彼の写真
私には写真がわからぬ。
カメラが好きだった父は、私が父のカメラを借りて写真を撮ろうとするときの注文がとても多かった。
そして父が他界してから知ったのだ、子供の頃、写真コンクールで賞を取ったことを。
どうやら父の才能は私には受け継がれなかったらしい。
そんな私が惹かれる写真家がいる。
「写真家」として身を立てているわけではない一般の方なので、ここでは”彼”としよう。SheでもTheyでもかまわない。とりあえず彼と呼ぶ。
彼の写真は時が止まっている。
写真なのだからそれはしごく当然なのだが、たとえば、躍動感あふれる動物写真では被写体のその後の動きが見えるようだし、人の何気ない表情を写した写真からは、その人の幸福感や悲しみを感じることもある。
一方方向に流れる時間のわずか一瞬を切り取ったものが写真であるが、そこには時の連続性というものが感じられるのだ。
しかし、彼の写真は、突然フラッシュモブが起こったかのように、周囲の何もかもがぴたりと動きを止め、私だけが時間的物理的に自由であるような錯覚を覚える。
それはまるで、悲しみのあまり時を止めてしまった魔法使いだ。
彼が日頃どんなことに悲しみを覚えているかはわからない。
そして、彼はそこまで計算をして撮っているのかどうかもわからない。
ただ、私はそこに途方もない悲しさや心の沈み込みを感じ、時に泣きそうになる。
それなのに、私は彼の撮った写真から目が離せない。
彼の孤独感のようなものが映り込んではいないかと探し求め、そしてどこかで愛おしさを感じているのだ。
彼の撮る写真はこの上なく寂しい。
だから美しい。