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認知症になっても大丈夫な準備 その①
私は約18年、認知症の方やそのご家族とデイサービスの管理者(兼現場のスタッフ)として密に接し続けて現在に至る。そんな私だからこそ伝えられることがあると思っている。
医学が進んでも認知症にならない薬は未だ出ていない。だとしたら、高齢者の4人に1人はなると言われている認知症になってもいい準備について考えた方がいいと私は思っている。
私の立場で発信できるのは言うまでもなくお金や保険の備えについてではない。認知症になった時にでも、本人も周りも比較的これまでと変わらず生き続けられるために必要そうな考え方や周りや自分との向き合い方についてを書いていこうと思う。
年を重ねれば重ねるほど、俄かに自分の癖や在り方を変えることはできないので、これをご覧になった方は是非、たった今からやってみて頂ければと思う。
ひとつ目は、失敗した自分、出来ない自分に「OK」を言ってあげる事。これは、失敗したら開き直りましょうというのとも違う。そんな自分も「有り」と少しだけ愛でてあげられればいい。何が何でも無理にポジティブになりましょうというのとも違う。「いいね」という事は出来なくても、「それも自分」とさらっとダメなとこを受け入れる練習を今の内からしておけるといいと思っている。
認知症が進んでいく中で、苦しみ続ける人とそうでない人といるのだが、苦しみ続ける人に共通していることがある。忘れてしまう事や、失敗してしまう自分をどうしても認めることが出来ない事だ。「私がこんなことするわけがない。」「これは私のした失敗ではない」などと否定し続けたり、失敗していないことにするための辻褄合わせ(行動も思考も)のみに終始していることがおおい。その焦燥感や苛立ちを想像するだけで苦しくなってくる。
一方でそこから比較的早い段階から抜け出せている人たちの特徴もある。元々がどれくらい、失敗しやすいとか忘れっぽい人だったかはわからないが、自分が失敗したり、うまく出来ない事実を見て「あはは~。忘れっぽくなっちゃったのよ。」「あら。こんなこともうまく出来ないのね。私(笑)」と自分で自分を笑い飛ばせるのだ。笑い飛ばさないまでも、忘れた事実を受け止めているので、前者のような辻褄合わせはする必要もないのだ。そうすると、認知症の忘れる力が助けてくれて、失敗したことへの記憶も薄れて朗らかに過ごせるのだろうと思う。
当然ながら、この二つにカテゴライズしようというわけではない。あくまでもざっくり分類するとという話だ。とはいえ、「忘れちゃうのよ、私…」と自分で認めたうえで周りに伝えられることは、認知症になっても生きやすくなるひとつめの道具になると私は思う。
(認知症になっても大丈夫な準備 その②につづく)