私の"欠け"を満たすもの
先週、母を病院に連れて行ったことはこちらに書いた。
(車椅子でヘルパーさんが必要な娘が”連れて行った”と言うのもなんだか変だが、形式的にはそうだ)
今日は再検の結果を聞きに再び行った。
異常所見は何もなかった。
少し数値の高い項目もあったが治療が必要なレベルではなく、脚のむくみも母の年代の人なら普通によく出るという。経過観察となり、とりあえずホッとして帰宅した。
私は今日1日ずっと何かがいつもと違う感じがしていた。帰宅して落ち着いた時に、それが「欠け」に近い感覚だったことに気づいた。
外出するとき、私はほぼ欠かさずアクセサリーを身につけ、香りを纏う。そして帰宅するとアクセサリーをはずし、ほんのりとした残り香で今日1日の楽しかったことを思い出す。
ところが行先は病院だ。当然香りは纏えない。私の通院でないと言ってもジャラジャラとアクセサリーをつけるのも憚られる。
帰宅して、はずすものがない、香るものがない。
アクセサリーと香水がない私は、自分の一部をどこかに置き忘れてしまったような状態だったのだ。
アクセサリーと香水。
もし私が入院などしたら、当たり前だがそれらを身につけることができない。そうなった時に、おそらく心が荒むだろうなと思う。
高齢で認知症になった方や、動けなくなった方に、口紅やネイルを施して差し上げるととても喜ばれると聞いたことがあるが、私にとってアクセサリーと香水は、心を満たし、幸福感を与えてくれるものなのだなと改めて思った。
アクセサリーと香水でお腹が満たされるわけではない。
アクセサリーと香水が身の安全を保証してくれるものでもないし、身体を保護してくれるものでもない。
それでもきっと、美しいものや、良い香りは、人の心を癒したり、励ましてくれたり、幸せにしてくれるものだ。
そしてたぶん、私の一部であり、私の人生の一部だ。