妄想出版「ザ・月9の本’22,3,28号音粋ヒストリア-朝妻一郎インタビューEp.1」
上品な番組にしたいが下衆なエピソードが好きなDJと作詞家を目指すかもしれないDJ2人の音楽トーク番組。bayfm9の音粋(#キュウオン)月曜日。2022,3,28「音粋ヒストリア~その時歴史は動いたvol.1朝妻一郎インタビュー」タイムフリーが終わる前に是非お聞き下さい!DJはスージー鈴木(スー)ミラッキ大村(ミ)
スー)今晩は、3月28日104回、104回ですよ~DJのスージー鈴木でございます。
ミ)今晩は、ミラッキ大村です。
スー)さあ新機軸3年目を前にして発信したい。歴史上の人物、生きているいろんな方にインタビューして行こうじゃないかということで。月曜9の音粋は歴史を大事にする空気があるじゃないですか、昔の音楽に関して日頃我々が解説しているんですが、歴史上の偉人にインタビューできる内に聞いておこうじゃないかと。
ミ)歴史を目の当たりにいたどころか、その歴史の真ん中にいた人にお話しを伺おうということですね。
スー)朝妻一郎という名前を聞いて「うわっ」という人と「誰?」という人といると思いますが、ザックリ言うと日本ポップス界のドンでございます。今日はインタビューをお届けしますけれど、なんつっても「大瀧クン」「加藤クン」って言いますからね。加藤勝じゃないですよ(笑)加藤和彦ですよ!「秋元クン」「秋元ちゃん」かもしれませんけど。9時台前半はロングバケーションの話をするんですけど、大瀧詠一「ロングバケーション」にエグゼクティブプロデューサー朝妻一郎って書いてあります!肩書はフジパシフィックミュージック代表取締役会長ということで音楽出版、雑誌を作るんじゃなくって著作権管理して音楽を広めて行く、売って行くということなんです。1966年私は生まれてから55年なんですけれど、朝妻先生は55年間音楽業界のドンでい続けているというスッゴイ方でございます。
ミ)ねえー。1943年生まれということで今言った1966年は23歳なんですけど、23歳にしてこの働きぶり⁈という。
スー)そうですよね。まあ加藤和彦フォーククルセダーズのあたりもスッゴイんですけどロングバケーション大瀧詠一にまつわる逸話もホントに凄いと。今日持って来たんですけど朝妻一郎先生がアルテスパブリッシングという出版社から「高鳴る心の歌-ヒット曲の伴走者として」という痛快に面白い本をこの度出版されました。それにまつわる所でいろいろ聞いて行こうじゃないかと。
ミ)そうですね。フジパシフィックミュージック創業55周年記念出版ということで。55年ですよ!
スー)まずは「大瀧クン」の話なんですが、僕思ったんです、この月曜9の音粋いや月曜だけじゃなくて9の音粋リスナーってみんな「ロングバケーション」ファンじゃないですか。「ロングバケーション」をもう何回も聞いていると思うんですよ。 ミ)はいそうですよね。
スー)でもねえ、カルビーポテトチップスも、裏面の説明が変わるじゃないですか「今年の芋はナントカで」とか。 ミ)うんうん。
スー)ポテトチップスは後ろの説明書き読みながら食べると上手いっていう嘉門達夫のネタがあったんですよ。 ミ)ハハハそんな。
スー)今日ね、このインタビュー10数分を丸ごとかけて、その後我々の解説無しにすぐ「ロングバケーション」のある曲をかけるんです。この10数分のインタビューを聞いて「ロングバケーション」の某曲を聞いたら、いつもとは違う感動が押し寄せます。
ミ)そうですね。きっとそうです、これは。
スー)大瀧詠一本ってすごく多いんですが大瀧詠一自身の言葉じゃなくって、それを見ていた、え~お金を出した人が!どういう風に思ってたかってことですよね。じゃ行ってみますか。 ミ)はい!
スー)まずは大瀧詠一さんのお話から。インタビューカットとくとお聞き下さい!
【エピソード1大瀧詠一】※スー→スージー鈴木 朝→朝妻一郎 ミ→ミラッキ大村
スー:スージー鈴木と申します
朝:朝妻一郎です、よろしく。
ミ:よろしくお願いしますミラッキ大村です。
スー:bayfmの月曜日で毎週21時から2時間生放送をやっておりまして“真剣邦楽選曲番組”のスローガンの元で、とにかくちょっと他の番組とは違う独自の切口で選曲をしようじゃないかということで。
朝:結構なんか、重箱の隅をつつく感じですね(笑)
スー・ミ:アハハハッ! ミ:見抜かれてるフフ
スー:今日はもう隅の端っこにあるような…。割とあのリスナーも邦楽に非常に詳しい方々が多いので、朝妻さんにとってはもうどーでもいいようなエピソードも大好物な方々がいますんで。
朝:いやいやいや。
スー:先般出版されました朝妻一郎さん「高鳴る心の歌-ヒット曲の伴走者として」アルテスパブリッシングから絶賛発売中ということです。その前に私が熟読さしていただいた「ヒットこそがすべて」という…。
朝:ああ、もう10年以上前になりますけどね。
スー:お弁当箱みたいな本ありますけど。 ミ:はい、厚いですね。
スー:現在フジパシフィックミュージック代表取締役会長でらっしゃいまして。
朝:はいはい。
スー:聞いてらっしゃる方々では知る人ぞ知るではなくて、朝妻一郎という名前を聞いたら「おー凄い人が来たな!」と思っている方々が多いと思います。朝妻さんはご著書の中で“音楽ビジネスのクォーターバック”と言ってらっしゃいます。
朝:ええ。アメフトでね、戦況を見てですね自分トコのそのオフェンスのチームに、相手の陣営を見て、フォーメーション10で行けとか15で行けとかっていう指令を与えるのがクォーターバックな訳ですよ。だから音楽出版社ってのはその、音楽ビジネスの中でレコード会社とかアーティストマネージメントとか音楽出版社でいろいろあるんですけど。やっぱりその音楽出版社はいろんなレコード会社と仕事している、いろんなアーティストマネージメントと契約してる、だからあるアーティストやある曲があった時に、この曲はどのアーティストの所に持ってったらいいかとか、そのアーティストはどのレコード会社から出してもらったらいいのかとかっていうのを、いろんな状況を見て見極める力が必要だし、そういうもんがだんだんと育って来るんですよね。
ミ:その組み合わせの例が具体的にこの本の中にはいくつも出て来ますよね。このレコード会社行った方がいいよ、理解してもらえるよっていう役目をやってる。
朝:ええ。
スー:この番組では昨年“大瀧詠一のいない大瀧詠一特集”というのをやりまして、大瀧詠一の曲をかけずに、ま、最後かけたんですけど(笑)それ以外の周辺の曲で2時間の生放送をやったんです。それがちょっと中々の評判を呼びまして、ある業界コンベンションに応募したら割と評判良くて、うちらの番組でも非常に多くのリスナーさんがご興味あるところの大瀧詠一です。(リスナーに)スピーカーの前で感じていただきたいのは、この目の前にいる朝妻一郎なかりせば、「ロングバケーション」はなかったんだと!本読んだらナイアガラ関連の痺れるエピソードがいっぱいで大好物なんです。まずお聞きしていいですか。まず朝妻一郎さんの名言。ナイアガラカレンダーを聞いてフフッ、1月から12月まで12曲あるんですよね。「大瀧クン、2月と5月ばかりのアルバムを作ろうよ」って(笑)実話ですか?
朝:ええそれは全くの実話で。『Blue Valentine’s Day』てのと『五月雨』と凄いいいメロディいい曲なんで「大瀧クンこれでアルバム作ろうよ」って言ったら「んもう全くわかってないんだから」って大瀧クンにバカにされた訳ですよ。
スー:ウフフフ。
ミ:「朝妻さんはいつもそんなことばかり言ってる」って。
スー:アハッ何回かそれ言われてますよね。
朝:そう。これはその後で“音頭モノ”とか彼は作るんですけど、確かに「ロングバケーション」聞いてみると、あ、これはあの後“音頭モノ”なんかをやったからね、こういう曲ができてるんで、こういう曲があるからバラードが活きるんだなあっていうのがわかって。ああ確かに2月と5月だけでアルバム作ったら、アルバムとしての幅の広さとかもっと言えばセールスでも大きく行かなかったんだろうな、と後で納得しましたけどね。
スー:はい。でもそん時は2月と5月で、っていうのは割と大瀧詠一さんも心外だったのかもしれませんね。
朝:「こいつの程度はこんなモンかな」という感じだったと思います。
スー:大瀧さんとの一番始めの出会いは「空飛ぶくじら」ですか?
朝:そうです。「空飛ぶくじら」の著作権をうちでどうだ、っていう事をキングレコードの方が言って下さって。
スー:はい。どういう感じで大瀧詠一というものに出会い、曲を聞いたんですか?
朝:はっぴいえんどの時から大瀧クンの作る曲がポップな、裏にある洋楽のセンスみたいのが感じられて、凄いおもしろいなあと。うん。
スー:あのう「ヒットこそはすべて」では大瀧詠一、朝妻一郎の、私なんて素人には全くわからないアメリカの音楽の歴史の話を。
朝:アルドンかなんかの話…。
スー:アルドンの話をずうっと。それで「ナイアガラカレンダーで2月と5月ばっかりのアルバムを作ろう」と言って。でも「ロングバケーション」までは少し時差がありますよね。
朝:そうです。その後それこそ確か“音頭モノ”なんかを作ってましたよ。
スー:『Let’s Ondo Again』もありましたし多羅尾伴内楽団もありました。
朝:ええ、ええ。
ミ:あれが壮大な「ロングバケーション」への前振りというか、これがなきゃ「ロングバケーション」出せないんだよという時期だったのかもしれない、とすら思えるやり取りですね。
朝:やっぱりね、後付けだけど、自分のアイデアを発酵させる時期っていうのが絶対必要だったんだと思う。
スー・ミ:うん。
スー:それで、大瀧氏も考えを改めたのか朝妻一郎発言が沁み込んで来たのか、ナイアガラマニア垂涎のエピソードは、朝妻一郎の所へ来て、J・D・サウザー『ユーアーオンリーロンリー』をかけてハハッ「こんなの作ろうと思ってる」(笑)と。
朝:そう。だったらさあ、俺が言ったことじゃないか、って内心は思ったんだけど「是非作ろうよ」って。
スー:ハハハハ。あと痺れるエピソードがそこからも何段階かあるんですけれども。割と制作費がかかったと。
朝:っていうかね、もうそれまでも制作費そんなに安くないんですよ。大瀧クンの場合。しかも元を取ったのがねえ、1枚あったか2枚あったかぐらいで。
スー:そこまでの大瀧詠一のアルバムは全部フジパシフィックミュージック?
朝:そうです。ナイアガラを作ってからのアルバムはシュガーベイブも「ナイアガラムーン」から始まってずっと。
スー:評判とか聞いてると、あんまり元は取れてなかったみたいだと。
ミ:ハハハ元を取ったのが1枚あるかないかみたいなハハ。
スー:「ナイアガラムーン」ですかねえ。
朝:「(ナイアガラ)CMスペシャル」とかは(元を)取ったかもな。あ、あと「(ナイアガラ)トライアングル」もいいトコ行ったんじゃないかな。
スー・ミ:うーん。
朝:でもやっぱりびっくりしたのは「ロングバケーション」だけどね。「ロングバケーション」時のスタジオに入ったミュージシャンの数とかいうのは、それまでとはちょっと違ってたから。
スー:噂には聞いていますハハ。ピアニスト4人とかそういうのですよね(笑)
朝:ええ。
スー:でこれ朝妻さん、戦ってらっしゃいますよね「おい、お前大丈夫かこの制作費」とかって。
朝:まあでもね、そうは言われたんですけど「あ、いやいや絶対才能あるし大丈夫です」って言ったらそれ以降責められる事なかったんで。まあ上司も「ま、確かに大瀧ってのは見てると普通のヤツと違ってなんかあるかもな」って思っててくれたのか。
スー:ああー。
ミ:怖いな、賭けというかなんというか。
スー:ハッハハハ。
ミ:CBSソニーと繋がって出して行くことになるんですけど、朝妻さんからみてCBSソニーは何が凄かったのか。80年この時の。
朝:マーケティングの力とプロモーションの力がとっても凄くて、その前に僕は『ソウルこれっきりですか』っていうレコードでCBSソニーの白川さんと仕事して。
スー:ハッハハハハここ好きなトコなんです。ハハハ BGM♪『ソウルこれっきりですか』
朝:で『ソウルこれっきりですか』の時の力のかけ方を見て、あ、こういう事をやってくれるんだったら大瀧クンもありじゃないかな。大瀧クンの音楽性とかそのマーケティングをどうしたらいいかとかいう事の理解度が高いっていうのを感じたんですよね。
ミ:バッチリはまったんですね。
スー:子供の頃(『ソウルこれっきりですか』を)単なるコミックソングと思ってました。この番組で1回かけたんですけどハハハッなんでこんな売れてんだ、と思いながら私も半笑いでかけたんですけど、まさか「ロングバケーション」に繋がっているとは。
ミ:この『ソウルこれっきりですか』が‘76,12。その1年後がナイアガラカレンダーなんですね。
スー:そうですね。
朝:だから‘76にヒットしてそのCBSソニーの仕事のやり方に凄い感心して、で、大瀧クンがちょうど来たんで「大瀧クンもうソニーにしようよ」つって。大瀧クンも「いいですよ」ってすぐ言ったんだけれど、後で聞いたら大瀧クンはもうソニーで少しレコーディングしてたらしいんだよね。
スー:あーそうなんですか。
朝:何曲かレコーディングしてたみたい。
スー:あーそうですか。ああー。
朝:だからソニーじゃなくてどっか他のレコード会社に行こうよってもし言ってたとしたら、結構もめたんじゃないかな、って思いますけどね。
スー:でも本読んでみると、加藤和彦さんからの関係もあって人脈的にはキャニオンレコード。
朝:ええ。
スー:フジサンケイの方で出すっていうのが自然なんだけど、ここは今のご判断でCBSソニーで行くぞっていうふうになったんですね。
朝:ええええ。
ミ:これが音楽出版社の仕事の一つっていう事ですね。
スー:でねえ、私はこの番組は上品な番組にしたいんですけど、リスナーの一部に下衆なエピソードが好きな方がいましてね、ちょっと代弁して聴きますけど。
朝:リスナーに名を借りたスージーさんの興味じゃないんですか?
スー:あっ!バレました?ハハ。
ミ:全部見抜かれてますよ(笑)
スー:『幸せな結末』の後に中華料理屋ですかね、大瀧詠一が…。BGM ♪『幸せな結末』
朝:いや、日本食屋さん。
スー:『幸せな結末』がヒットして、なんかパーティーみたいなのがあって。
朝:あのぅ、二人でご飯食べて。
スー:あ、ホントは二人だったんですね!『幸せな結末』がヒットした後にアルバムを作ろうと持ち掛けて、大瀧詠一が怒るという(笑)。
朝:「大瀧クン、『幸せな結末』これだけヒットしたんだからファンも待ってるはずだからアルバム作ろうよ」「朝妻さんはいつもそうなんだから!」って。立ち上がって。
ミ:ハハッ。毎回このフレーズが出て来るハハハ。
スー:ハハハハハ。ちょっと質問していいですか。朝妻さんって命の恩人じゃないですか、大瀧さんにとってはね。何を怒ってたんですか。何なんでしょうね。
朝:いやいや命の恩人って。僕の持ってないところを大瀧クンは凄い持ってる訳だし、大瀧クンの知らない事を僕が知ってるとかっていう、まあ、イコールパートナーみたいなところがあって。例えばトニー・ハッチっていう作家プロデューサーがいるんだけど「トニー・ハッチって今どこにいるかわかりますかー?」って聞いて来て。当時トニー・ハッチがポルトガルかなんかにいるのを見つけて、でトニー・ハッチに連絡して「ここだよ」とかって言ったら、トニー・ハッチが「なんでこんな事知ってんだ」っていうような事を尋ねたんでびっくりしてましたけど。ま、そういう事を聞くとかっていうんで。一応大瀧クンも「こいつは音楽好きだけど音楽の幅はある程度決まってるな」と「嵩も足んないな」と、「でも音楽業界の人脈とかそういう事に関しては詳しいな」とかね。
スー:うーん。
ミ:実際繋がりがありますからね。朝妻さんがそうやってポンとここにいるよって言えちゃう人ですから。
スー:CBSソニーだよって。
ミ:また、アルバム作ろうよって、みんな思ってた事じゃないですか。
スー:みんな思ってた!
ミ:思ってても言えない事を、代表して…。
朝:いやそれで「大瀧クンさあ、もうファンはずーっと待ってんだから、つとめとしてアルバムを出すっていうのはアーティストとして考えなきゃダメだよ」って言ったんだよ。そしたら「作る人間の気持ちなんか全然わからないんだから!」って。
スー・ミ:フッフッフッフ。
スー:ハハハ上からいろいろ言われんのが嫌なんですよね、多分ね。へそ曲がりでね(笑)
朝:多分ね。基本的に「こいつ、もう凄いアルバム作ろうなんて簡単に言ってるけど、その為にはどれだけ大変な事かをちゃんと理解してんのか」っていうのを言いたかったんだと思うんだよね。
ミ:当時、日本で言えるのは朝妻さんだけだったと思うんで。言っていただいていて良かったというか何というか、このエピソード。
スー:あとあれですよね。朝妻さんが「ロングバケーション」に残した功績。資金面の話とレコード会社の話とあともう一個、制作現場でスタッフに対して松本隆も含めて、「胸キュン」で行こう!と。フッフフフフ。
ミ:このワードですよ。
スー:朝妻さんに言う「胸キュン」ってなんですか?
朝:「胸キュン」は「胸キュン」だなあ。
スー・ミ:ハッハハハハハハ。
朝:もう聞いた後で胸がキュンとするっていう曲が、ヒットの一番大きなファクターだっていうふうにずうっと思ってましてね。それで最近のヒット曲聞くとちょっと、あ、俺の思ってるのじゃない方に来てるかなっていう、なんかあんまり「胸キュン」の曲っていうのが数が少なくなってる気がするんですよね。
スー:米津玄師とかKingGnuにはあんまり「胸キュン」がない?
朝:あのね、音楽的には面白いし「胸キュン」であるのと、もう一つはそれまでに無い新しい要素を持っているていうのもヒット曲の要素だと思ってるんで。「胸キュン」ではないけれども、新しい要素を持ったヒット曲はいっぱい出てますよね。
スー:でもその「胸キュン」と言える要素が最近少ない。
朝:だからその「胸キュン」が少なくなっている一つの理由は、例えばイントロが凄い短くなってるっていうのもね、大きな理由じゃないかと思うの。だって『ムーン・リバー』のイントロってわかります?♪タンターンターンタタタターンタタタターンタタタ…てのがあんだけど、そっから♪ムーンリバーって入って来るんだけど。そのイントロが出ただけで「お!ムーン・リバーだ!」ってみんな聞く人がね感情移入できる用意ができるんだけど、今そのイントロがもうほとんど無い、イントロが無い事の方が新しいみたいな感じになっちゃってるんで、聞いてる人達にちょっと不親切なんじゃないかな、って僕は思ってるんですよね。
スー:うんうんうん。まあサブスクリプションの浸透っていう事も影響してるんだろうけど。
ミ:いち早くサビを聞かせる、ていう方を重視していて。
朝:うん、そう。
ミ:情報みたいな事になっちゃってるんですよね。最初の10秒を聞いて掴まれるかって、ま、そこが「胸キュン」なのか。今キュンっていう言葉自体はやたら流行っているんで。
スー:あーそうか。TickTokとかでね。
ミ:朝妻さんが最初だったよ、って言っておいて。
朝:ハハハ。
スー:アッハハハハハ!
ミ:朝妻さんはポケットじゃなくて「胸キュン」することですからね。
スー:「キュン」も瑛人『香水』も朝妻一郎がいなければなかった!あ、話戻りますけど「ロングバケーション」における「胸キュン」の象徴はやっぱり『恋するカレン』ですよね。
朝:そうです。僕は全くそう思ってますね。
♪大瀧詠一『恋するカレン』
【スタジオに戻る】
スー)興味深いでしょ皆さん、どうですかー。ハッハッハッ。
ミ)ねえー、ホントに。大瀧詠一さんはこういう人だったんだ、と人間が見えてから聞く…。
スー)見えて来る見えて来る。
ミ)『恋するカレン』ですよ。
スー)大瀧詠一本ってたくさんあります。先日も「大瀧詠一レコーディング・ダイアリーvol.2」っていう本が出まして。さっきの、大瀧詠一が朝妻一郎の所に行ってJ・D・サウザー『ユー・アー・オンリー・ロンリー』をかけたのは、1979年9月6日木曜日だそうです。だから広島カープがいよいよ優勝を決めようかっていう、高橋慶彦が走りまくってる頃じゃないですか(笑)その頃大瀧詠一は朝妻一郎の所に走り込んだんですよね。ハハ。スライディングしたんです。
ミ)ムフフフフフ。
スー)どうですかミラッキさん、今インタビュー聞いて。
ミ)いや凄いですよね。スージーさんの実年齢で言うと10歳の時が『ソウルこれっきりですか』で11歳の時に「ナイアガラ・カレンダー」で。その時、朝妻さんは33歳34歳で、大瀧さんは20代後半。
スー)後半後半。
ミ)’79,9に作りたいって言って’81,3に出るまで1年半かかってる。
スー)かかってますねえ。やっぱり歴史の横の繋がりって言うかね「ロングバケーション」だけを聞いていても中々わかりにくい事っていうか。『ソウルこれっきりですか』マイナーチューニングバンドと大瀧詠一「ロングバケーション」というのは、音楽的には全く無関係ですよハハハ。全く無関係なものが、ミラッキさんの大好きな関係性、星座、繋がってるっていうね。こういう事は聞かなきゃわかんない。
ミ)星と星が繋がってるんですよねえ。CBSソニーで繋がっていて、そこを取り次ぐのが音楽出版社の役目なんですよ、と最初に説明してくれましたよね。
スー)そうですよね。今日はこんな感じで朝妻さんにいろんな話を伺います。え~割と失礼な物言いで、私も恥ずかしくて、ホント朝妻さん申し訳ございません。
ミ)アハハTwitterのつぶやきにもありましたよ。《朝妻さんて優しい人だなあ》って。
スー)アハハハハ!私があんなふざけたようにトークしてますけど、実は感動で泣きながら聞いてますからね。ハハハ迷える子犬のような目で聞いてますから。でもこういう歴史の枝葉末節のトリビアな話も含めて、これを知らなくても「ロングバケーション」楽しめると思うんですけど、こういう人間模様って言うか『ソウルこれっきりですか』との繋がりとか大瀧詠一の性格・人となりとかを感じながら『恋するカレン』を聞くと。これがまた!嘉門達夫の言うように味わいがフッフフフ。
ミ)そうですね。大瀧さんと朝妻さんがお互いに持ってないものを持っていたっていう話も良かったですね。
スー)イコールパートナーっていうね。
ミ)軽く言ってましたね。「トニー・ハッチがどこにいるか」って大瀧詠一さんから聞かれて「ポルトガルにいるのを見つけて」って朝妻さんは簡単に言ったんですけど、もちろんインターネットの無い時代に見つけられるんかい!っていう。
スー)ワールドワイドな話になってますよね。さて、次は「加藤クン」の話でございます。→Ep.2へ続く