似非エッセイ#14『(限)無題』
映画脚本なり小説なりを書き始めて10年以上になる。
いくつ書き上げたか覚えてないけど、すべてに必ず題名をつけてきた。
書いている途中に思いつく、あるいは題名が先に思い付いて書き出す場合はいいのだけど、そうでない時は悩みの種になる。
有名な落語(余談だけど個人的に最近落語ブーム到来中)で「寿限無」という演目がある。
大切な子供の名前が決められず、寺の和尚に縁起のいい言葉を次々に聞き出して、結局勿体ないからと全部付けてしまうというアレだ。
作者にとって作品はいわば我が子。気持ちは嫌というほどわかる。
いくつか候補を並べては、あれとこれを組み合わせようか、それともあっちかこっちか、ええいどれも捨てがたいなあ、、
言葉ひとつでしっくりくるものならいいけれど、足し算を始めると収集がつかなくなる。
だからといって「寿限無」のように全部くっつけて長ったらしい題だと、本編を読まれる前にお腹いっぱいもういいや、となってしまう。
文学(文章)に正解はないという持論があるけれど、その物語に合った題名は世界にひとつだけしか存在しないと考えている。
名は体を表す。素晴らしい言葉。まさしくその通りだ。
長々と何が言いたいかというと、計算式以外の足し算はとても難しいということ。これは引き算もまた同じだ。ただ、これ以上駄文を足すのはまさしく『蛇足』なのでまたの機会に。
最後にそんな自分が唸った秀逸過ぎる題名を二つほど紹介したい。今回の内容に沿って言葉が足し算されたものに限定して。
一つ目は
「銀河鉄道の夜」
これはほとんど完璧に近いというか、足し算された言葉でこれほどシンプルで美しいものはないと思う。内容も大好き。
二つ目は
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」
ほどよい長さと単語のチョイス、それでいて内容が全く想像つかず、読みたくなる。
素晴らしい題名だ。内容も大好き。
他にも唸った題名はたくさんあるのでまた書きたいと思う。
次は映画の邦題篇なんてどうだろう。いっぱい、もういーっぱいある。
同じくらいダメな邦題もいっぱいあるけど笑