女を捨てる、というけれど。 〜 お金とパートナーシップの関係⑧
タイトルにも書いたけれど、よく「女を捨てる」と表現する。
とはいえ、捨てられるものではないのではと個人的には思う。
そんなに簡単に捨てられるなら、苦労しない。
そもそも「女を捨ててる」という表現は、女でありながら女としてのレベルが低いことについて女を揶揄する言葉であり、それこそが物語っている。
当たり前だけれど、女として生まれたらもう一生女なのだ。
それなのに。
こういう表現の「女」って、なんなんだろうと思う。
女を捨てる
女を使う
女の武器
女になる
女を磨く
女を取り戻す
どうやら「女」というものは、オプションのようだ。
しかも、割と強めのやつ。
デフォルトではない、だから高価で取引されうる価値の高いもの。
そのことを暗黙の了解としてみんなが知っている。
だから、女は得だよな、というのだと思う。
社会的には平均年収も役員の割合もまだまだ男性の方が高いけれど、レディースデーとか何にもしないのにお得なのは女性だという印象がある。
ここで、以前書いた男性性と女性性の話を思い出すのだ。
男性的な価値は、後天的に努力で獲得するような金銭や地位のような社会的な性質にある。
反して、女性的な価値というものは、先天的な容姿や所作、内面的な美しさのように女性自身に見出される。
こう書くと、女性の価値は生まれつき決まっているものであり、絶望的なように思える。
けれど、男性と違って、女性の価値は絶対的なものだ。
金銭や地位のように上下や多少という比較しやすいものではない。
女性的な価値は、獲得するものではなく、もうすでにそこにあるのだ。
「見出される」
とわざわざ書いた意図はそこにある。
今回は、対価の話をすると書いた。
前々々々回(ww予定が狂った)、ひとは目の前に欲しいものがあっても意外と受け取れないものだと書いた。欲しいもの、つまり自分が価値を感じるほど高い対価を支払う必要があるように思えてしまうからだと。
けれど、いるだけで、対価はもう支払われている。
女性自身がただそこにあること。
それが対価だということを、知らない女性は多い。
それは若くて綺麗な女性だけでしょと反論が予想される。
けれど、世の中の男性が全員若くて痩せている綺麗な女性が好きかというとそうでもなかったりする。
美しさは、人の数だけ存在する。
そのひとがその人らしくある、そこに美しさが存在する。
ふとした仕草に、ほんのちょっとの気遣いに、時折見せる笑顔に、ハッとする瞬間はどんなひとにもあるでしょう??
だから、いればいいのだ。
そこにいるだけですべて受け取っていい。
時々、すごく不思議なことがある。
わたしはスタバとかタリーズとかカフェで仕事をすることがよくある。
行く方はわかると思うけれど、スタバっていうものは基本混んでいる。
仕事をする以上、電源が欲しいわたしの選ぶ席は限られる。
だいたい、いろいろな人が座っている大きなテーブルの隙間に座ることになるのだけれど、問題はそのあとだ。
2時間くらい集中して、ふと顔をあげると、空いている。
けれど…わたしの周りだけ混んでいるのだ。
そういえば、さっきも隣の男性が席を立ったはずなのに、別の人が座っている。隣の隣も、空いているのに。
店内を見渡すと、わたしの周りだけが混んでいる。
それも男性ばかりに囲まれている。
こんなことが三度くらいあった。
この現象が、女性性の価値だということをどっかのYouTubeで知った。
わたしは、モテているとか言っているわけではない笑
ただ、この日わたしの感情は満たされていた。
そうすると、なぜか男のひとが吸い寄せられてくるのだ。
別に口説かれたりするわけではない。
ただ、オアシスに集まってくるかのように男のひとが集まってくる。
逆も然り。
怒っている女性に男性は近寄らない。
男性は、女性の感情に共鳴して、感情を味わうらしい。
女性性というのは、いつももうある。
それに気づけば、満たされる。
男性の中にも、女性性はあるのだけれど、感じられる男性は少ない。
スイーツを食べて、「おいしー」と微笑んでいる女性が隣にいて、はじめてその満たされる感覚を感じられる。
隣で安心してスヤスヤ寝息を立てて寝ている女性を見て、くつろぐという感覚を得る。
そんな男性はたくさんいる。
けれど、女性はこのことを意外と知らない。
女性性の価値というのは、男性性という観点から見ると0になる。
だから恐れが生じるのだろうか。
女性も社会に生きている。
東洋医学の考え方で、五行という考え方がある。
スピリチュアルの世界では、女性は水の性質をもつと言われる。
五行では水の臓器として「腎(臓)」が対応するのだけれど、卵巣や子宮などもその中に含まれる。水の感情としては、「恐れ」が対応する。
チャクラでいうと、生殖器のあたりは第一〜二チャクラの位置にあたる。
タントラヨガで習ったこともこれに合致する。
第一チャクラは生存本能を司る。
自分という生き物がまず最低限生きていく衣食住などが脅かされるなどの「恐れ」と強い関係がある。
第二チャクラは欲望や人間関係など外との最初の接点を示し、性と深い関わりがある。これもやはり「恐れ」と関係する。
他の女性はわからないのだけれど、これにわたしはすごく頷いてしまう。
ずっと、お金とパートナーシップについて書いてきたけれど、わたし自身が一番その中で感じる感情が「恐れ」だからだ。
誰かに何か言うことをためらう時、「嫌われるのではないか」と恐れている。
大きなお金を使おうとする時、「お金が足りなくなったらどうしよう」と恐れている。
それは、反対から言うと安心感、安定が足りていない。
がんばって女でいようとしないと、女でいられない。
その考えは、男のものだ。
たぶん、半分やっかんでいる笑
だって、男性はがんばらないと男として価値がなくなってしまうから。
そして、「女じゃない」というレッテルを貼られることを恐れる女性がそれを肯定してしまう。
だから、女を求められることはこんなにも息苦しい。
ひとは何者にでもなれる。
けれど、自分以外のものになることはできない。
無論、女を捨てることもできない。
無理に捨てようとすると、病気になる。
捨てようとする女性には「恐れ」がある。
卵巣とか子宮の病気が現代にとても多いのはこのせい。
ちなみに、ネイルとか髪型とかメイクとか料理とか世間的な「女らしさ」を磨くのは、男性性の働きだったりする。
可愛いネイルにうっとりして満足している瞬間は女性性、だけど誰かの視線を意識して戦闘力を上げるのであれば、それは男性性だ。
男性性の価値は外(他人)を向いていて、女性性の価値は内側(自分)を向いている。
だから女性性の価値はいつももうすでにそこにあるのだけれど、もしそれを磨きたいとするなら、自分らしさを追求し表現することに他ならない。
アーティストでもミュージシャンでもいる。
上手くないのに、でも輝いていてひとを惹きつけるひと。
そのひとは、その人自身を高めているから唯一無二なのだ。
女性が恐れなら、じゃあ男性は、というと。
男性は怒っている人が多い気がする。
じゃあ怒りは、というと「肝(臓)」なんだよね。
そう、会社で人間ドックの話を聞いていると、男性はよく肝臓が引っかかる。単に飲み過ぎだと思うけれど、じゃあ飲み過ぎてしまう原因は何なのか?というとそこに「怒り」がある。
わー、いつの間にか3,000字を超えました。
ということで続きはまた今度。
本日もありがとうございました。
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