日常で、当たり前で、普通な
何でもない普通の1日だった。
ヘルパーさんと母を連れて、大型商業施設へ行き、日常の買い物をする。
その商業施設へは、もともと交通の便があまりよくなく、車なら15分程度で行けるのに、バスを乗り継ぐと、Door to Doorで1時間ちょっとかかる。
しかも、いつの間にか、2路線あったうちの1路線が、人手不足のため運行を停止してしまっていた。
それでも私たちは、久しぶりの「日常」を過ごす1日とした。
バスの中では、絶対優先席を譲らない若い男性がいた。
いつの間にか新しい店ができていた。
無言でバスを降りる人たちがいた。
何もかもが、日常語で、当たり前で、普通だった。
その普通の景色の中で、私は花々が明らかに春から初夏へ、初夏から夏へと変化していることに気づいた。
ノウゼンカズラが咲いていたのだ。
バスの車中から見たので、写真は撮れなかった。
太陽を浴びたような赤みを帯びたオレンジ色の、明るく元気になるような花である。
我が家の庭にもかつては植えてあり、本格的な夏が来る前に、この花が咲いていたことを思い出す。
そして、この花がまだ庭にあった頃、祖父も、祖母も、父も、なんやかんや揉めたりもしながら、まだこの家にいたのだ。
商業施設では、食器も、服も、アクセサリーも、インテリアも、夏のものに変わっていた。
サクランボや、トウモロコシが並んでいた。
グラタンが置いてあった棚には、冷たい麺類が並んでいた。
何もかもが、日常で、当たり前で、普通に、夏へと移行していた。
スーパーでローストビーフを買い、母が買った弁当のご飯を少しもらって、ローストビーフ丼風にして食べた。その後のデザートはハーゲンダッツにした。
商業施設の通路に、七夕飾りがあり、用意された短冊に自由に書くことができるようになっていた。
私は
B612から来た王子さまが、ずっと幸せでいられるように
というような意味のことを、王子さまが選びそうな黄色い短冊に書き、しっかりと3回ほど笹に結び付けた。
もしかしたら、この祈りをきいてくれる星はB612そのものかもしれない。
それからしばらくして、私たちは帰路につき、こうして今noteを書いている。
何もかもが、日常で、当たり前で、普通だった。
こんな、当たり前で、普通な日々が、積み重なり、季節が変わり、身の回りの人々が変わり、風景が変わり、私の心の中も変わっていく。
変わりゆく流れのなかで、王子さまの幸せだけは、日常で、当たり前で、普通にそこにあってほしい。
帰りのバスの中で、再びノウゼンカズラを見ながら、そんなことを思っていた。
それもまた、日常で、当たり前で、普通な1日の出来事だった。