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せっちゃんはおきゃんな女の子

「おきゃんな女の子」

というフレーズを今でも覚えている。
それを読んでいた教室の風景も覚えている。
教科書で読んだあの作品は、何というタイトルで、どんな話だったのか、急に知りたくなった。

おきゃんな女の子の名前は、せいちゃんだったか、せっちゃんだったか。
とりあえず、

せいちゃんはおきゃんな女の子

で検索してみたら、すぐにヒットした。


タイトルは「どろんこ祭り」と言い、女の子は、せいちゃんではなく、せっちゃん。
私がずっと正しいと思い込んでいたフレーズも「おきゃんな女の子」ではなくて、「せっちゃんはおきゃんで、まるで男の子みたい。」だった。
ストーリーは、東京から土佐に越してきたひ弱な男の子と、おきゃん(おてんば)な女の子との、淡い恋の物語である。

この物語は14年もの間、6年生の国語の教科書に掲載されていたにも関わらず、突然姿を消している。
ストーリー自体は少年と少女の淡い恋物語であるが、「女の子みたいな男の子」と「男の子みたいな女の子」という、今でいうジェンダーギャップに繋がるからだという。

「女の子みたいな男の子」と、「男の子みたいな女の子」は、「どろんこ祭り」でのある出来事をきっかけに逆転する。
つまり、淡い恋を通して少し成長した2人は「男の子らしく」、そして「女の子らしく」なっていくのだ。


作者、今江祥智が育った時代には、いわゆる男らしさや女らしさという考え方は、当たり前に受け入れられていたことだろう。
今江祥智よりずっと後に生まれた私の亡き父だって、戦隊ものばかり観ていた私に「もっと女の子が観るようなものを観なさい」と言っていたのだ。

この作品がジェンダー不平等に繋がるとされ、教科書から姿を消した年から約30年、ジェンダーギャップの問題は、「どろんこ祭り」が掲載されていた頃に比べたら議論が活発になっている。
しかし、公衆トイレや浴場の在り方や、教育の現場などは課題が多い。
そして、同性婚すら、まだ認められていない世の中だ。

今日、この記事を書いている最中、おりしも、こんなニュースが飛び込んできた。
日本のジェンダーギャップは世界で125位だそうである。

あの時、おきゃんだったせっちゃんは、この状況をどう思っているのだろうか。

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