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高山右近の足跡を訪ねてー高槻編ー
もう一か月半も前の、夏休み終盤の話ですが…💦
大阪に行く予定があり、せっかくなので、かねてから行きたいと思っていた高槻の地に、キリシタン大名高山右近の足跡を訪ねてきました。
一昨年の金沢編に続く、右近の足跡を辿る旅ー高槻編ーです。
高槻と言えば、右近が大名として治めた最初の領地。
篤い信仰を持つ右近は、20もの教会を建て、文字通り戦国時代末期にはこの高槻の地が、関西のキリスト教宣教の中心地となったのです。
信長や秀吉に重用された右近。
その類まれな才能と清廉な人柄から領民に慕われ、なんと当時の高槻の人口2万5千人のうち7割強の領民がキリスト教に入信したと言われます。
貧しい領民の葬列に逢うと、自らその棺を担いで歩いたというほど、領民思いの慈愛にあふれた城主だったのだそうです。
築城の名手でもあり、千利休の高弟「利休七哲」の一人として文化人としても知られていました。
黒田官兵衛や蒲生氏郷を始め、右近の影響を受けて入信した大名も多くいました。
その後、弾圧を受けて他の大名たちが棄教していく中、右近だけは終生その信仰が揺らぐことはありませんでした。
伴天連追放令、禁教令が出され、最後は長崎からマニラの地へ追放され、かの地でその生涯を終えることになります。
阪急高槻市駅から徒歩圏内に右近を尋ねるスポットがコンパクトに点在しているので、1時間半もあれば十分主要な場所を見て回ることができました。
高槻城の跡は、一部は公園、一部は高槻城公園芸術文化劇場というクラシックのコンサートなどに使われる近代的なホールになっていて、お城自体はもう残っていませんが、お堀や石垣が部分的に残っていて、当時の城下町に思いを馳せることができます。
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右近がその生涯を終えたマニラ市の郊外にある聖母大聖堂を模して昭和期に建てられた教会。
高槻市とマニラ市は右近が結んだ縁で姉妹提携をしており、マニラ市内のディラオ広場にも右近像が建っているそうです。
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手に持つ剣が十字架の形になっています。
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キリシタン墓地から出土したロザリオなど右近に関連する資料を見ることができます。
為政者の圧力や世の中の流れに屈せず、ひたすら忠実に信仰を貫いたそのまっすぐな生き方は、今の混とんとした時代のリーダーにこそ、必要な資質なのかもしれません。
さすがにマニラにまでその足跡をたどりに行くことは難しいけれど、奈良や小豆島、長崎など、右近の足跡を辿ることができる地がまだまだ国内に点在しています。
いつかまた右近の足跡を辿る旅に行ってみたいと思っています。
あなた方の信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、賞賛と光栄と誉れとをもたらすのです。
ペテロの手紙第1 1:7