愛は平等に配布されない 〜 お金とパートナーシップの関係③
前回、↓のような戦略で、家族内の自分の居場所を確保した、というようなことを書いた。
・こどもであり続けること
・女性として享受できるものを放棄すること
ちなみに、考えて実行していたわけではない。
当時は感覚的にやっていたことについて、大人になったわたしが解釈・言語化し、環境などの状況を付け加えて解説を行なっている。
こどもがそんなことをやるかな?と思うかもしれないけれど、こどもは全部わかっているし、純粋だからこそそんなことをやるのだとわたしは思う。
ここから、やっとお金とパートナーシップの関係について書ける。
わたしが住んでいた小さな世界には、ローカルルールがあった。
「女こどもは自分一人では生きていくことができない」
小さな世界にはこの母の価値観が大前提として横たわっており、それはもう当たり前すぎて存在に気づかないほどだった。
今になってやっとわかる。
子どもは母親の作った世界に住んでいて、それが全てということだ。
「がんばらないと、〇〇にはなれない」とお説教する母に「じゃあお母さんがなればいいでしょ」と言い返せば、「もう何十年も専業主婦をしているのにできるわけがない」というセリフが返ってくるのはお約束だった。
そのたびに、自分が責められたような気になる。
母も、言うたびに自分を傷つけたことだろう。
母は専業主婦で、自分一人の力で生きていくなんて考えたこともなかった。
パートをしていても、「所詮パートだ」と自分をバカにし続けていた。
「女は一人では生きられない」には、「男は女こどもを守る責任がある」が対として存在する。
「守らなくてはいけない」の前提には、「外は危険」や「家族以外は信用できない」が隠れている。
「男には責任がある」には、「男はえらい」「父親のいうことは絶対である」「父親は敬うもの」「子どもは親の付属物である」が付随する。
本当は、ここにも「(働く)男はえらい」「(女こどもを守ってくれる)父親は敬うもの」という()内の前提が隠されているのだけれど、それはいつの間にか失われ、「男はえらい」「父親は敬うもの」という外側の殻だけが残る。
こんな風に、意味を失ったたくさんの価値観が降り積もり、重なり合って、ぐちゃぐちゃになって、境目すらなくなり、自分の内側の「当たり前」が形作られる。
そうなると、わたしの中にあるのに、わたしには見えなくなる。
みんな同じようなものを抱えているけれど、本当はそれぞれ異なるのに、なぜかそれを「常識」として扱う。
理由もわからず、いつからかそれに従っている。
知らぬ間に、ひっそりと、それはわたしの自由を奪う。
ここでは、それぞれの価値観の良し悪しを論じたいのではない。
知らぬ間に作られた価値観が奪う自由とか、背を向けたところに広がる見えない世界について、書きたいのだ。
改めて言うけれど、わたしは被害者ではない。
わたしを苦しめているものは、わたしの中にある。
わたしは、自分を自由にすることができる。
なぜお金とパートナーシップが関係するのか。
ひとことで言うと、それは自己肯定感に関わるからだ。
その説明のため、わたしの原体験に戻る。
家庭という小さな世界は、父と母の価値観(先祖代々の秘伝のタレのようなもの)を土台として、その時々の気分と相まって運営されていた。
その世界で培われた、わたしの「当たり前」とはというと、こんなことだ。
①愛とは無償ではない
②ひとは平等ではない
③お金は何かと引き換えにしか手に入らない
こどもであったわたしは、どうしてもどこからか愛をもらう必要があった。
愛=お金ではないのだけれど、「受け取る」という側面で同じ性質を持つ。
愛についていうと、無償のご家庭もあるのだろう。
けれど、少なくともわたしの家は違う、と小さなわたしは思っていた。
「ちゃんとしないと」というのはハタチを過ぎてもわたしの口癖で、いいこでなければ、愛されなかった。
もっと言えば、「いいこでないと」という前提が存在する時点で、もうそれは愛ではなかったのだけれど。
いいこ、というのは色々あった。
成績や生活態度はもちろんのこと、反抗しないということ、つまり服従あるいは我慢が求められた。
けれど、服従している、というそぶりは見せてはならない。
あくまでもわたしの意思でそうしているというような体だった。
けれど、兄や姉はわたしほどに「いいこ」を要求されているようには見えなかった。
わたしだけだった。
愛をもらうために何かを差し出しているのは、わたしだけのようだった。
わたしはダメなのだ、と思った。
こう書くと、とんでもない家庭のようだけれど、わたしの家は一見普通でしかなかった。
昔だったし、親の悪口を言おうものなら批判されるのはわたしだった。
何不自由なく暮らせているのに、何が不満なの。
事実、大学にも行き、今の生活がある以上、それに「感謝しなくてはならない」のだ。
そう、わたしは感謝も強制されていた。
それだけではない、尊敬もだ。
わたしの心はわたしのものではなかった。
自分のしたいことはできなかった。
したくないことを「したい」と言わされ、強制されていた。
そうしていると、自分のしたいことが何かどんどんわからなくなっていく。
いつも誰かに従っている、そんな自分を好きになれるはずがない。
自己肯定感や自尊心はもう空っぽだった。
もう自分を騙すことにも慣れていて、母の夢は自分の夢だと思いこんでいた。
わたしの成績はよく、我が家の中で大学に行ったのはわたしだけだった。
何かお説教をするたびに、父は「大学になんか行かせるんじゃなかった、こんなひとを馬鹿にするような子になって。」といった。
高校を中退した兄は、外の人に「こいつにだけは敵わないんですよ。」と言った。
家族の中で、わたしだけが浮いていた。
がんばらないと怒られるのに、がんばってもうまくは行かなかった。
まだ、がんばりが足りないんだと思っていた。
わたしがダメだから、うまく行かないんだ。
けれどがんばってもがんばっても、わたしはダメなままだった。
大学に受かろうが、就職しようが、給料があがろうが、結婚しようが、子どもができようが、わたしは全然ダメだった。
誰かに褒められれば、恥ずかしくて逃げ出したくなった。
「こんなにダメなのに」
この時点で、わたしはもう自分に愛が与えられるなんて思えなくなっていた。
ギブアンドテイクの関係で、先にギブをし続けることでしか、関係を構築できない人間になっていた。
テイクされても、落ち着かなくて、大量のギブを返す。
自分には価値がないから、それでやっと釣り合う。
「ない」方が「ある」より落ち着く。
奪われれば腹は立つけれど、「やっぱりそうだったんだ」とホッとする。
この状態になると、目の前に愛があっても見えなくなる。
愛のあるひとは周りからいなくなっていく。
タイトルに、「愛は平等に配布されない」と書いたけれど、本当はそんなことどうでもいいよとあの頃の自分に言ってあげたい。
だって、本当は愛は有限ではない。
無限にあり、今もみんなに降り注いでいるから、ただ気づくだけでいい。
ほんとにそれだけ。
今回も長くなってしまったので、次回に続きます。