ヤリモクってどこにいるの 〜 お金とパートナーシップの関係⑨
前回は、少し脱線してブロック外しの効果についてご報告だった。
ということで今回は前々回の続きになる。
▼前々回
このとき、最後の方でふと思った。
パートナーシップについて書く、と言ったけれど、ほとんど男性について書いていないなと。
わたしは男性ではないので、かけることは限られるけれど、タントラセラピーなども一時期していたのでそこで気づいたことを書いてみる。
タントラセラピーとかタントラヨガの集まりには、やはり性に悩むひとは多い。
女性は男性恐怖症(程度は人によるが、特に若い女性)が最も多くて、次にセックスレス(中高年以上)が続くような気がする。
男性は、単にモテたい!というのが一番多いのだけれど、これはほぼ50代以上の高齢男性。40〜50代の男性は女性と同じセックスレスが多く、原因は自身のEDなので悩みは深い。
そして、意外にも20〜40代の独身男性のEDも多い。
ここでは、モテたい高齢男性については一言。
「がんばれ」以上。(元気だからいいの。)
ここからはEDの男性について思ったことを書く。
彼らは、一様に非常に真面目で愛情深く優しい紳士だ。
一時期、タントラセラピーの練習会に通っていたのは、彼らの影響が大きい。
半世紀前の「男はみんな狼」なんていう価値観はそこにはない。
失礼な言い方になってしまうけれど、去勢された羊に近い。
すぐ謝るし、セラピーもこわごわといった感じで、どんなにだいじょうぶと声をかけても礼儀正しい態度は決して崩れない。
誰でもそうではあるのだけれど、彼らは自分を否定されることに弱い。
優しくて、真っ当な男性ほど繊細らしい。
けれど、その優しさは内側にこもっていて、あまり発揮されないから周囲の女性は彼らの本質を知らないままなんじゃないかと思う。
強さもまた、封じ込めている。
本来、男性は女性に愛を注ぎたい生き物だ。
それを知ったのも、タントラセラピーだった。
タントラセラピーは男性と男性はNGなのだけれど、それ以外の組み合わせはOKだ。
たまに、女性からお誘いを受けることがあって、セラピーをするのだけれど、男性になったわたしは、目の前の女子をみてもれなく思うのだ。
「こんな可愛い生き物見たことない」
それで、その生き物に注ぎたくてたまらなくなる。
愛を、いや自分のすべてを捧げたくなる。
これが、たぶん本来の男性性なんだと思う。
でも、現実でそんな男のひと見たことない。
そう思っていた。
けれど、隠れていただけだと知ったのもタントラセラピーだった。
さっきまでEDだと項垂れていた男性とセラピーをしていると、次第に内側に隠れていた「注ぎたい」が息を吹き返してくる。
そのエネルギーは強くて瑞々しくて熱い。
本来の彼らに還っているのだと感じるとき、男のひとっていいなと思う。
彼らを「去勢」してしまうのはほんの些細なことだ。
愛する奥様からのたった一回の拒否だったり、覚えていない一言だったり、会社や社会でのハラスメントに対する風潮だったり、他人から見たらよくあること。
けれど、優しくて周りを大事にする男性こそ、この些細な出来事に縛られる。
自分を女性を傷つけうる存在として恐れたり、傷つけてしまったことに罪悪感を持ったり、男性としての性欲を持つ自分を否定したりする。
けれど、性欲は睡眠欲や食欲と並ぶ三大欲であり、それを否定することは自分自身や生きることを否定することにつながる。
性は生だ。
性を封じ込めるとき、生きる気力も封じ込められる。
社会が、女性が、男性に求めるものは果てしなく多くあるいは高く、かつ矛盾している。
優しさと経済力とリーダーシップと家事力とセンスと社会性と、いくらでもある。
女性も同じだ、というかもしれないけれど、男性の方が深刻だ。
まず、需要が少ないことだ。
女性は年齢が高くても、体型や顔が多少崩れていようと、愛嬌である程度解決する。
すごくいやな言い方になるけれど、穴には需要があるのだ。
逆の需要はない。
社会や女性のニーズに応えることへの強制力が半端ない。
それと、生命力。
女性は生命力が強いから、女を捨ててでも生きていこうとする。
だから、女は女を拗らせる。
けれど男性は、男を捨てることができない。
だから、拗らせるのではなくて死ぬ。
自殺する中小企業の社長は男性が多いと聞くけれど、そういうことなんじゃないかと思う。
いつも、女性はしあわせでいてほしいなぁと思う。
そのためには優しくて強い男性が増えてほしいなと思う。
けれど、それには受け容れることのできる女性の存在が不可欠だ。
ジレンマだなぁ、そんな気持ちでかつてタントラセラピー講座に通っていた。
長くなったので、続きはまた。
▼続き
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