父親のお墓探し
子供の頃、両親は仲が良かった。
寝る前になると良くハグをして、私も真ん中に入ってハグして寝る。そんな毎日だった。
でも。数年してバブルが弾けて経営不振に陥った父親は、収入が減り母親も働くようになった。
この頃からだったか。
夫婦には亀裂が入り始めた。
母親は機嫌が悪く、父親のところに私がいくと怒るのだ。
父親は、「お母さんが怒るからあっちへいけ」と促した。
まもなくして、母親は追い詰められ暴言、暴力、包丁を出して父親に向けることもあった。
父親は「俺がすべて悪いんだ。ごめんな、ごめんな」と泣きじゃくる私の前で頭を撫でていて…
母親を落ち着かせようと努力していた。
でも、一度入った亀裂はそう簡単には修復されない。
(今なら分かる。どちらかが歩みよるだけでは、継続なんてできない。お互いが歩みよる気持ちを持ち続け、相手を信頼していないと、夫婦なんぞあっという間に壊れてしまうのだ。)
子供の頃の私は、薄々もうだめだとわかっていた。ある意味、覚悟していたし、父親にも母親にもついていきたい。離れ離れは嫌だ。
という気持ちとは裏腹に、こんな願いは叶わないという悲しみを今でも忘れられないようだ。
(自分の夫婦関係でも常にこの恐怖と闘う事になった。喧嘩をする事が怖い、相手が感情的になるとこの時の事を思い出して呼吸が苦しくなり、心臓がバクバクする。)
追い込まれた母親は、私に「お母さんが可哀想だから、早く家を出ていって」と言ってきてと言われ、また自分が傷つけられるという恐怖や不安から父親の部屋に入って、泣きながら話した。
父親は、「そんな悲しいことを言うなよ」と寂しげな顔をしながら、抱きしめてくれた。
それから、まもなく。
父親が出ていった。
父親なりにもう限界だと察したのだろう。これ以上続くと、自分は殺される、娘も傷が増えてしまう、巻き込まれてしまうと思ったのではないか。
そして、あの日。
母親に「今日からあなたの父親は死んだと思いなさい」と一言言われ、家中の父親を思い出させるものは捨てられた。
今、振り返ると思い出す。
多分私は、父親のことが大好きだった。
職人で太い腕と大きな手、日焼けした肌に男らしい大きい肩、力強さが大好きで良く肩車をしてもらったり、散歩に連れて行ってもらった。
そんな毎日が安心して、幸せで、大好きだった。
不安定な母親との関係の中で、父親が私の安全基地だったのだと思う。
この感情は、つい最近まで抑圧されていて忘れていた。
本当は、ずっと父親と居たかったようだ。
そんな父親に、20歳になったら会いに行こうと思っていた。成人したら、会いに行く権利があると思っていた。
だが、就職して地元に帰り父親を探し始める頃…父親は病気で亡くなった。
ただ残ったのは謝れなかった罪悪感と父はどのように亡くなったのだろうかという気持ち、二度と会えないという悲しみと喪失感、そして父親の負債の相続問題。
亡くなったことも、辛かったが負債の相続で私の心はズタズタというかキャパオーバーだった。
離婚歴を増やしながら、やっと父親のお墓を探す勇気が出た。過去に向き合う、自分の感情に向き合うことにした。
今の私はもう、失うものは何もない。とことん、後悔なく生きるだけ。
人に何と言われようと、憐れまれようと関係ない。
父親がなくなってもう5年以上。
戸籍を取ったり、お寺を回ったりしてやっとお墓の場所が分かったのだ。
父親の写真も1枚だけ入手することができた。
まだ、お墓参りは行けていないが、仏壇を家の中に作った。
あの時言えなかった気持ちを写真に向かって話すと、少しずつ気持ちが楽になった。(傍から見たらヤバい人だ。)
つまみを作れば分けて仏壇に供えて、当時父親が好きだったたアサヒドライを一緒に飲む。
最初は、涙が止まらなくて、昔の記憶がフラッシュバックして苦しくなり、動悸がすごかったのだが最近は大丈夫になってきた。
また、驚くべきことに
中学生からこれまで。
ずっとずっと夜寝る前になると、当時のことが思い出されてあの時に引き戻されるような感覚になり、苦しくなり、涙が止まらず苦しくなる謎の症状が緩和しているのだ。
きっと、少しずつ前に進んでいると思う。
そして、今回ここまで過去や自分と向き合おうと思わせてもらったきっかけである元夫。
元夫もきっと前に進んでるし、幸せになって欲しい。それこそ、借金返して幸せになって欲しい。
私にはあなたを信じ切る勇気が無かったから。それでも一緒に頑張ろうって言えなかったから。
いっぱい色々なことがある中で、お互い話してどこか折り合いをつけ信じて許す作業を私にはできなかったから。
信頼していたからこそ真実を知った時のショックは大きくてどうにも出来なかった。
こんなにどん底まで傷付いたのだから、私はこの気付きから変われると思うし糧にしていきたい。
読んでいただきありがとうございました。