お金の履歴書
※このnoteは大河内薫マネリテ戦略室の企画応募記事です(https://note.com/monelite/n/n6c872adb7463 )
今回は大河内薫マネリテ戦略室の企画に乗っかり私自身のお金に関する価値観を振り返りたいと思います。こういう人もいるんだな、くらいの軽い気持ちで読んでみてください。
1.ビックリマンチョコの魔力
同世代の方ならみなさんご存知の国民的お菓子『ビックリマンチョコ』にどハマりした私は明けても暮れてもビックリマンに夢中。毎日母親からもらった100円玉を握りしめ近所のお菓子屋さんへダッシュ!!
当時1個30円だったビックリマンチョコを3個とあと10円で何かを買うのがお決まりのコースでした。すっかり大人になった私なら残りの10円を2日間貯めて3日にお目当てのビックリマンチョコを4個買うというパーフェクトな選択をできるのですが、今思うとそんなこと考えたこともありませんでした😂
以上のように小学生くらいの時は何も考えず自分が欲しいと思ったものに一直線に向かっていたことがわかります。
2.新たな刺激を求めて・・・
中学生になるとバスケ部に所属しそこそこのモテ期に突入するのですが、極度の人見知りかつバスケが本当に楽しかったので彼女なんてものはできるわけもなく・・・。
ちょうどその頃はCD全盛期で自分も何か欲しいなぁと思いCDショップに行き初めて買ったのがあのローリー寺西に率いるすかんちの『恋のマジックポーション』だったのです!!
実はこの話は今まで誰にもしたことのないトップシークレットですので、これを読んだあなたと私だけの秘密ということで他言無用で墓場まで持っていってくださいね😊(※ちなみに初めて買ったCDはブルーハーツってことになってます)
その後いろいろな音楽を聴いていたのですが中学3年の頃に私の趣味をガラッと変えちゃうあのバンド『LUNA SEA』との出会い。そこからはまとまったお金を手に入れたらCDを買い漁るという繰り返し。
振り返ると中学生時代も自分の欲求にドストレートだったことがわかります。
3.はじめてのアルバイト
LUNA SEAと出会いハマっていくうちに自分もギターを弾きたい!ってなってはいましたがそんなお金は中学生の私にはありせんし、私の家はごく普通のサラリーマン家庭でとくにお金に関して苦労した思い出はありませんが、ギターを買って欲しいとは親には言えませんでした。買ってくれないっていうより理解してもらうのが面倒くさいなぁって感じだったような気がします。
そこで高校1年の夏休みを利用してアルバイトをするのですが、そこでの評判の悪いことw
社員のおっさ・・・おじ様に文句を言われながらも華麗にスルーし目的の金額に達するまでは太々しく続け、目標額に達した瞬間に「じゃあ、やめますんで」って感じで辞めちゃいました。今思うと無茶苦茶ですね、ご迷惑をおかけしたみなさんごめんなさい。
ここでついに私のお金の価値観に変化が・・・
これまでは自分の欲求の赴くままにお金を使っていたはずが、このギターを買うという一大イベントで妥協することを覚えるんです。
その時私が欲しかったギターはグレードが3種類あり48000円、85000円、30万オーバーって感じ。もちろん30万オーバーはさらっと選択肢から除外・・・。
残る2択・・・。
ちなみにアルバイトで稼いだお金は50000円そこそこだったので1番安いモデルしか買えません。親に足りない分を出してもらうということを考える余地すらなく48000円のでいいやって決めちゃったんです。
ポイントは「でいいや」ってところですね。ここで私のお金の価値観がガラッと変わる瞬間だったように思います。
欲しいものじゃなく買えるものを選ぶ。
あなたはどうですか?
本当に自分が欲しいものを買えてますか?
4.価値観崩壊
高校卒業後の進路としてとくに何をやりたいってものがなかったので、とりあえず地元の私立大学に進学しました。自分が親になってはじめて感じることだが私立の4年制大学に通わすのってかなりの負担だったと思います。
にも関わらず・・・
2年生に進級後、パチスロにハマってしまったんです。良いか悪いかはじめて行った日に勝ってしまったのです。
「こんな簡単にお金って手に入るんだぁ」
これでもう止まらなくなりました。大学のすぐそばにパチンコ店があったこと、その時代はあまり規制となくけっこうな確率で勝てたこと。ほかにやりたいこともなくドキドキしたかったことが見事にハマり、休日はもちろんのこと、授業の前、休校の時や下校時などパチンコ屋に行かない日を数えるほうが早いんじゃないかと思うくらいいつもどこかのお店に行っていました。
ギャンブル経験のある方はわかるかも知れませんが、もう金銭感覚は崩壊です。コインを借りる機械にどんどん飲み込まれていくお金を見てもとくになにも感じないんです。当たれば取り返せるしって常に考えていて、負けるってことを考えることがなかったように思います。
運よくパチスロでお小遣いはまかなえていたので、自分の家に帰ることもあまりなく1ヶ月間友達の家等で寝泊りしていたこともありました。自分ではとくに気にしていませんでしたがギャンブル依存症だったのかも知れません。
5.ギャンブル依存症を乗り越え結婚
大学卒業後の1年間で実家暮らしの恩恵を受けつつ結婚資金として100万円貯金することができました。これを見るとギャンブル依存症を克服したんだなぁと感じるかもしれませんが、この時はまだ仕事帰りにパチンコ屋に寄り道していました。
自分がどのようにギャンブル依存症を克服したのかというと、お小遣い制になったことで行きたくても行けなくなったことが功を奏しました。
ギャンブル依存もなくなり、結婚もしてマイホームを建てていましたので側から見たら幸せな家族だったのかもしれません。しかし私のお金の価値観は極端に軌道修正されてしまいました。
何か買う、ご飯を食べる、どこかに行く等のお金を使うシーンで常に金額を見て決めていたのです。これが欲しい!じゃなく、これでいいな・・・。これが食べたい!じゃなくて、これでもいいか・・・。付き合わされる家族はたまったもんじゃなかったと思います。
こういう小さな違いがのちに大きな亀裂となることにこの時の私はまったく気がついていませんでした。
6.離婚調停の末、シングルファザーへ・・・
ここには詳細は書きませんがいろんなことがあり、離婚することとなり経済的な理由もあり私が親権を持つことになりました。
ここから国や地方自治体からの支援などのことを必死で調べるようになり、今までは元妻に任せっきりだった子供の学校のこと、今までしたことのなかった洗濯、食事の用意など自分なりに頑張ってきました。
働いていた会社がサービス業でしたので土日祝日は必ず仕事で、さらに店舗の責任者になってからは24時間いつ職場からの電話がかかってくるかもわからず、なにかあれば休日も出勤するという感じでしたので、これは続けられないなと思い2月に退職しました。
仕事を辞めてから少しずつですが変化がありました。大学卒業してからはじめて無職になったことで、金銭面での不安はありますが仕事に追われることがなくなり精神的余裕がうまれましたし、今の日本じゃそう簡単に死にはしないなと。
今では買い物や食事の時、以前よりほんの少しだけ金額を気にしなくなったように思います。(たぶんですけどw)
7.給料を貰うから自分で稼ぐへ・・・
ここからはこの先の話。
コロナの影響、AIの著しい進歩等でこれから私たちの歩む明日のことは誰も予想できないものとなることと思います。
給料も減るかもしれない。仕事がなくなる可能性だってある。大企業だからといって安心していられる時代はとうに終わっているようです。
これからは個人またはコミュニティの重要性がさらに増してくるでしょう。
自分もなにかしらのスキルを身につけて自分で稼げるようになりたいと考えている時この企画のことを知りました。これをきっかけに発信していこうと思い、今パソコンと格闘していますw
先日の大河内さんのyoutubeでも特別給付金で動画編集を学ぼう!的なお話を聞き、動画編集もいいなぁと揺れている真っ只中でございます。いろいろやってみて自分の幅を広げて、自分で稼いで生きていけるようになりたいと思います。
最後に・・・
このような企画を考えて下さった大河内さんや、超個人的な話に最後までお付き合い下さった方々、本当にありがとうございました。今後もいろんな形で発信していこうと思いますので、もし見かけたらいいね等よろしくお願いしますw
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