非日常な日常が新たな非日常を生みにくくする。

コロナウイルスの感染拡大が始まってから

約2.3ヶ月になる今、この非日常な自粛生活が日常化しつつある。家の中で、生活を必死でデザインしているのだ。

しかし、どんだけもがいても自粛前の生活ほどの充実さは得られていない。

その理由について述べよう。

端的にいうと、日常化した非日常からは非日常を生みにくくするからだ。

言葉遊びのように聞こえるかもしれない。

また、イメージしづらいかもしれない。

コロナウイルス感染拡大前、

みんなどうしてたか、

日曜には家族と恋人と映画や旅行などのちょっとした非日常を経験していたのではないか。

なぜ、それができたか非日常を生める健全な日常があったからだ。

コロナウイルスの拡大も当初は日常の中の非日常と認識されていた。その頃はこの自体を歴史的事件だの騒ぎ立てていた。

しかし、今はどうだろうかテレビも対応している。コロナが当たり前になりつつある。

それと同時に、いつもあった非日常からは手が届きにくくなった。

ユーチューブやネットフリックスを見たり、家で何かをする行為は非日常にはなり得ない。

常に家にいるということは常に非日常を失うことを意味する。

家から出ればならない。

ただし、外には出られない。

では、どうすれば良いか

バーチャル空間に希少性のあるイベントを作成すればいい。

サブスクリプションや無料のバーチャルコンテンツではなく、家という環境を認識できないような飛び抜けた価格のVRコンテンツ作成することがそれにつながるであろう。

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