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3秒後もHappyでいるために

noteにもちょこちょこそれらしきことは書いているが、1月から2月にかけてかなり気持ちがしんどかった。
心の奥底と表面的な振る舞いの乖離が大きく、実は毎日誰かに助けを求めたかった。
少しずつではあるが、その重苦しい気持ちが離れていっているような気がしている。
季節のせいもあるかもしれない。


先日、ある私へのインタビューを起こしていただいたものをチェックしていたときだった。

「人は3秒後に死ぬかもしれない。だから自分がいかにHappyでいられるかを考えること」

そんな主旨のことを私は言っていた。

その数カ月後、自分で言ったことを実践できていない自分に気がつく。
悲しい時や苦しい時にHappyになれる方法を考えるなんてことは、私にはできない。
それでも、そのまま一生悲しんだり苦しんだりはしていられないのだ。

もうだいぶ前、父が他界し、彼の葬儀の後、私は1度だけ部屋で声を上げて泣いたことがある。
スペイン語の先生をしてくれていたペルー人からのメールを読んだ時だった。スペイン語で書かれたごく普通のお悔やみのメールだったが、堪えていたものが噴出してしまった。

それから、私は父のことで泣くのを一切やめた。
私に子供はいないが、もしいたとしたら、自分が死んだことでいつまでもめそめそして欲しくはないし、子供にはいつもHappyでいてほしい。
だから、もうそのことで泣かないと決めたのだ。


悲しいこと、辛いこと、そんなことはこの先も起きる。
ただ、そんな気持ちで死にたくはない。
3秒後もHappyでいるために私は生きているのだ。

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