クリエーターと鑑賞者の間の溝
私はアート、音楽、舞台、映像その他多くの創作品に興味があり、自身でも絵を描くことが好きだ。
不定期にSNSに投稿もしていて、それなりにイイねをいただく。
「イイね」の中には、本当に良いと思ってくれる人ばかりでなく、プロモーションの一環もあるから、イイねが純粋に人の評価であるとは言えない。
というのはわかっている。
わかっちゃぁいるが、やっぱりイイねが嬉しくないわけはない。
そしてこの「人の評価」というもの、クリエーターと鑑賞者の間には少し溝があるように感じる。
たとえば、絵画にスーパーリアリズムという手法がある。
千葉市のホキ美術館という写実絵画専門美術館で観ることもできるが、一般の方が描いたリアルな絵がテレビに取り上げられることもあるので、一度はご覧になった方も多いはず。
簡単に説明すると、写真を用いて写真のように描くというものである。
アート的にいえば「描き手の感情を一切排除し、目の前の対象物に対する審美眼を技術的に追及する手法」ということになる。
人物画でいうと、対象の人物を「作家が見えたまま」描くのが肖像画、スーパーリアリズムは受像機を通して光学的に見えるままをを描いたような絵である。
この手法に関して、取り立てて意見はないものの、単に好き嫌いで言えば私は苦手な方である。
まず、その作品に描き手の感情が一切感じられない点。
「作家の感情を一切排除して描く」のがスーパーリアリズムであるから、感情が感じられないのは当たり前なのだが、作家の感性が感じられる方が好きだ。
第2に作家のオリジナリティが感じられない点。
スーパーリアリズムとまではいかないが、私も同じような手法を用いて描くことはある。それはほとんどが、光や質感や物体の形などを正確に描く練習としてのものであり、技術的な方法を知ればある程度誰でも描けるものである。その人にしか描けない絵というわけではない。
そういった意味で、手法としては否定しないものの、個人的には多少の拒否感があることは否めない。
要するに「写真のような」ものならば「写真」で良いではないかと思う。
これは「クリエーター」である私の意見である。
しかし、鑑賞者はそうではない。
その賛美たるや、正直羨ましくて仕方がない時もある。
実際、私の作品の中でオリジナルのものと写実的なものでは、写実的な作品の方がウケがいい。
そして体感的に、それは絵を描かない人達の意見であることが多いような気がする。
ここに「クリエーターと鑑賞者の間の溝」を感じるのである。
どんなふうに作品を鑑賞してもらってもかまわない。クリエーター側が「こんなふうに見て(感じて)くれ」と要求するものではなく、もし意図があるなら意図が伝わるような表現を模索すべきである。
しかしながら、心の在り様を投影した作品より、感情のない技術的に優れた作品の方が評価が高いという現実は、時に心が折れることもある。
クリエーターを続けるというのは、こういうこととの戦いなのだろうか。
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