の男で、遊びのひとつやふたつ知っている。それなりの狡さやしたたかさも持っている。
そんな二人の中にある純粋さとは、それぞれの人生において己に対する誠実さなのではないか、周りがどうとか、打算で物事をはかるのではなく、今を紛れもなく純粋に生きている二人に、カナエは理由も理屈もなく惹かれているのだと思った。

私はマサとヒロのどちらを選ぶのだろうか。
どちらも選ばないのだろうか。
それともどちらも選ぶのだろうか。

カナエは少し怖いのかもしれない。
自分が彼らに対して不誠実なのではないかと。
感情ではなく、打算でどちらかを選んでしまうのではないかと。
刻々と色を変えていく夏の夕暮れの光のように、自分の心は危ういものなのではないかと。

カナエは何本か香水を置いてある棚に向かい、念のため一覧してからほぼ迷うことなくサノマの早蕨を手に取った。
シャワーを浴びてまだ1時間も経っていない清潔なウェストに2プッシュして、先ほどまで座っていたチェアーに再びゆっくりと腰を下ろした。
そしてさらにゆっくりと目を閉じた。
大きく息を吸う。
乾いた木の冷たい香りと、温かな青りんごのムスクが、夏の湿気を含んだ空気と共に、カナエの身体を満たした。
大きく息を吸う。
静かに息を吐く。
また大きく息を吸う。
また静かに息を吐く。
穏やかな心地よい香りがカナエの心を無にしていく。
ふたつの相反する香りが交互に顔を出しては、カナエの心を浄化していく。
大きく息を吸う。
静かに息を吐く。
また大きく息を吸う。
また静かに息を吐く。

15分程経ったのだろうか。
息を吐ききったところでカナエは目を開け、空を見た。
太陽は地平線の向こうにとっぷり沈み、僅かな残光が今日最後の力を振り絞るように空に手を伸ばしている。
ピンクと紫はもうすっかり群青色に溶け合い、星がひとつふたつ瞬き始めていた。やがて漆黒となって数多の星を瞬かせるだろう。


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