おもしろさに対する初歩的な間違い
人に対して、面白くないと判断してあたかも自分が勝ったかのような気分になってだろうか。それは間違いだ。人の悪いところを探して、勝ったと思うのと同じだ。何かを見て、面白くないと思うことは基本的に自分にとって良くないことである。どうせ、大半の人間はこうやったらもっと面白くなるのにとかいうう仮説もなく、また、その仮説も的外れなのに否定している。
また、好きな芸人のネタが受け入れらないこともしょっちゅうある。特に、意味がわからないから面白くないとか、何がおもしろいかわからないとかっていうコメントする人は謙虚になってほしい。おそらく、意味がわからないのは頭が悪いか、お笑いリテラシーが低いかである。
意味がないネタの場合は意味わからないとは言わない。意味があるネタに対して意味わからないという。
意味がわかって、面白くないところはここで、まだここは面白かったとかだったらよい。
話やネタが面白いかどうかについては
皆判断する、かなり積極的に判断する。
絵画や彫刻が美しいか、面白いかについては
わからないから判断できない人が多い。
お笑いの評価は民主化している。
だから、みんなM-1の最下位を面白くないと言ってみたり、バラエティ番組を見て面白くないと言ってみたりする。
しかし、どうだろうか
お笑いについて判断している君は果たしておもしろいのか。おもしろいと判断できるくらいお笑いについて知っているのだろうか。
絵画や美術などに関してはより深い知識が必要と考えるくせに、お笑いについてはそう考えない。
お笑いもめちゃくちゃおもしろくないものは急におもしろくなったり、構図や見方が変わるだけで随分と深い分野なはずなのに。
なんか、身近な娯楽とかについては軽々しく評価するくせに、美術とか高尚ぽい娯楽に対してはビビって評価できないのはダサい。
さらに、他人の意見から面白くないと評価するのはもっとダサい。時間が奪われるから優先度を下げるのはいいが。
結局、言いたいのは
お笑いとか娯楽を見るときに
おもんないわこいつって思う前に、
まず、どうやって考えたのかとか
おもしろい部分を探すとかが大事だ。
ただ、序列はでてくる。その場合は、おもしろい方を見ればいい。
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