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誰もが持っている「罪悪感」の話 〜 お金とパートナーシップの関係⑩

▼前回

ある動画(一番下にリンクがあります)を見て、やっと腑に落ちた。
よく心理学で扱われる「罪悪感」についてだ。
ひとは、罪悪感から自分を罰しようとして、最悪な現実を作り出す。
デメリットしかないような悪夢のような現実の中で、けれど罰せられるというメリットでバランスをとっている本人の心は平穏なのだ。

わかる。
頭ではわかるのだけれど、腑に落ちない。
それはたぶん、自分の中にまだ罪悪感があるのか、あるなら何なのかがわからないことだった。
けれど、お金とパートナーシップが最後のブロックなら何かあるはず。

なんとなく、「結婚」というキーワードが思い浮かぶのだけれど、そこから先がわからない。
わたしは離婚している。
「再婚」という言葉が時々思い浮かぶ、するとモヤモヤする。
子どもたちが独立したら寂しいだろう。だから。
経済的に安定したら安心するだろう。だから。
誰かに「一番に大事」にされたい。だから。
いろんな「だから」を持ってしても、結婚したいと素直に言えない自分。

あー、素直に言うのが恥ずかしいのかな、と思ってみたりしたけれど、口にしてみたらそんなこともなかった。
いい年して、とか自分を責めたりすることもなかった。
この辺はもう終わっているらしい。

自覚のある部分はあった。
たぶん、わたしは一番大好きなひとに「結婚したい」と自分から言えないだろう。
今はまだ。

少しずつだけれど、わたしが言えることは増えていた。
「嫌いにならないで」は言えた。
「急にいなくならないで」も言えた。
この二つの言葉は口に出すことがすごく怖かったことを覚えている。
わたしは、嫌われることと急にいなくなることを極端に恐れているのだ。

嫌われることもいなくなることも怖いけれど、結婚についてはそれだけじゃないような気がした。

「結婚したい」
そう口に出すのは、烏滸がましい。
そう口に出すのは、浅ましい。
結婚という言葉にわたしは何か特別なものを感じている。

そう、わたしは結婚という制度に憧れながら、同時に嫌っているのだ。
その気持ちは、お金についての思いと似ている。
お金持ちに憧れながら、お金持ちはお金に汚いみたいなイメージがある。

「ずるい」
この言葉が一番ピッタリくる。
そして、思う。
結婚がずるいんじゃない。
結婚しているのに幸せなことがずるいんだと。
そういえば、「ずっと一緒にいてね」は言えなかった。
安心で安全な環境の継続と、愛は両立しないものだとわたしは思っているらしい。

そこまで至ったときに思い浮かんだのは、やはり母だった。
わたしの思いつく限り、結婚しているのにしあわせじゃない女性代表といえば母だからだ。

わたしは、母よりもしあわせになってはいけない。
そう考えたのは小さな自分かもしれない。
母が不幸なのは、わたしのせいだからだ。
子どもがいるから、仕事することを諦めた。
女だから、大学に行かせてもらえなかった。
だから、大学に行き仕事をしているわたしはそれ以上のしあわせを望んだりしてはいけない。
分不相応。

これがわたしの罪悪感だった。

動画の中では、子どもの頃に犯した小さな罪への罪悪感が、時を経て自分の内側で何十倍にも膨らんで、自分に罰を与えていると説明されていた。

わたしは結婚することを自分に未だ赦せない。
愛されることはいいのだけれど、誰かに一番大事されることや誰かに守ってもらうこと、安心した環境で暮らすことが愛と同時に保障されることを赦すことができない。

わたしにとって、母は唯一で大事で嫌われたくなくて、だからこそ呪いだった。
知ってはいた。
でももう終わったとおもってた。



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