やっぱり母は母
バレンタインデーの1週間前くらいのことだった。
あちらこちらに散らばったピースがひとつの絵となって目の前に現れた時、私はいたたまれずに泣きそうになりながら、思わずそのことを母に話してしまった。
その時、母はおそらく"あること"を悟っただろう。
戦争が終わる少し前に生まれた母は、父(私の祖父)の顔を知らず、母(私の祖母)といっとき離れ、親戚宅に預けられ、虐げられ、辛い子供時代を過ごした。誰かが誰かを憎んでそうしていたわけではなく、すべては戦争のせいだった。そんなわけで母は大人からきちんと愛情を受けて育ってはいないようである。
そのせいなのか、母は人間嫌いで、時に人への愛情が薄いのではないかと感じることがある。
もちろん、娘である私に限りない愛情を持っていることはわかる。
しかし、母には、人が人を想うときに心の奥底で渦を巻く感情を理解しきれないのではないかとふと思う。
私は、日常的な話、面白い話、良い話、ちょっと腹が立つ話、そういう話はしても私の心に直結する話を母にはあまりしない。
当然noteに書いているようなことも母には話さない。
しかし、あまりに胸が痛む知らせに、私は涙が落ちそうになるのを堪えながら母に話してしまったのだ。
それから数日後のあの日の夜、母は言った。
「会いたいでしょ」
母はわかっていたのだと思った。
娘が誰を大切に想い、誰のために泣いているのかお見通しなのだ。
母が歳を重ねるにつれ、立場が逆転したのだと感じることが多い。
でもやっぱり母は母なのだ。