タイムフリーが終わる前に♪9の音粋(#キュウオン)「吉田拓郎のいない吉田拓郎特集」2022,6,13つまみ聞き
吉田拓郎巨大な功績を音楽評論家の真価を発揮して語るDJと吉田拓郎一門情報過積載⁈DJ2人の音楽トーク番組。bayfm9の音粋(#キュウオン)月曜日。2022,6,13「吉田拓郎のいない吉田拓郎特集」タイムフリーが終わる前に是非お聞き下さい!ここではちょっとつまみ聞き。DJはスージー鈴木(スー)ミラッキ大村(ミ)
スー)はい、115回を迎えました。6月13日こんばんは、音楽評論家のスージー鈴木です。
ミ)放送作家のミラッキ大村です。
スー)ラジオ業界はスペシャルウィークという事で、浮足だつ1週間です、か?
ミ)そうですね。
スー)9の音粋にも木曜日に山下達郎さんが来るとか来ないとか。ありがとうございます。
ミ)はい、来週の木曜日、23日です。
スー)月曜日、我々は「吉田拓郎のいない吉田拓郎特集」っていう。全くいつもと変わらない、通常運転。 ミ)ハハハ。
スー)吉田拓郎のいない、っていうね。でもハハッ、ゲストに来られても困ります。ハハハ。
ミ)ハハハ。びっくりしちゃう。
スー)極めて通常運転で、地に足のついた番組でございます。(☆果たして「吉田拓郎のいない吉田拓郎特集」が“地に足のつい”ているんだろうか^^;)初めて聞いた方に説明しますと、当該アーティスト(今週は吉田拓郎)の曲をかけずに!、影響を受けたミュージシャンとか、もしくはその人の作った曲とか(をかけながら、語り)、とにかく、本人の曲をかけずに、そのミュージシャンの大きな功績を証明して行こう、というアプローチでございます。いよいよ6月29日に、吉田拓郎ラストアルバム「ah!面白かった」が発売されるということで、その関連で拓郎さんの大きな功績を考えていいタイミングじゃないか、という事でございますね。 ミ)はい。
【原点・ペンタトニック・3拍子・拓郎スケール^^;】
スー)1970年6月52年前の6月にですね『イメージの詩』でデビューして。まあ、長いですよ。で、この6月にラストアルバムと。ただね、あの方ねラストラスト詐欺、みたいのありまして。
ミ)スージーさん、言ってますね。
スー)‘85年のつま恋のタイトル「ワン・ラスト・ナイトinつま恋」(※’85,7,27-28につま恋で行われた、拓郎2度目のオールナイトコンサート)って言いまして、あー、辞めるんだと思ったんです。辞めなかった。ハハハ。何回かそれっぽい話はあるんです。本当にラストかどうかは別として、振り返るには絶好のタイミングかなと思いました。
ミ)そうですねえ。
スー)また、歴史モノ行きます。そもそもは‘60年代後半に広島での人気アマチュア、リズム&ブルースバンド「ザ・ダウン・タウンズ」というので、広島地元の大ヒーローだったんですね。それと並行してボブ・ディランを聞いて、弾き語りにチャレンジするんですね。こっちで頭角を現すんですよ。
ミ)最初はバンドだったんですね。
スー)そうそうそうです。でね、日本ではボブ・ディランってのは、あんまりよくわかられてなったみたいです。フォークって言うと、ボタンダウン(シャツ)に七三(七三分けの髪型)のカレッジフォーク(※‘60年代後半、小ブームになった大学生5-6人編成フォークソングバンド形態。ロックに対して優等生的イメージ)みたいな綺麗な方になっちゃうんです。けれど広島の大学生がボブ・ディランの影響を真正面に受けて、リアルタイムでその本質である、借り物ではない、自分の言葉とメロディで、素朴な普段着の自分を表現したという。それまではグループ・サウンズが、♪森と泉に囲まれて(※ブルーコメッツ『ブルー・シャトウ』)とか『モナリザの微笑』(※ザ・タイガース)がナントカとか、借り物って言いましょうか、ちょっとおしゃれな世界で、少女がキャアキャア言ったんですよ。そうじゃなくって、まあ、とにかく、自分の言葉で自分のメロディで歌うっていうのは、おそらく日本ロック史の中では、最も大きな革命だと思います。
ミ)そうですね。今では当たり前過ぎて。
スー)当たり前です。9時台前半は吉田拓郎がブレイクした後に、歌謡界にどういう影響を与えたかという話をして行きます。まずは、原点であります1963年の世界で最も有名な曲と言えるこの曲。ボブ・ディランの曲を聞いて欲しいと思います。メール、村ちゃんから《もしかして洋楽かかるかも枠》という事でリクエスト予想がありました。ボブ・ディランで
『Blowin’ in the Wind』風に吹かれて。
♪ボブ・ディラン『Blowin’ in the Wind風に吹かれて』
スー)えー、へへへ洋楽から始まりましたボブ・ディラン。まあ、今聞いて、やっぱりボブ・ディランてのは日本人には分かりにくいって言いましょうか。神格化されてる割には、音も貧相でね(笑)ギター一本で、歌も独特で。ピーターポール&マリー(※‘60年代アメリカの男性2人女性1人フォークグループ。日本でも人気)がカバーしてやっと日本人にもわかるという感じで。知名度ほどにはあんまりリスペクトされなかった、あんまりよくわかんなかった感じがあったと思うんですけど、吉田拓郎少年はこれをど真ん中から受け止めて。で、さっき言ったように、本質的な部分である所の、自分の言葉自分のメロディで歌うってのをやったと。ちょっと話長くなるんですけど。アコギ中心のシンプルな演奏でシンプルだけどクセのあるコード進行。五音音階(※ギターを弾いて)♪ドレミソラっていう、ヨナ抜き、ファとシが入らない、五音音階。素朴なんですよ。 ミ)うんうん。
スー)だから歌を作る時に素朴な普段着の感覚を表現しやすい。『イメージの詩』だと(※ギター弾きながら)♪ソソ~ソ・ソミレ・ドドドドド~・ドラソ~・ミミミレドレ~。ファとシが無い。♪ミソソソラソソ~ミドドミミレレ~ラドドレレドド~レドミソ~『結婚しようよ』。
ミ)ああ、ホントだ。
スー)(※ギター+歌)♪ミミミ~レド~レ・ドドド~・ソミ~。『旅の宿』。『旅の宿』は後半シとか出て来ますけれど、『結婚しようよ』や『イメージの詩』は、完全ペンタトニック(五音音階)。ま、難しい話抜きにして、なんか素朴な感じがするじゃないですか。
ミ)はい。
スー)普段着な飾らない感じっていう。これが筒美京平曰く「井上陽水は怖くなかったけど、拓郎は怖かった」。筒美京平が凄くエレガントでクラシカルなオッシャレなメロディーをやっと(日本の歌謡界に)導入したのに。なんか裸足で普段着で若者が、五音音階で現れたよと。恐怖だったって、言う風に仰ってましたね。という訳で、日本の若者に楽器を持たせて、借り物でない言葉で作詞させて、シンプルなメロディを作って行った。で、日本の若者を歌わせた、音楽に引き込んだ人数は、日本音楽史上№1だと思います。矢沢永吉を超えると思います。これが踏襲されます。‘72年に『旅の宿』『結婚しようよ』で大ブレイクして、その影響が歌謡界に浸透して行きます。次は吉田拓郎と直接関係ない曲『時の過ぎゆくままに』なんです。
ミ)はい。
スー)(※ギター+歌)♪あなたは~すっかり~疲れてしまい~。五音音階なんですよ。
ミ)うん。
スー)(※ギター+歌)♪あなたは~すっかり~(※ダミ声になり)ススキのかんざしィ~
ミ)ハハ嘉門達夫?
スー)「時の宿」!ハハ。もう、本当に拓郎メロディーなんです。皆さんご存知の‘75沢田研二『時の過ぎゆくままに』なんですけど、吉田拓郎が歌ってると思って聞いてみて下さい。
♪沢田研二『時の過ぎゆくままに』
スー)ペンタトニックってのは専門的で難しい言い方なんですけど、お風呂ん中で鼻歌で歌うような、自然な感じって理解されるといいと思います。メロディの感覚を言い表すと、小田急線沿線世田谷経堂あたりの四畳半に、若者が二人、Gパン姿の沢田研二と梶芽衣子が同棲してる訳ですよ。そこでポータブルプレイヤーでかかるような曲。 ミ)ううん。
(☆スージーさんの妄想映像に何人ついていけるでしょうか^^;)
スー)フフッハハハッ。ちょっと分かりにくいフフッ。
ミ)時計の針を50年前に戻さないと浮かばない…。
スー)フフッ。ファンシーケース(※‘70年代ヒット商品。スチールパイプ骨組に厚手ビニール張りの簡易衣装ケース。ジッパーで開閉。)ジーーーッていう(※ジッパーの音^^;)、ファンシーケースがあって、ポータブルプレイヤーがあって。そういう’70年代若者が口ずさむような感じってのがね!拓郎が生み出したモンなんです。今の♪時の過ゆく「ままに~」の所がソ♯ですが、それ以外はペンタトニックで非常に拓郎っぽい。
ミ)じゃ逆にそこが際立つ訳ですね。
スー)そうですそうです。いい事おっしゃる。沢田研二は渡辺プロです。当時ナベプロは歌謡界を制圧してたんだけれど、フォークソングという敵が出て来て、取り込もうとするんですよ。その代表が‘74レコード大賞を獲った森進一『襟裳岬』なんですが、後にも、ナベプロのキャンディーズに『やさしい悪魔』『アン・ドゥ・トロワ』等を拓郎が作ります。その前に、“5拓郎”が満点だとしたら、3.5拓郎の曲をキャンディーズが歌っています。例えば『春一番』なんかそうですね。かなりペンタトニックで。でもね時期的にはその次のシングル『夏が来た』っていうのがありましてね。これがねえ、“拓郎度”が高いんですよ。男言葉でメロディーも完全ペンタトニックで、吉田拓郎が歌ってると思うと、ホントに拓郎メロディ―って感じですね。
♪キャンディーズ『夏が来た』
スー)‘72年の年間4位に『旅の宿』14位に『結婚しようよ』だから、とにかく大ヒットしたんですよね。距離を感じるかもしれませんが、実はこの辺にも拓郎の影響ってのが強くあったと思います。今のはキャンディーズの綺麗なハーモニーですけれどね。それを♪(ダミ声早口で歌う)みどりがぁ~空の青さに輝いてェェ~。って言ったら、拓郎ですよねハハハッ。
ミ)なんか嘉門達夫のような…。ハハ。
スー)ハハハハッ。次はね、ちょっと距離があって3拓郎くらいで、演歌なんです。『襟裳岬』が‘74なんですけど、フォーク演歌ってのができるんですよ。演歌のところにもフォークソングの印象が強まって歌われる曲が出て来ます。五木ひろしがね、フォーク演歌を歌ってるんですよ。
ミ)ええー。
スー)あのねえ、ペンタトニック。で、この前言いましたけど、拓郎って3拍子が多いんですよ。『青春の詩』『外は白い雪』とかね。3拍子でペンタトニックだと、“拓郎臭”が出て来るんですよ。‘72より後で、五木ひろし『ふるさと』っていう曲。ま、音楽的にはそんなに拓郎の影響は強くないんですけど、一応ペンタトニックで3拍子。あとね五木ひろしの曲なのに「洗いざらしのGパン」って歌詞が出て来るんですよ。’73の「洗いざらしのGパン」となると、“ザ・フォーク”!。五木ひろしが演歌で酒場の匂いがするとかでなくて、ふるさとに洗いざらしのGパンで、あの人ギター上手いですからね、もしかしたらフォークギター抱えてね。ハハ。吉田拓郎のフォークの匂いが強くするんです。拓郎の作った『襟裳岬』の前から、既に演歌にも吉田拓郎の3拍子、ペンタトニック、「洗いざらしのGパン」感って言うのが出てるという、物証でございます。
♪五木ひろし『ふるさと』
スー)メールバラードきりんさん《どうせ月9の事だからボブ・ディランは邦楽だと言って、洋楽かけたりするじゃないでしょうか》フフッ!読まれてたハハッ。さて、吉田拓郎特集と言いながら、「どこが拓郎やねん!拓郎が作った曲も流れてないじゃないか」というご批判もあるかもしれません。ちょっと、待って下さい。私が今、ガチャで素晴らしいプレゼントを出して、ゲスト以上のバリューを出したいと思います。
ミ)今週のbayfmはスペシャルウイークです。豪華賞品、何が何人に当たるかガチャをスージーさんにやっていただきます!お願いしまーす!出ました?
☆ガチャガチャ回す音
スー)これ、読んでいいんですか?
ミ)カプセル開けて読んで下さい!
スー)ハハハハハ…高級ビニール傘!¥8,800ですって。
☆高らかに鳴り響くSEパチパチパチパチ
スー)¥8,800のビニール傘ですよ!傘界の吉田拓郎ですよ。あーよかった。いやあ、肩の荷が降りましたよ。ずーっと憂鬱だったんですよ。
☆この後、「¥8,800の高級ビニール傘」でTwitterタイムラインが荒れる^^;
【ミラッキ・ゾーン 吉田拓郎の弟弟子⁉いつもに増して情報過多の気配】
☆拓郎は日本のジョン・レノン一門一番弟子90年代現れたその弟弟子
♪ホフ・ディラン『ドライブ』
スー)全く吉田拓郎でしたね
☆拓郎は日本のボブ・ディラン一番弟子その弟弟子
♪柳原陽一郎『ホーベン』
☆『旅の宿』を意識して小室哲哉が作詞した曲
♪広瀬香美『WOW WOW~時には起こせよムーブメント』
スー)ペンタトニックでしたね。
☆拓郎直系、直弟子、ジョン一門でもある、まごうことなき拓郎ソング
♪真心ブラザーズ『メロディー』
スー)フフフまんまですね。5拓郎。メロディーがペンタトニックで字余り唱法。
ミ)ホフ・ディランのワタナベイビーさんと真心ブラザーズYO-KINGさんとか、スージーさんと同世代の人達はとにかく洋・邦楽をたくさん聞いていて。時代も生まれる前までも遡ったりして。
スー)ええ、そうですね。
ミ)そう言う方々が世に出て来たのが、たまたまCDバブルの時代だったりして。
スー)私も世が世なら、出ていたはずなんですけど、ハハハッ。同じ大学出たんですけど、何が違ったんだろ(笑)。
ミ)ハハハ。世が世なら。…今日かけたのは全部21世紀発売の曲から出して来たんです。
スー)うん。いかに拓郎影響の持続力が強いかってことですよね。ワクチンが効いてるかって。10時台はちょっと寄り道したいんですよ。
☆告知:今週末(6/17)私スージー鈴木新刊「桑田佳祐論」(新潮選書)発売に伴う各種営業活動があるので、HP,Twitterなどチェックを。
【拓郎追っかけ 和風情緒 字余り唱法】
スー)アマチュア時代の拓郎に、小学校時代に会っているシンガーっていうのがいます。(※ガサゴソガサゴソ)こんなに、今日1番、たくさん来たリクエストです、西城秀樹。ほとんどが松本隆作詞吉田拓郎作曲『聖・少女』のリクエストなんです。でも世の中にはよく知ってる方がいらっしゃって、R子さん、いつもありがとうございます。《スージーさんが時々お話される中に、吉田拓郎と秀樹の出会いのエピソードがあります》今日、持って来たんですけど、田家(たけ)秀樹さんの「小説吉田拓郎~いつも見ていた広島 ダウンタウンズ物語」っていうのがあります。アマチュア時代広島時代の吉田拓郎をノベル化してるんですけれど、そこで西城秀樹が出て来るんですよ。1968年の広島。アマチュア時代の拓郎のダウンタウンズのセッションを、小学生が見ていて、拓郎が「ちょっと来いよ」と招くんですよ。「歌っていいですか」って言うので「何歌うんや」って聞いたら「ローリングストーンズ
サティスファクション歌います」ってその小学生が言った。吉田拓郎が演奏したら見事に歌う。その時の描写ってのがあって《拓郎は認めざるを得なかった。確実に時代は変わっているという事を。拓郎はムツタの弾くディストーションのかかった特徴的なリフに合わせて巧みにマイクスタンドを操る少年を目の当たりにし、そんな事を実感させられた。「君、名前はなんて言うの?」拓郎は歌い終えた少年に思わず声をかけた。タツオです。嘉門タツオ。(笑)ちゃうちゃう!キモトタツオ(木本龍雄)です、と言った》小学生がストーンズを歌うシーンを拓郎は見てるんですよ。ま、それくらい当時拓郎が人気で、小学生が追いかけて来たっていう話なんですけど。という訳でストーンズ音源を聞きたいと思います。ストーンズの『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』のカバー。‘75芝郵便貯金ホールのライブ音源です。’68の小学生の西城秀樹、木本龍雄少年に思いを馳せて聞きたいと思います。
♪西城秀樹『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』
スー)‘68の広島に日本のボブ・ディランと日本のミック・ジャガーがいたんですよ!
ミ)はあ、広島県人会凄いなあ。
スー)演奏も凄いんですよ。これギター、誰が弾いてるのかな。すっごい上手い。えーっとね。(吉田拓郎の)巨大な功績にペンタトニックという話をしましたが、それに微妙に繋がってるんです。西欧志向欧米志向満々の当時の日本ポップス界の中で、和風情緒を歌う事をダサくなくカッコ良くした、っていうの(功績)があるんですよ。例えば『春だったね』『夏休み』『祭りのあと』とかね、和風情緒ですよ。今までそれこそGSをまた仮想敵にしますけれど、「森と泉に囲まれて」とか「星と渚が」とか。ブルーシャトーどこやねん、って。好きですよ、ブルーコメッツ。でもそういう世界に対して、『祭りのあと』とか、日本に舞台を移した、というこれもさっきの“普段着感覚”って言いましょうか、自分の私の世界、舞台っていう所に引きずり込んだという大きな功績があります。日本を代表する吉田拓郎チルドレンが長渕剛で『夏祭り』という曲があります。ギターのイントロが素晴らしいんですけど。拓郎のアルバム「元気です」の中の『夏休み』『祭りのあと』という曲を合体したような感じ。こういう日本情緒を若者が歌うようにしたのも、拓郎の功績の一つだと思いますね。ライブ盤で行きます。
♪長渕剛『夏祭り』
スー)あー、こんなギター弾けたらいいなぁ。
ミ)イントロから良かったですね。
スー)当時アンノン族って言いまして、雑誌ananやnonnoで取り上げられて、日本各地を旅行するのが流行ったらしいんですよ。Discover JAPAN(‘70当時の国鉄が個人旅行拡大を狙ったキャンペーン)なんていう、日本回帰ブームはあったんですけど、それを音楽的にそういうのも歌っていいんだっていう領域を作ったのは、吉田拓郎だと思いますね。はっぴいえんども『夏なんです』を歌ってたんですけど、売れ行きとか(全然違う)。『旅の宿』がオリコン年間4位ですよ!フフ。
ミ)はっぴいえんどは失われてしまった東京を歌っていたのに対して、リアルタイムですね。
スー)ですです。巨大ですね、功績。まだまだありますよ。さっき出て来た、字余り唱法を日本でやったというのがあります。字数の制約から自由に。英語だと3つの音があったらI ・LOVE・ YOUと歌えるけど、日本語はア・タ・シしか歌えないとかいうね。そういう制約をボブ・ディラン的に崩して、早口でガナる。代表的なのは『ペニーレインでバーボンを』ですけど、『春だったね』では(※ダミ声で歌う)♪曇りィ~ガラスのぉ~窓を・叩い・てぇ~という形で聞いたことのない譜割り。これはもう、桑田佳祐に繋がってくラインだと思いますね。これがね、この影響下にいるミュージシャンが割と多いんですよ。今からかける野狐禅(やこぜん)という、竹原ピストルがいたユニットなんですけど、歌詞の中に《そのライブハウスではいつも70年代フォークが流れており 僕は彼らのメッセージに応えるべく 全身を硬直させたんだ》っていうフレーズがあって、そのライブハウスって旭川フォークジャンボリーっていう名前が書かれているんです。もうこの曲全体的にすっごっい字余りで、早口で。《70年代フォークが流れており》って書いてあるのは、もう吉田拓郎だ、って書いてるのと同義だと思いますね。 ミ)なるほど。
スー)竹原ピストル本人も、拓郎のカバーしてますから。タイトルが『自殺志願者が線路に飛び込むスピード』っていう物々しくいかめしいんですけど、是非聞いて下さい。早口でぶわーっと唸った後、一番最後に、この曲が死の歌でなくって、生の歌生きる為の歌だって事がわかります。
♪野狐禅『自殺志願者が線路に飛び込むスピード』
スー)いやァ、早口だった。曲も早かった。ハハハ。
ミ)究極ですね、この早さは。
スー)1番若い拓郎チルドレンはあいみょん。調べたら、クレヨンしんちゃんの映画で吉田拓郎『今日までそして明日から』が流れて来て、心を掴まれたという事らしいです。本人Tweet(2016,10,27)コンサートに行って《みんな吉田拓郎聞こうよ。ライブに行って震えた、カッコ良かった》とめっちゃおすすめするTweetしてると。3.5拓郎くらいです。『裸の心』♪この~恋が実りますよに~あの辺ですね。(ダミ声で)♪ミソ~ラソソ~ラド~ドレミ(笑)私のモノマネがみんな嘉門達夫に聞こえるハハッ。
ミ)やっぱりそうなんだよなあ。ハハハッ。
スー)このサビがペンタトニックで、ザ・拓郎節。このTweetを見てると、この令和の時代にかなり意識して、意識的に拓郎節を再現しようとしてる。吉田拓郎の影響をモロ、ポジティブに出してるって感じがしました。全体的にペンタトニックが強いんですけど、主にサビの♪ミソ~ラソソ~の辺り聞いて下さい。拓郎が歌ってると思って聞くと、イイと思いますね。
♪あいみょん『裸の心』
スー)たくみょん。フフ。「私の家政婦ナギサさん」ドラマ見てましたよ。私、先週金曜日TBSひるおび出たんですよ。多部未華子、本人に会いましたよ。顔、こんなんでしたよ。
ミ)ハハハッ。握りこぶし。
スー)ハハハッ。フツーの感想。
ミ)あいみょん、おもしろい存在ですよね。“男性ソロ・シンガー・ソングライターアーカイブス”みたいな。90年代末くらいから男性ソロ・シンガー・ソングライターが目立たなくなってしまった感じ。その人たちの歌を歌ってる。90年代ばかりか拓郎さんまで歌って若い女性にも響かせてる。
スー)この方、多分広島フォーク村にいたんじゃないですか。世が世ならハハ。私、今、広島っていいました?そろそろ広島県人の歌が聞きたいなあ。
【鼻濁音レス・広島県人ミュージシャン】
スー)ここまでちゃんと「吉田拓郎のいない」拓郎を排除してやって来ましたけど、そろそろ拓郎メロディはいいかなと。広島県人が歌う拓郎メロディはもう、5拓郎だと。まずは広島皆実高校の後輩、広島ロック界のPL学園。19年下の後輩奥田民生によるカバー。同じ高校ですからこれはもう、吉田拓郎の息子みたいな存在ですね。こうやって聞くと、声が似てるんですよ。凄い声量でシャウトする。僕、思ったんですけど、西日本と東日本のシンガーの違い。 ミ)はい。
ミ)鼻濁音の有る無し。東日本の方は「ナントカ(n)が」って言うじゃないですか。逆に西日本の人間の「が!」っていう汚い感じは、アナウンサーとか矯正されると言うんです。吉田拓郎もそうですけど、本当に鼻濁音無しで、「がァッ!」って言うんですよね。それが拓郎っぽさであると思うんですけど、今から聞く方もホントに広島県人の鼻濁音レスな、ホント―に声量も発音も拓郎の息子って感じがします。さすが、広島皆実高校、広島ロック界のPL学園の後輩でございます。
♪奥田民生『唇をかみしめて』
スー)どーですか、広島県人ボーカル。
ミ)子音が飛んで来る感じ。
スー)あー、子音強いですね。ま、ロックって割とみんな子音強くするんですけれど、もしかすると、広島の響きって言うのがあったかも。矢沢永吉も子音強いし。これ、研究に値しますね。次の本だなあ。
ミ)アハハハハッ。奥田民生さんは小学生の時に西城秀樹さんに会ってんですよね。思わずスージーさんにライン送っちゃった記事があったんで。(笑)
スー)同郷みんな近いなあ。もっと近いのは弟みたいな存在、もちろん浜田省吾です。さっきも出ましたけど、吉田拓郎らが作ったフォークソングのアマチュアサークル広島フォーク村の出身でして、後に拓郎のバックバンド愛奴のドラムですね。あんまり上手くは無かったって、本人は書いてましたけどフフフ。それで浜田省吾という人が出て来るんですね。これはね『イメージの詩』をカバーしてます。たくさん予想メールも来て、かけたいと思うんですが問題がありましてぇ、7分12秒あるんですよ。これ中々ラジオでかかんないんじゃないかと思ったんですがァ、よく考えたら『外は白い雪』とか『アジアの片隅で』とか長い曲っていうのを世に出して行って、ポップスに定着させて行ったのも、拓郎の功績としてあるんですよ。
ミ)その通りですね。
スー)『イメージの詩』18番まであって、これはかけざるを得んかなと。
ミ)かけましょう。
スー)ザ・ペンタトニックの同じ短いメロディが18回続いて、有名な《古い船を動かせるのは古い水夫じゃないだろう》みたいなメッセージ含めて、心象風景を延々と歌うっていうのは、拓郎が作ったメソッドなんです。それを弟の浜田省吾がきっちりカバーしてる。ただね、これ拓郎出て来ます。バックのギターで参加してるらしいです。ここはちょっと気付かなかった。許して下さいフフ。7分12秒全部かけます。
♪浜田省吾『イメージの詩』
スー)最後は中島みゆき『永遠の嘘をついてくれ』という曲です。これは拓郎チルドレンの中島みゆきから拓郎へのメッセージだと言われています。一説には、拓郎から「遺書のような曲を作ってくれ」と言われて中島みゆきは「(拓郎が音楽を)辞めるなんてとんでもない!」と「これからも永遠の嘘をつき続けてくれ」と曲を作って返したというエピソードがありますね。2006年のつま恋(※吉田拓郎&かぐや姫コンサートinつま恋2006)で共演してるんです。曲は中島みゆきなんです。共演して歌ってるんですけど、中島みゆきは吉田拓郎を突き放したように、凛とした姿で歌うのがめっちゃカッコ良かったと思いますね。
まあ、いろいろ喋りましたけど、アコギ中心のシンプルな演奏。シンプルなんだけどクセのあるコード進行。ペンタトニック・五音音階による人懐っこい普段着のようなメロディで自分の心情を赤裸々に歌う事を、音楽のマーケットとして確立した巨大な功績。加えて、和風情緒とか字余り唱法とか、通り一遍杓子定規の歌い方でない、新しい歌い方を日本の音楽シーンに導入していろんな人間を歌わせてギター持たせてという功績は強力に巨大なものだと思います。その上、日本初の単独全国ツアー、日本発の大規模オールナイト野外コンサート、日本初人気アーティスト始動によるレコード会社設立、その功績は日本で最も巨大な功績を残したミュージシャンだと思っております。賞賛し過ぎてもし過ぎることはないという感じがします。吉田拓郎の巨大な功績というのは永遠の真実です。
♪中島みゆき『永遠の嘘をついてくれ』
☆最後スージーさんのまとめを聞き直すと拓郎の功績が確かに巨大である事を実感する。それを繰り返し分かりやすく解説し楽曲紹介で理解を深めてくれるスージーさん。拓郎へのリスペクト熱だけでない、「吉田拓郎の巨大功績は永遠の真実」を伝えるスージーさんの音楽評論家の真骨頂を感じ、音楽番組としての楽しさと凄まじい迫力を感じました。
☆来週(6/20)《日本ビクター特集》再来週(6/27)リクエスト特集※追ってTweet!
スージー鈴木「桑田佳祐論」発売記念も兼ねて→サザンのタイシタレーベルはビクター!
☆ステッカーもらえる!なぞかけ大賞:広島県部員さん 番組シェア大賞:マイおでんさん