探究 第3章(できません編(5))
一つの奇妙な問い。「想像できない物事などありえるだろうか」
---もし「ありえる」というのなら、その具体例(=想像できない物事)をすでに想像しているのだから、想像できない物事ではない。したがって想像できない物事など存在しない。
---いや、私はただ「論理的に」ありえる(ありえない)かどうかを問うている。こうも言えるではないか。「青い赤」は想像できない。
では「心は持たないがそれ以外はすべて我々と同じ人間」は想像できるだろうか。
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我々がふだん言うところの「想像できない」には様々な活用がある。
人類が100mを5秒で走れるようになるなど想像できない
新種の哺乳類など想像できない
自分がプロ野球選手になるなんて想像できない
「想像する」「想像できない」をめぐる日常の中で、「想像できない物事などありえるだろうか」の答えは自明だ。この自明さの源泉は「そもそも決して問われることがない」という形式で与えられている。
自明である問いを単体で取り出し、繰り返し口ずさんでみる。それは問いを謎めいてたいへん奥深い難問のように見せる。
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では、問われたことのない問いは、問いではないのだろうか。ナンセンスと未知の難問を分ける違いとはな何なのか?
---問いには、答える方法と、その検証手段があらねばならない。
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数3は黄色か?
ここで100人の被験者に「数3で何色を思い浮かべますか」とアンケートを取ってみる。25%の人が「無色」、60%が「青」、15%が「黄色」と答えたとしよう。
よって「数3は黄色か?」の答えは(統計的に)「No」だ。
我々はここで「黄色」に新しい意味を与えた。「数字」の術語に色を充てるという新しい用法と共に。
問いが、ナンセンスからある種の心理的な統計問題にアスペクト転換した瞬間。
それでもあなたは依然として、ナンセンスと未知の問いに、区別を要求するだろうか?
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しからば「魂は存在するか?」という問いの答えと、その検証方法とは?
これは問いでなく、「魂」という概念の用法を発明せよという、言語から人への誘惑だ。
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