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五葉松のはじまり

幼少期

「ただいまー!」
「おかえり、なりちゃん」「おかえり、おやつ食べるか」「おかえりなさい、暑かったな」小学生低学年の私の「ただいま」に、数人の大人の「おかえり」が返ってくる。家の横に併設された工場の2階には、1畳分の畳が10枚ほど引かれ、その上で数人の職人さんが菰樽を巻いている。大半は近所のおばちゃん達と、指導している祖母がいる。私が2階の階段を上る音にみんな気づき菰巻きの作業の手を止めて、なりちゃんが帰ってきたから3時のおやつにしよか、となった。母はまだ小さい弟と一緒に、井戸水に冷やされた大きなやかんの麦茶と大きなスイカを切りながら、従業員さんのおやつを用意している。工場の1階には数人のおじさん達と、指揮を執る祖父がいる。菰のデザインとなる転写のプレス機などの、数台の大きな機械音に負けずと大きな声で、「3時の休憩でーす」と私が叫ぶ。「なりちゃんありがとう!」
全員で3時の休憩だ。


少し離れた場所には、菰樽を保管する工場があり、30段くらい積まれた箱が数十パレット並び、倉庫の隙間は大人一人が通れるくらいの隙間があるくらいにびっしり詰まっている。子供の私には絶好の隠れ基地だ。数人の男の子を引き連れ、4メートルくらいだろうか、隙間から積まれた箱のてっぺんまでよじ登る。天井に頭をぶつけないように登り、もらってきた駄菓子を敵に見つからないように段ボールのてっぺんで食べるのだ。一応悪いことだと認識していたので、律儀にも靴は脱いでいた。ただ菰樽の蓋になる段ボールはそんなに丈夫なものではないので、靴下のまま穴を空けてしまったことはよく覚えている。落書きもした。今思えば、この何万個の菰樽は、灘や伏見の酒造会社に納品されていたのだから、とんでもない悪ガキだったと少し反省してみたりしている。

母屋の中には、住み込みの職人さんもいたので、晩御飯も大人数。もちろんお風呂も順番制で、子供達の私や弟が先に入った時は、祖父にところに「お先もらいました」と1番風呂を使用したことの報告に行かねばならなかった。菰樽の出荷は、日本酒の造りと平行している為、秋口から年末にかけて最盛期となる。日曜日の早朝は、4tトラックの、ピーピーピーというバック音が私の目覚ましだった。知らない大人達が工場や事務所に出入りしているし、職人のおばちゃん達の談笑の声も聞こえる。とにかく、ウチは普通の家ではないということを分かっていた、可愛げのない子であった。

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