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不可逆な香りの記憶

サノマのお香8-17松風を焚きながら、軽く目を閉じていた時のこと、ちょうど金木犀が咲く頃のひんやりした秋風が私の頬を撫でていったあの感覚を思い出した。
確かに松風には金木犀が入っているが、他の香料も入っているので松風の金木犀と私が知っている金木犀の香りとは違う。
それなのに、その香りは私の首根っこを掴んで、カサカサと落ち葉が舞い始める秋の頃にぐいっと引きずり込んだのである。

香りと記憶について考えてみたときに、私はあることに気がついた。
生花の金木犀を嗅いだ時、その香りで松風を思い出すことはおそらくない。イチゴを食べてイチゴの香りが含まれている香水を思い出すことや、アイスクリームを食べてバニラの香水を思い出すことはないのだ。

香りから想起される記憶とはなんだろう。
私はJean-Michelの言葉を思い出した。

私はフレグランスを作っているのではなく、思い出を作っていると考えているんです。
Jean-Michel Duriez / Fashionsnap 2022.11.26

Jean-Michelは「思い出を作っている」とサラりと語っているが、これは香りと記憶の本質を意味しているのではないかと思う。

人が香りと共に何かを記憶するとき、たとえば木や、土、人間のにおい、動物のにおい、その時に自分を取り囲む空気がはらむ全ての匂いと共に物事を記憶しているはずだ。
レモンを齧って誰かを思い出したとして、それはレモンだけでなく、その時に居た場所の匂いや、その誰かの匂い、自分の匂いも含まれるかもしれない、いずれにせよ、単一の香りではなく、また感知しているかどうかに関わらず、様々な香りの成分をひとまとめにして嗅ぎ取っているに違いない。

香水には30~50種類程の香料が含まれているという。
もちろん松風にも金木犀以外に様々な香料が入っていている。
松風に含まれるオークモスの土っぽい匂いや、海藻の潮っぽい匂いが金木犀の香りと合わさった時、「海が近い町で、金木犀とそれらが植えてある土の匂いを嗅ぎながら散歩した自分」という”空気感”が思い出されたのだ。

一方で、生花の金木犀から松風を思い出すことがないのは、松風は”松風の香り”であって、金木犀そのものではないということに加えて、両者を繋ぐエピソードは常に一方方向のみに流れているからなのだろう。
松風からは金木犀が取りだせるが、金木犀からは松風を取りだすことはできないのである。

香水は単に嗜好品として身を飾るものであるだけでなく、歩んできた道を投影してくれる映写機のようなものだ。
香水(香り)は過去を思い出させてくれ、また香水(香り)そのものが思い出となる。
これから先ローンチされるであろう松風の香水は私にどんな思い出を作ってくれるのだろう。

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