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探究 第3章(心の中のことば編(11))

メアリーの部屋。

メアリーは生まれたときから白黒の部屋に閉じ込められていた。彼女は白黒の書物や白黒のテレビを通して勉強に励み、視覚と神経生理学を極め、ついには視覚に関する現象すべてを物理的に理解するに至った。

さて彼女が部屋から出て周りを見渡したとき、何が起こるだろうか。彼女は何かを新しく学ぶだろうか。

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---視覚をすべて理解したというが、そんな限られたリソースでいったいどうやって何年かかって勉強したんだろう。どんだけ天才なんだ。

---白と黒しかない部屋で生まれ、過ごしたというが、そんな特殊条件の部屋はどこにあって、食事など普段の生活はどうしてたんだろうか。

---そもそも健康を害さずそのような部屋に長期間住まうことはできるんだろうか。

等々。

---そんな疑問は些事でしかない。私はただ純粋な仮定として「もしメアリーが白黒の部屋で視覚の全物理的情報を理解したら」と問いたいのだ。

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OK。そこで私はこの仮定の一部、「白と黒しかない」という条件を、「黒しかない部屋」に変えてみようと提案する。

とたんに「それ無理だろ」という反応が得られるだろう。なにしろ「黒しかない」ということは、光がないのだから、いかにメアリーが天才でも文字が見えず勉強しようがない。

「黒一色」という設定はただちに「それ無理」という直観的・反射的な反論を引き起こす。白黒の二色設定ならその反応は起こらない。

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このように、「メアリーの部屋」には、人がそこにかろうじて意味を見出い出しうる *ギリギリの線* に沿った舞台が巧妙に設定されている。

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「メアリーの部屋」はもちろんナンセンスだ。日常生活に関するすべての判断を保留しなくてはならないような文章を、そもそも我々は理解できるはずがない。

しかし興味深いことに、人は、月にウサギを、枯れ尾花に幽霊を、霧に人の顔を見るように、ナンセンスに意味を見出す。「メアリーの部屋」の状況設定を読んだ人は、それぞれ各種各様にバックグラウンドのストーリーを想像し、実質を補填している。

ここで補われているのは「知識」「知る」「視覚」「物理的」といった語の意味だ。

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この補填的想像は、想像した人自身の *人生すべて* が忠実に反映されている点に気づかなくてはならない。自身の姿を投影する姿見としてのメアリー。

したがって「メアリーの部屋」をめぐり得られるだろう諸々の議論は、その人がナンセンスに意味を込めた時点で *あらかじめすでに結論が含まれている* ということになる。

このようにして人は「メアリーの部屋」を引き継ぎ、あらかじめの結論を同語反復することでストーリーを接ぎ木していく。

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これら一連の活動を通じ、「クオリア」という語が持つ意味もようやく鮮明になってくる。その語を実際に使ってみせることによって。意味が先にあるのではない。いってみれば発明した新語を社会に根付かせようと哲学者が総出で普及活動しているようなものだ。

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では「メアリーの部屋」をめぐる哲学者の創作活動と、「春の空」をお題にして俳句を作る創作活動の、決定的な違いは何だろうか。


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