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時差の重みと誇らしさ

先日、「東京ラブストーリー」(1991)を観た。
登場人物たちの恋愛模様には思うところあるが、それよりも私が興味を惹かれたことがあった。

ドラマの最後に主人公・赤名リカはロサンゼルス支社に転勤する。転勤の話が出た時、リカは恋人の永尾完治(カンチ)に海外勤務を引き留めてほしいと願う。カンチはリカのことを思うと自分の気持ちだけで引き留めることはできないと言う。それだけが理由ではないが結局リカとカンチは別れることになる。

ドラマが放送された1991年、まだ世界は恋人を引き裂く程の距離があったのだ。
携帯電話はおろか、インターネットの商用利用も始まっていない時代に、海外とやり取りする手段はあるにせよ、今とは比べ物にならない程その距離は遠かったに違いない。

翻って今現在、大都市ならば地球の裏側にだって瞬時にコンタクトが取れる時代だ。遠き地で何事もなきようにと願うけれども、連絡がつかずにヤキモキする必要はない。

しかしながら、私は「時差」というものを改めて意識し、その時差が重さをもって心の中に居座っていることに気づいた。
時計を見る度に、その時差分だけ私の意識は相手の時間にまで遡る。
今送ったメッセージは一瞬で相手の元に”物理的”に届くけれど、相手がそれを”受信”するには時差によって数時間から半日程度の時間がかかる。
もちろん両者が同じ地域にいたって状況はそんなに変わらない。
送ったメッセージが24時間以内に確実に読まれるかと言えばそんなことはない。

多分それは「同じ空を見ていない」という感覚に近い。
”空は地続きである”という表現は少しおかしいが、地球単位で見ればどこにいようと連続した空の下に暮らしている。
しかし、見ている空が違うのだ。
同じ太陽を見ていない、同じ月を見ていない、同じ星座を見ていない。
今この時を過ごしているこの空と、あちらの空との距離が、そのまま心理的距離となって私にズシリとのしかかっている。

ただ、この距離があったからこそ届いた嬉しいニュースもあった。
私は彼の地でチャンスを手にした人への誇らしさという感情を手に入れた。
この重たい気分は、まもなく跡形もなく消え去るだろう。


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