妄想出版「ザ・月9の本'22,3,28号音粋ヒストリア-朝妻一郎インタビューEp.3」

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【CM】
スー)大瀧詠一加藤和彦話が尽きませんが、秋元康という方の作詞家としてのデビューにも、 人間関係的に朝妻さんが絡んでいるという事なんですね。面白いですよね。
ミ)そうなんです。大瀧さんの後になる訳ですよね。
スー)もうレジェンド達がインフレしてて、よくわかんない世界になってます。ハハハ。
ミ)ハハハハ。
スー)誰が偉いんだっていう話なんですけど、朝妻一郎って人が偉い事は確かですね。秋元康という人は放送作家で出て来て、あ、ミラッキさんの高校の先輩らしいですね。
ミ)高校の先輩なんですよ。放送作家の仕事21年やってるんですけど、私お会いしたこと一度も無いんです。
スー)あーそうなんですか。私も本とかで読んでるレベルですけど、放送作家からベストテンとか後年は夕焼けニャンニャンなどテレビ番組をやられる訳ですが、一番始めはせんだみつおのラジオに投稿したって話のようですね。
ミ)そうですね。しかもコーナーで募集していたものを送ったんじゃなくて、勝手にラジオドラマを書いて送ったっていう話なんです。
スー)なんかね、平家物語のパロディかなんか。
ミ)を、送って、こいつは面白い放送局に来ちゃいなって、高校生の時から出入りしていたという。(※小声で)すごいんだよなあ。
スー)1960年代後半に一世を風靡したフォーククルセダーズ、皆さんご存じ1981年3月21日に「ロングバケーション」が出て、日本にシティポップ、ポップス!そのものの流れを作る。年表的にはその後になるのかな。
ミ)後です。
スー)秋元康という人が放送作家から、作詞家として出て来て一世を風靡するってのに対して、どういう経緯でそれが進んで行ったのか、それがおニャン子クラブになって行くんだという話とかですね。日本ロック史ポップス史とかっていう時、おニャン子クラブっていうページはあんまりないと思うんですけど、僕みたいな評論家などは優劣つけがちとか、はっぴいえんど原理主義とか、ありますよね。朝妻一郎って人の面白い所は、ヒット曲の伴走者っていうことで、フツーにおニャン子クラブもさっきのフォーククルセダーズや大瀧詠一もフラットに語るんですよね。
ミ)そうなんです。さっきの「『オー・チン・チン』という曲が面白くてねえ」ってフツーに言えるんですよ。その感覚が凄いんだよなあ。
スー)面白いですよね。インタビューの中で判明しますが、朝妻一郎が好きなおニャン子の曲があってそれが「胸キュン」だって言うんですよ(笑)。さっきちょっとCMで秋元康の詩が一瞬流れましたねえ。稲垣潤一『ドラマティック・レイン』てのは秋元康が作詞家としてブレイクした作品で、一時期秋元康さんが自分の買ったBMWをドラマティックレイン号と言ったという。ハハハ。その前にも作っているんですが、一般的に世に出たのがこれなので、まず曲を聞いてその後、朝妻一郎さんの証言をまとめてみたいと思います。では。
♪稲垣潤一『ドラマティック・レイン』

【エピソード3 秋元康】
スー:これも音楽業界の顔役、亀淵昭信というレジェンドが秋元康を連れて来るという。ハハハ。この前ラジオで秋元さん出てらっしゃって、当時ニッポン放送の亀淵さんに「作詞家やってみないか」と言われてめっちゃ嬉しかったと。ただ後から情報聞いてみると、放送作家みんなに言ってたと。ハハハハ。 ミ:ハハハハハ。
朝:ハハハそうそう。確かにね、僕も秋元クン以外にも何人か放送作家を紹介されましたよ。
ミ:選ばれし、じゃなくて、みんなに言ってたんですね。
朝:でもやっぱり誰でもっていうんじゃなくて、書くものの言葉とかそういうのは亀淵さん見てたと思うなあ。
スー:『ドラマティック・レイン』が秋元康伝説のとっかかりなんですけど、筒美京平作曲で作詞がコンペになってたとか。
朝:そうですね。ただね、もう、出て来た時に「ああもうこれだ」っていうぐらい他の人とは差がありましたね。
スー:あーそうですか。やっぱりそれはサビのトコの♪ドラマティ~ック、レイン。
朝:ですね。うんうん。
スー:秋元康が自分の本で『ドラマティック・レイン』ていうのと『瞳にワイン』っていうのと2本出したと。だから片っぽは♪ひとみに~、ワイン。ハハハ。ドラマティック・レインのが良かった。
朝:アッハッハ。
スー:で、フジパシフィックという名前になり、おニャン子クラブで大爆発する。調べるとおニャン子クラブ『じゃあね』と『真っ赤な自転車』がお好きだと。
朝:僕はその2曲がホントに好きで、秋元クンに「これ絶対なんかさあ、やろうよやろうよ。なんかカバー作ろうよ」っていうんでお願いしてるんですけどね。
スー:でもアイドリングでそれを考えたら断られた、ていう話があります。ハハ。
朝:ハハハ。多分まだ早いっていう。
スー:『じゃあね』と『真っ赤な自転車』てのは、さっきの「胸キュン」ですか?
朝:『じゃあね』なんかは絶対そうですね。
ミ:今月卒業シーズンですから、良く流れたんじゃないですかね。
朝:『真っ赤な自転車』もやっぱり「胸キュン」ですね。
スー:私はもう『冬のオペラグラス』と『風のInvitation』が大好きで、多少フジパシフィックに貢献しましたけど(笑)。多少ですけど。
朝:ああ。ハッハッハッ。ありがとうございます。
スー:現在の秋元先生、大活躍ですがどうですか。
朝:いやぁだからねえ。最近秋元クン、テレビドラマの台本ていうか原案を結構やってるんですよね。「真犯人フラグ」ね。
スー:あ、はいはい。
朝:中々うまいひねり方をしてて、やっぱりこれ考えてる人ただモンじゃないなってそのドラマを見ただけで思いますよね。で、クレジット見たら「原案 秋元康」とかって。
スー:今でも猛烈に作詞してドラマの原案考えているんですね。
朝:そう!あのバイタリティって言うか力はホントに凄いですよね。
ミ:秋元さんが作詞始めるきっかけって、俗説として「もう放送作家の稼ぎってここまでって天井が見えたと、このままじゃダメだと思って作詞をしたいんだ、作詞家になりたい」って話をいろんな人にしていた。というのを聞いた事があるんです。
スー:あーじゃあ、自分でもモチベーションはあったんだ。
朝:だから一番最初の秋元クンの仕事って、多分自分でアプローチしたアルフィーかなんかの曲じゃないかな。
スー:あーなるほど。本人も意識があった所に、早口の(笑)ニッポン放送のオトコが。
朝:だから僕もね『子供達を責めないで』っていう伊武雅刀さんのねレコードの時に、ま、洋楽曲だったんだけど、『Don’t blame the children』っていう曲に「秋元クンこれちょとさ、詞書いてよ」って言って。すっごい面白い詞書いてくれましたよ。あ、やっぱりすっごい才能あるなって思いましたもんね。
ミ)「私は子供が嫌いだ」ってね。洋楽カバーの話このご本でもよく出て来るんですね。この番組でも話題にしたんですけど、ビートルズやビージーズは世界的にもヒットしてて日本でもヒットしてるけれど、日本でしかヒットしてない洋楽、グループってあるよねって。
朝:おーおーおー。
スー:フフフッこの前デイヴ・ディー・グループ『オーケイ』とかメッセンジャーズ『気になる女の子』ヒューマン・べインズ『ノー・ノー・ノー』とか、日本でしかヒットしてない。
朝:デイヴ・ディー・グループはイギリスでも上がったんじゃないかなぁ、うん。
スー:あーそうですか。
朝:デイヴ・ディー・ドージー・ミッキーなんとかっていう(※Dave Dee,Dozy,Breaky,Mick& Tich)
ミ:さすが。
スー:(笑)5人5人。
ミ:音楽出版社を立ち上げられた時は、邦楽ではまだ権利は難しいから洋楽でできるものを、とやられてたと思うんですけど。朝妻さんの審美眼「これは日本で売れる」っていう要素は何かあったのでしょうか。
スー:洋楽はどうですか?
朝:まぁ洋楽もメロディがキャッチ―であること、それからサウンドが印象的なフレーズを持っていること。で、すっかり歌詞が忘れられて、後で筒美京平さんにタウンズオブメロディ(※聞き取り不正確)しか聞いてないからヒット曲を探すにはちゃんと詞まで聞かなきゃダメだって言われたんだけど。
スー:だってあれだけの交渉してらっしゃるんだから英語できますよね?
朝:でもね、詞を聞き取るだけの力は無くて、僕はボン・ミラーっていうコメディアンが「ファーストファミリー」っていうケネディ一家をお笑いにしたアルバムがアメリカのチャート1位になった事があって「ファーストファミリー」を聞いても何がおかしいか全然わからないわけ。で、アメリカ行ってラスベガスなんかでプレスリーでもなんでも有名なアーティストのショーを見に行くと前座がコメディアンなんだよね。ところがそのコメディアンの言ってる事が、隣が笑ってんのが何で笑ってんのがわかんなくて。「ファーストファミリー」を聞いてみんなと同じタイミングで笑えるようになりたいっていうのが、僕のずっと希望だったんだけど、これは‘67にアメリカ行ってもう今50何年経つんだけど、未だにかなえられてないね。だから、ここはね、悔しい。
スー:まあでも日本のリスナーの多くはそうですから、歌詞の内容とかじゃなくて音の響きとかね。この前調べたら『ビューティフル・サンデー』ダニエル・ブーンが200万枚くらい売ってて『マンダム~男の世界』とかヘドバとダビデ『ナオミの夢』がオリコン総合チャート1位になってる。フッフッフッ。
朝:だからまあ、自分が探して来て日本でヒットしたのは例えば『ジンギスカン』とかね。
スー:アッハッハハ。あーー。
ミ:あーーーー。
朝:それから例えばシルバー・コンベンションとか、あれもそうだ『アイ・ライク・ショパン』も。※BGMガゼボ『アイ・ライク・ショパン』
スー:ガゼボですよね。後にも先にもガゼボっていうのがどんな音楽家なのかっていうのはあの曲だけ…。
朝:これは後でCBSソニーが松任谷由実さんに詞書いてもらって小林麻美さんでカバー作ったってのも大きいんだけど、最初のエレクション盤を弁護士ドイツ人だったんだけどイタリアの出版社から契約したのは、僕なんです。
ミ:いや凄い!もうもはや日本の曲なんじゃないかっ、て思っちゃうくらい馴染んでるじゃないですか。
スー:そうそう。(笑)ガゼボって実在するのか、ホントは日本人なんじゃないのかって(笑)

【スタジオに戻る】
スー)ガゼボが鳴ってますよ。ガゼボが実在するのかって、言い草もどうかと思いますけど(笑)あんまりガゼボの人格のイメージ無いですよね。
ミ)そうなんですよ。こっそり日本人のグループなんじゃないかとか(笑)。
スー)ガゼボがわかんない上に、イタリア人の出版社と交渉したって(笑)二重にも三重にも闇が深いですよハハハ。
ミ)この本でも権利の話で弁護士がよく登場しますよね。なんか知らないロシア人とか。
スー)そうそうそう。法律の話なんですよね。繰り返しますけどヒットするものが全てという事で、秋元康の話もフツーにフラットに話すんですよね。普通日本で70超えた方が『じゃあね』が好き、って言わないじゃないですか。ハハハ。
ミ)そーなんです。ホント、そこなんですよね。凄いんですよ。フラットに言えるのが。やっぱり10代の時に聞いたあれにはかなわないな、っていう話になりがちなんですよ。
スー)なりがちなりがち。昔話になりがちです。
ミ)朝妻さん全部同じお皿に乗せる。『ドラマティック・レイン』の時、秋元康さん24歳、朝妻さん39歳と登場人物の年齢が若いんですよね。
スー)若いですよね。日本全体が若かったっていう話をさっきしましたけど、加えて、なんつうんだろうなあ、非常に独創的な人間達がぶつかり合って、相乗効果で日本の音楽を面白くしてるって感じですよね。話聞いてると、秋元康って方が元々作詞家へのモチベーションがあったって感じですよね。これちょっとぉ、ミラッキさんもそろそろぉ…。
ミ)えー⁈
スー)作詞ぃ…。
ミ)私、今年42ですよー?24じゃないんですよ。
スー)ハハハこの番組では若手の。私しかいませんからハハ。
ミ)確かにこの登場人物のプラス10歳くらいが今の世の中なのかなって気はします。当時の23,4歳が今の33,4歳かもしれない。
スー)あ、今年新春放談(※’22,1,3オンエア9の音粋)で1曲作ろうって話、あったじゃないですか。
ミ)はい、もう私制作頼んでますよ。動き始めてます。
スー)あ、あ。私もね、多重録音の機械買いました(笑)。宅録流そうと思ってるんですよね。え、え?作詞もなさる?
ミ)しますよ。
スー)来た来た来たー。
ミ)いや作詞自体はおふざけバンドでやったことあるんですよ。
スー)来た来た来た来た。今年はミラッキさんが作詞家で大ブレイク。「瞳にワイン」って歌詞どうですかハハハハハ。
ミ)アハッ。そうしようそれにしよう。売れそう。
スー)じゃあ、そのおニャン子クラブの『じゃあね』がどこが「胸キュン」なのか。あーこういうことかって。秋元康こういう卒業モノとかって上手いですよね。
ミ)そう“企画感”があるんですよね。放送作家脳がどっか働いている。
スー)ですよね。どこが胸がキュンとするか確かめてみましょう。ではおニャン子クラブ『じゃあね』
♪おニャン子クラブ『じゃあね』
スー)胸がキュンとしましたよ。今作詞見たらね。やっぱり後の何十年かの日本歌謡史を引っ張って行く才能の片鱗を感じます。2番「春はさよならの港です」。みなとっ!
ミ)この続きなんですか?
スー)「人はそれぞれに船出です」
ミ)船出って言い方だから「港」なんだ。計算されてるなって気がします。
スー)それはあります。私も『夜明けのミュウ』で1回書いた事あるんですよ。計算されてるんですよ、オチがあるっていいましょうか。「さよならの港」っていうのは松本隆竹内まりあの『SEPTEMBER』「9月はさよならの“国”」“さよならの国”これは向こうの小説がありますからね。「さよならの港」「さよならの国」日本二大さよならの〇〇
ミ)アハハハハ。
スー)メール清水のまさきさん《おニャン子クラブ大好きな曲『真っ赤な自転車』が「胸キュン」というワードで括ってもらえて涙がでそうです。》村ちゃんさん《「イムジン河がオープンリールを逆回転して作ったという話が聞けると嬉しいです》嘘でしたっ!
ミ)秋元康の歌詞あるある自問自答しがち。「何々だろうか何々だろう」って推測ですぐ答えちゃうんです。で「ナントカをして行くんだ」みたいな歌詞の流れがあって。
スー)私は今、手元におニャン子のスーパーベストというのを持ってます。パッとタイトルだけ見ても『おっとCHICAN!』『およしになってねTEACHER』とか代表的ですけど。凄い企画モノって言いましょうか、放送作家として歌詞の文学的な味わいよりも企画先行、企画モノってイメージが強かったんです。でも朝妻一郎先生が「胸キュン」だって断言するっていうのは、やっぱ根本の部分でちゃんと「胸キュン」とするような歌詞の構成があるんじゃないか。
ミ)そうですね。でそれが全編に渡ってでなく一箇所この鍵を握った引っかかるワードがあればいい、さっきの「春はさよならの港です」みたいなのが秋元さんにあるんだろうなと。
スー)ああ、はいはい。朝妻一郎には響かなかったですけど(笑)『冬のオペラグラス』とか『風のInvitation』の2番かなぁ「ポーラスターはプラタナス」ってフレーズあんですよ。「ポーラスターはプラタナス」わっけわかんないんですけど、そこの歌詞がめっちゃ印象残ってるんですよ。で(笑)秋元康本人が自分の歌詞を解説するっていう野暮な本があるんですよハハ。
ミ)ハハハハ。ホントは誰かがした方がいいんだよ!こーゆーのは!
スー)ハハハ。買いましたよ当時。こういうの書く秋元康はなあ、って思ったんですけど、今でも覚えてるって事はやっぱインパクトが。
ミ)そうなんですよ。
スー)1曲の中にツボの部分がある。
ミ)曲のタイトルだけ見ると企画モノのような『象さんのすきゃんてぃ』「何々のナントカ」この組み合わせは企画を考える放送作家の脳みそだなって思いますけど。でもそうやって一行入ってるんですよね。
スー)それに目をつけたのが亀淵昭信という巨人でございまして。そして朝妻一郎も受けて秋元康が作詞家としてブレイクして行くという歴史絵巻でございますね。
ミ)その亀淵さんと朝妻さんをピックアップしたのが高崎一郎さんが上にいて、間にようかもりさん(※聞き取り不正確)がいて、面白いなあ。
スー)これ、何回でもやりたいなあ。こういう番組にしましょうか。
ミ)いやいやいや(笑)
スー)ハハッいやいやいやいや。たまに、ですからね。じゃあ最後のパートはこれからの音楽マーケットとか、これからのラジオについて熱く語っていただこうと思っております。→Ep.4へ続く


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