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こわいひと、をペロッとのみこむ - 2回目の未来チャネリング② -

前回、「こわいひと」について書いた。

この「こわいひと」は自分だ。
ノートに書いて、掘り下げたら、そうなった。
外にあって触れないほど気持ちわるいものが、自分の内側にある。

頭ではわかっていても、なんだか飲み込めなくて喉が詰まる。
受け入れがたい。
苦しい。
そして年末、わたしは、闇落ちした。

そこで、なぁなちゃんの言葉を思い出した。
「恐れている時に頼るといいのは、元旦那さんと、今の彼氏さん」
今の彼氏…?いないよ!なぁなちゃん。
そう思っていた。

思っていたけど、結局ひとに頼るイベントは起きた。
あるひとから来たLineが、すでに闇落ちしていたわたしにとどめを刺す。
もうだめだ。
わたしは、そのひとへ返信を入力しながら、迷って最後に一行つけたした。
「苦しいから、助けてほしい。」
助けを求めながら、足元が震えた。
闇からさらに闇に突き落とされる想像が止まらない。
けれど、彼はすぐに電話をくれて、結局まんまと助けてくれた。
いつもなら、こんなとき電話には出ない。
でも、そのときは泣いてぐずぐずになった鼻をすすりながら、出た。
こんなみっともない自分をひとに見せるなんて初めてだ、と思った。
やっぱりなぁなちゃんが笑っている気がした。


2回目に受ける未来チャネリングのなぁなちゃんの宿題で「きらいなひと」というのがあって、その時に思い浮かんだのはこの「こわいひと」たちともうひとりの女性だった。

「なんできらいなのか」「どこがきらいなのか」を考え続けた。
彼らに出てきた共通のキーワードは、" 依存 " とあとは " 男性性 " だった。

- 自分の中に価値観や美学がない
- 他人のほしいものがなんでもすべてほしい
- 満足することがない、底がない
- ひとのはなしを聞かない
- 気に食わない答えは聞かなかったことにする
- 思い込みが激しい
- 自分を省みない
- 恥ずかしいという感覚がない
- 変わらない、でもひとを変えようとする
- 自分で0から作ろうとしない
- ひとのものを欲しがる
- ひとを羨み妬む
- 異性だったら誰でも寄っていく
- ひとを追いかける
- しつこい

一番下のふたつが、” こわい ” ところで、それ以外は ” きらい ” なところ。
これが、自分の内にもあるということなのだ。
先週のタントラヨガ講座でも言っていた。
自分の中に ” 種 ” がある。
外にあるいやなものたちは、内側の ” 種 ” と周波数が同じで、だから共鳴してしまうのだ。

そしてこれらは、わたしの母や子どもの頃に遭った痴漢の共通点でもある。
過去からの " 投影 " だ。


そのきらいなひとを手のひらの上に置いて、食べてください。
(後から聞いたけど、なぁなちゃんはハートに入れてください、そう言ったらしいけど、↑わたしはこう聞こえた笑)

手のひらにあのときの痴漢をおく。

うゎ。無理。
小さなそのひとは手のひらの上で、ぐっちょりと湿っていて重く、何かで汚れていて、雨の日の匂い、それに排水管と草とインクが混じったような変なにおいがする。
カエルみたいなぐにゃりとした感触で、手にぬめり感が伝わる。

食べるのかぁ。
食べるんだよね。
まじかぁ。

けれど、わたしはなぁなちゃんを信じている。
だって、愛がそこにあるのを知っている。

しょうがない。
息を吐いた。
それを、口に入れる。
ねちょっと柔らかく、冷たくて苦い。
咀嚼する。
ぬちゃ、バリバリ、そんな音がしたけれど、よく噛んだ。
そして、飲み込んだ。
少しのどが詰まったけど、最後まで。

それは、のどにはりつきそう、という予想に反して、わたしの真ん中をすぅーっと通っていった。
実は弱いのだ、そんなことを思った。
知ってる、けど、許したくない。
わたしは自分にその弱さを許したくない。
そう思ったら、胃のあたりがチリリと焦げる。

ひとを追いかける、しつこい人がきらいなのは、自分がひとを追いかけるしつこいひとだと思っていて、そんなストーカーみたいな自分が怖いからだ。

以前屋久島で感じた身体の中の男性性のエネルギーのルートを、そのひとが埋めていく。
わたしの中にいるインナーチャイルドの女の子が彼の背中をさすっているのが見えた。彼は泣いているように見えた。

わたしの男性性が弱いのは、わたしが男性を否定して許していないから。
本当は許して楽になりたいわたしが、許されたい男のひとを呼んでいる。
だから、次から次へとこわいひとが寄ってくる笑
わたしが許せるまで、たぶん永遠に。

そして、たぶんほんとうに怖かったのは、” 男性性 ” というよりも、それに象徴された ” 性欲 ” だった。
わたしがわたしの中に認めたくないもの。
そして、わたしがわたしらしくあるときにどうしても切り離せないもの。

あー、知りたくなかった。
知ってたけど、目を逸らしていた。


わたしは、男のひとの腕の中に裸でいた。
重なり合う肌が温かくて、身体の芯が気持ちよくて、満たされていた。
彼の肩越しに、白い三日月が見える。
どこまで飛んでいっても、だいじょうぶだと思えた。
地球に戻ってこられる、という実感はわたしを安心させる。
まだ人間でいたい、もうちょっとだけ。
けれど、今日はどこまででもいけそうだった。
ぬるい空気に包まれて風にのって飛ぶ感覚が、なんだか懐かしい。
地球が遠ざかっていく。
これならいつか誰かと一緒にこの景色を見ることができるかもしれない。
そう思った瞬間、遠くに、昔会ったひとが見えた気がしたけれど、近づこうとした瞬間、すぐに遠ざかった。
会える日が来るのかな、そう思った瞬間さみしさに襲われた。
還ろう、と思った。
彼がわたしを引っ張って地球に戻してくれるのがわかった。
わたしがわたしの中に還っていく。
いつの間にか、わたしはひとりで横になり、まどろんでいる。
そこは砂浜で、さらさらの砂が足の裏にまとわりつく。
落ちていく夕陽が、海に溶ける。
さっきみた景色と同じだ。
柔らかい潮風と波の音に揺られ、全てを空にゆだねた。
自由だ。
そして、そのまま寝入ってしまったようだった。
眼が覚めると、すっかり夜になった海を月明かりが照らしていた。
きらめく海面は美しく、でもその下はすべてを飲み込んでしまいそうに黒く、どこまでも果てしなく続いている。
遠くからわたしを呼ぶ声がして、振り返る。
迎えに来てくれたのは、さっきとは別の男のひとだった。
差し伸べてくれた手を掴んで立ち上がる。
手をつないだまま、砂浜を歌いながら裸足で歩く。
あったかい。
あぁ、やっと帰ってこられた、ここに。
わたしの中で誰かが言う。
会いたかった。
砂浜から出ると、ゴツゴツした石が足の裏にあたる。少し痛いけれど、その痛みはこれが現実だと教えてくれる。
彼が、歩みを少し緩めてくれるのがわかった。
家路に着く。
「お腹がすいたでしょ。先にお風呂に入っておいで。」
そう微笑む彼の笑顔を見たら、なんだか涙がこみ上げてくる。
彼の目を見られなくて、目を外に向ける。
月明かりに照らされた森から、フクロウの鳴き声が聞こえる。
夜の森はざわざわして、生命たちが蠢いている。
気づくと、こっちを彼が見ている。
さみしくて、彼の首に腕を巻きつけると、彼が髪を撫でてくれる。
「だいじょうぶだよ」
という彼に、何にもわからないくせに、と思いながら、本当にだいじょうぶかもしれないと打ち消す。
お風呂で、彼が頭と身体を洗ってくれる。
湯船に浸かると、彼は「じゃあ10分したら出てきてね」と出て行った。
のんきそうに笑って、出ていった彼の背中が見えなくなると、思わず息がもれた。
彼に触られると、いつもドキドキする。
お風呂から出ると、彼が髪の毛を乾かしてくれて、それから一緒におでんを食べた。たまごだけじゃなくて、うずらの卵もちゃんと入っていた。
お腹がいっぱいになって眠くなる。
あくびが止まらないわたしを見て、彼が「寝たら?」と声をかけてくれるけれど首を振る。
わたしはふわふわでどこまでも転がれるほど広いベッドに転がっている。
ひとりだけれど、隣の部屋には明かりがついていて、物音がする。
うとうとしていると、近くに人の気配がして、額に手を置かれた気がした。
今日は好きなひとのそばで眠る。
次の日の朝、彼はいなかった。
つんと寂しさがこみ上げる。
そう思ったとき、ドアが開いて彼が入ってきた。
「今日は雨が降ってるから、海にはいけないよ。」
心なしか、嬉しそうに見える。
あれ、もしかしたら今日もいてくれるのかもしれない。
聞きたいけど、声が出てこなくて困っていると、彼が言った。
「何する?」
目があって、身体が震える。
お腹のあたりがもぞもぞする。
「あのね、あの洞窟に行きたい。」
それで、もういっぱいいっぱいだった。

未来チャネリングで飛んだ未来にもう一回飛んでみる

” 性 ” のブロックというのは、よくあるらしい。

わたしの場合は、子どものころに痴漢に遭った経験の影響が大きい。
母が ” 性 ” に否定的であったことも関係している。
身体や取り巻く環境は年齢を重ねたのに、
なんだか悪いものという ” 性 ” への意識は子どものときのままアップデートされていない感じがする。
母の力なしに、何もできない無力な自分。
そのままでいないと生きられない。
だから、この歳なのに、好きなひとにこういうことを考えている自分を知られたくないなって今でも馬鹿みたいに思う。
きている服と中身があっていないことがわかるのに、どうしようもない。

もうひとつは、日常と合わないという感覚だ。
行為のときの ” 気持ちいい ” っていう感覚が、
動物的というか獣っぽい感じがして、自分の中のものとして受け入れがたい。
それに、その生々しさ、生臭さ?が、なんだか日常で感じる感情や生活のトーンと合わない。
もっともっとみたいな飽くなき欲求を感じたとき、” 餓鬼 ” っていう言葉を思い出して我に返る。
さらには、その記憶を持って、なんなら残り香をまとったまま、
ママ友と挨拶する朝もなんとなく気まずいのだ。後ろめたいのかもしれない。
目の前の整った世界とこういう自分との整合性が取れない感じがする。
整合性を合わせるためには、風俗で働かなくちゃいけないみたいな謎の思考が沸く。
普通のひとが ” 普通 ” として扱うものを普通に扱えない。

まだまだある。
忙しい毎日にこれを取り込む隙間がない。
結婚していたときの記憶が蘇る。
起きて、ごはん作って、仕事して、お迎えに行って、ごはん食べて、お風呂はいって、、、、もう寝たいのに始まる。
人間である自分が足手まといで面倒で疎ましかった。
忙しいとその行為が、ストレス発散に成り下がってしまう。
けれど、ほんとうに欲しいものはそれじゃない、と思ったときその ” 快 ” を感じる自分の身体は敵で、恨めしかった。
こんなものは要らない。
” 浅ましい ” とかそういう言葉で、わたしはわたしの身体に針を刺す。
どうして、言うことを聞いてくれないの。

あとは、根源的な恐怖だ。
その行為がきちんと ” make love ” として成立していたとて、溺れる自分が怖かった。
沼から抜けられないとかも困る。
いつもの日常に、元々の身体自分に、仕事に、母親としての自分に、戻ってこられる保証が欲しい。
自分の身体の中なのに、この存在はコントロールできない。
それは困る、大人しくしててもらわないと。
「ちゃんと」社会で生きていかなくちゃいけないんだから。

あるいはまったく逆で、愛してるはずなのにまったく感じない、とか。
自分はもはや人間じゃないんないの、ってなる。
大好きだよ、でも他のひととしたいの、気持ちよくないから。
こんなことあるだろうか。

あとは途中で引き返せない。
ホテルに入ったら、もう最後までしないといけないとか。
したら行かないといけないとか。
夫婦だったらするのが当たり前だとか。
そういう、” 強制 ” とか” 義務感 ” が気持ちを壊す。
” make love ” を感じる瞬間はあっても、継続は難しい。
そして、そのときにそのひとにがっかりする、それがいやなの。 

最後に、行為の後だ。
虚しさ。
これは、時間差でやってくる。
身体の熱が冷めて、相手もあるいは自分ですら” make love ” じゃなかった。
その間のどの瞬間にも、優しさのカケラすら見つからなかったとき。
あるいは、断って機嫌が悪くなる夫が怖くて、身体を差し出したときに。
なんで自分の身体を「差し出す」ってあんな惨めなんだろう。
身体が砂みたいになった気がする。
我慢した、でも我慢って終わらないのだ、なぜか。
終わったら、次がやってくる。
それが終わってもまた次が。
もう無理だ、お願いだから、何も感じないで欲しい。
死んでて、身体。
願ってはいけないことを、たぶん願った。

わたしこんななの。
だから、愛が溺れるほど欲しいなんて、決して思ってはいけないよ。
それに結局、愛し愛されるなんて幻想じゃない?

うゎ、めちゃくちゃ長い!
” 性 ” について、書いたらカオスだった。
しあわせなときもあったはずなのに全然思い出せないし、書いても書いてもどこにも行き着かないし、呪われそうだったので終える。

あーなんかモヤモヤする。
なので、もう一回食べてみる。
今度はきらいなひとを全員机の上に並べて、ひとりひとりつまんで手のひらにのせて、ムシャムシャと食べる。
パリパリとか、ガリンとか、プシュッとかいろんな音がした。
きらいなひとは、こわかったりうらやましかったりするんだと思いながら、ゴクンと全部のみ込んだ。
全員食べたら、満足したからなのか、今度はお腹があったかくなった。

本当は、前より自分がきらいじゃない。
自分が自分とだけいるなら、自分と仲良くできる。
すでに痛みだって和らいでいるし、傷が愛おしいとすら思える。

でも、恥ずかしい。
それだけが、ずっと残っている。
自分が恥ずかしい。
いつも、何をしてても、どんなときも恥ずかしい。
だって、ずっと裸でいる気分だからだ。

わたしの未来を聞いたなぁなちゃんに
「後から来たひとは、してたの見てたのかな?」
といわれて、「え、まさか。」と驚いていると、
「見られたい、っていうの普通にあるよね、人間には。」
となぁなちゃんがダメ押してくる。
「だって、全部見てそれでも愛してくれるひとって最高だよね。」

あー、言っちゃった。

後から録画を見て思った。
なぁなちゃんは、的確に手榴弾を投げてきてた。
けれど、このときのなぁなちゃんは微笑んでいるけどニヤッと笑ってなくて、なんだか手加減してくれている気がする。
わたしのキャパオーバーがわかっていたのかもしれない。

このとき、リアルでは衝撃で表面と内側に時差が生じていて、思考停止状態で、なぁなちゃんに「え?」といいながら崖から落ちかけていた。

続きは録画を見てるときに徐々に鮮明になった。

見られたくないっていうのは、本当は見てくれるひとが欲しくて、それでも許して欲しいだったんだ。
人ごとのように新鮮な驚きがあって、いつの間にか泣いていた。

ちょっと冷静に考えてみると
以前は、自分を自分じゃない「すばらしいわたし」に変身しようって思ってたから、最後にはその場所にたどり着けると思ってた。
けど、新しいわたしを生きると永遠にそのひとにたどり着けない。
だから、新しい答えが必要だったのかなと思う。

ありのままでいい。
今のままでもう完成されている。
わたしはずっと未完成で、半端なままだからしょうがないのだ。
憧れていた「普通のひと」には永遠になれないし、これからどんどん「やべぇやつ」になっていく。
だけど、それがわたしだ。

そう覚悟したとき、自分を見捨てないで、自分から逃げ回るのをやめて、とことん自分と向き合うことは、彼から離れていくことだと感じていた。
彼から離れることになったとしても、どんな選択であっても、自分を選ぶと決めたからだ。
新しいわたしがいつまでも彼を好きとも限らないから、先に終わらせた。

それでも、ずっと気持ちは変わらなかった。
しゃべらなくても、会えなくても、もうどうしようもないのだ。
何度でも戻ってきてしまう。

わたしは全部見せたかったのかもしれない。
彼に。
それで、それなのに、それでも愛していると言って欲しい。

見られたい、のその先。
許されたい。
愛されたい。
全部欲しい。

彼じゃなきゃだめだ、とどうしても思うときがある。
もう二度と会えないかもしれないひとなのに。


本当の自分で生きれば生きるほど他者に良い影響を与えてしまう

なぁなちゃんからもらった魔法の言葉。
ワークをさらに深掘りしたから、きっと更新する必要がある。

本当の自分で生きれば生きるほど
→ わたしらしくあればあるほど 
今唱えてみるから、この方がなんだかしっくりくるから変えてみよう。
意味は変わらない気がするけど。
けど、あの時点でこの言葉にたどり着いているなぁなちゃんが空恐ろしい💦

この先はなんだろう。
続きの言葉が、まだ見つからない。
ペロリと食べられてしまう、とかどうだろう。

そう思ったら、
わたしらしくあればあるほど
→恥ずかしければはずかしいほど ?
ってちらっとよぎってしまった。
でももうそうなると、結局のところ下ネタへの着地しか見えなくて、どこを目指すのかよくわからなくなった。

あー今日はここまで。


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