Principle 2: 病のcontextを理解する
Principle 2
家庭医は病(illness)のコンテクストを探求する。アメリカの哲学者であるWilliam James (1958)は「物事を正しく理解するためには、その内側と外側の両方から観察し、そのあらゆるバリエーションについて精通しなければならない」と述べている。あらゆる病も、患者個人における、家族内における、コミュニティないしは社会における文脈から見てみない限り、十分に理解することはできない。患者が入院する際は、こうしたあらゆるコンテクストが取り去られているか、極めて不明瞭になっている。こうした環境下で背景への注意が薄れ、前景にばかり注意がむいてしまうと、病を十分に理解することはできなくなってしまう。
McWhinney, I. and Freeman, T., 2016. Mcwhinney's Textbook Of Family Medicine. Oxford: Oxford University Press.
The Origins of Family Medicineでも記した通り、患者のcontextをケアに統合させるという考え方は、家庭医療がacademic deciplineとして医学の世界に貢献した極めて重要な要素なのである。
かつて入院が必要な程度の肺炎を発症していた女性に、入院をすすめたことがある。私は初めてその方に外来でお会いしたという状況だった。その女性は入院することを最初は断った。なぜか?
家に猫がいるからであった。
普段はどのように暮らしているのだろうか?他に家族はいないのだろうか?ご近所づきあいはされているのだろうか?近所の人で猫を診てくれる人はいないだろうか?あるいは、近所でなくともコミュニティの中に猫を預かってもいい人はいないだろうか?ひょっとすると預けるということすらもできず、片時も離れられないのだろうか?猫とはどれくらいの付き合いなのだろう?この人にとって猫と暮らすことにはどんな意味があるのだろうか?もし入院できないとしたら、どうにかして自宅療養する方法はないだろうか?肺炎を治すということの意味は、この人にとってどのような意味があるのだろう?
肺炎の治療一つとってみても、病の意味を理解する際には、内側と外側の両側から見る必要があるのである。
外来における医療面接でコンテクストがどのように剥ぎ取られうるかについての参考文献もご紹介しておきたい。先輩からご教示いただいたものである。
Barry, C. A., Stevenson, F. A., Britten, N., Barber, N., & Bradley, C. P. (2001). Giving voice to the lifeworld. More humane, more effective medical care? A qualitative study of doctor–patient communication in general practice. Social Science & Medicine, 53(4), 487–505.
さて、ちなみにカバー写真は何の写真かお分かりになっただろうか?
一見コップのようにも見えると思う。
ご覧のような部分で出来上がっている。そして答えはこれである。
食卓の上のペッパーミルだ。